283LAP2021.1.13
四輪脱輪はそんなに悪いことなのか?
「セーフティーカー介入」「四輪脱輪」。2020年のレースに携わっていて、これほど何度も耳にした言葉も少ないと思う。セーフティーカーの介入は勝敗を左右した。四輪脱輪も、目の覚めるようなアタックやギリキリの先陣争いに水を差した。ルールである以上、遵守するのが正しい。レースに挑むドライバーたちは安全のための措置だと理解している。ただドライバーは、この二つのキーワードに怯え身構えていたに違いない。野犬に身構える子猫のようにビクビクと震えているように見えたのだ。セーフティーカー介入の是非については本コラムの281LAPで語っているのでそちらをご覧いただきたいのだが、今回は「四輪脱輪」の是非である。自身も常に怯え、萎縮し、身構えていたという木下隆之が語る。
四輪脱輪は、つまり走路外走行である
「四輪脱輪」がレースの勝敗の鍵を握るようになったのは、いつごろからだろうか。四輪脱輪がいつペナルティの対象になったのかという記憶は薄れてしまっているけれど、それほど遠い昔のことではないと思う。10年や20年まで遡る必要はなく、おそらく一桁の年月を振り返れば「四輪脱輪=ペナルティ」の起源に立ち戻れるはずだ。
四輪脱輪は、走路外走行と訳される。サーキットの定められたコースを外れて走行した場合、罰則の対象となるのだ。縁石を跨ぐことは許される。だが、四輪がすべて走路から外れればアウト。それが四輪脱輪だ。二輪脱輪なら議論はなされない。
走路とは、舗装されたコースの白線で記されたラインまでのことを意味する。白線に乗っていればセーフ。白線に触れていればセーフ。1ミリでも外れていればアウトである。
写真1をご覧になっていただきたい。これは僕がスーパー耐久ツインリンクもてぎ戦を戦った時の写真である。顕微鏡で覗くようにして拡大すると、これがセーフであることがわかる。つまりレーシングドライバーは、時には300km/h前後の超越した速度域で、ビデオでは審判できず写真を拡大しなければ判断できないギリギリのコンマ1ミリに挑んでいるのだ。
元来の四輪脱輪は、もっとルーズだったように記憶している。大胆にコースを逸脱し、あきらかに近道をすることで有利になった場合にのみ走路外走行違反の適用となる。たとえば、鈴鹿サーキットのシケインで退避路を走行したり、富士スピードウェイのBコーナーを、鋭角に右旋回せずに大外回りしたりといった、あきらかにそこはコースじゃないだろと思える走り方をした場合のみに適用された。それによって明確に利益を得た場合のみの注意勧告だった。
だが、それが日増しに厳しくなり、いまではわずかな逸脱でさえペナルティの対象だ。レース中のバトルでの有利不利ならまだしも、テスト走行中でさえ四輪脱輪が確認されるとタワー3階に呼び出される。
そもそも四輪脱輪とは、そんなに悪質なことなのか?
ドライバーはコンマ1秒でも速く走ろうとするのが本分である。そのためには、命だって惜しくない。それほどの覚悟を持って挑んでいる。そしてそのためには、道幅を限りなく広く使うのがセオリーだ。つまり、四輪脱輪ギリギリを攻めるのが義務でもある。
だが、それゆえに、わずかなミスが四輪脱輪になる。そしてそれがペナルティとして注意を受けることになる。レーシングドライバーとしてギリギリに挑む勇者の、ちょっとしたミスをあげつらうのにはちょっと首を傾げたくなるのだ。
テスト走行中から四輪脱輪は監視されている。だから、タイヤがグリップせずにアンコントロールの状態でも四輪脱輪の対象になる。マシンセッティングも整わず、縁石に触れた瞬間にコントロール性を失うマシンであってもだ。いや、四輪脱輪に怯える僕らはその確認すらできないのである。
決まった瞬間、快感が駆け抜ける
コースエリアぎりぎりを攻めるのがレーシングドライバーの本分ならば、その本分に挑み完璧な姿勢でクリアができた瞬間、脳天に快感にひたれる。
4回転サルコウの失敗
「氷上の芸術」「氷盤を舞う天使」。フィギュアスケートは美しさを競うスポーツである。体のしなり、指先にまで通う感情、エッジが氷を刻む音さえも、芸術を演出するツールになる。銀盤のクラシックバレエである。
だがフィギュアスケートは、クラシックバレエとは決定的に異なる。一方はスポーツであり、一方は芸術なのだ。バレエは絵画や音楽と同様に、採点されない。だがフィギアスケートは、体操やスノーボートのように採点される。技の難易度が競われるスポーツである。
以前、フィギュアスケートを観戦していて気になったことがあった。3回転や4回転のアクロバチックなジャンプに挑み着氷に失敗すると、観客席からはため息が漏れるのである。
「あ〜あ」
それが耳障りだった。アクロバチックな技を期待していた観客のその気持ちは分からなくはないが、離れ技に挑んだ勇者の失敗にあからさまに落胆するのは、プレーヤーへの配慮が足りないと思う。
後日、世界で初めて4回転サルコウを決めた安藤美姫選手が、4回転が期待されることの重圧を口にしていた。「観客のため息はやめてほしい」と。
スケートリンクで感じたあの時の思いと、四輪脱輪が注意対象になることが、どこか重なってしまった。
プロ野球界最高の豪腕投手が、内角ギリギリに剃刀のようなシュートを投げる。だが、わずかに逸れて判定はボール。それを持ってして四輪脱輪でペナルティに課せられたのと、重軽は別として、勇者のミスという点では同意のような気がする。
ペナルティを英語辞典で引くと、物々しく和訳される。「刑罰」「罰金」「科料」「報い」。この和訳を目にすると、刑罰を受けるほど悪質だったのかと思う。本来讃えられるべきチャレンジ精神に対する代償としてはあまりに酷い。
もっとも、辞書ではそう和訳されるものの、ネイティブな「ペナルティ」はそれほど深刻ではなく、勇者をあげつらうほどの重みがあるわけではない。だから頻繁に使われるのだが、何かふさわしい文言がないものかといつも悩む。
勇者も伝説も生まれにくい
かつてN・マンセルがF1界でイケイケだった時代、スパ・フランコルシャンで開催されたベルギーGPでのこと。A・プロストを抜きあぐねていたマンセルは、長いケメル・ストレートから続くレ・コームでパッシングを試みた。だが、再三挑んでも封じ込められていた。業を煮やしたマンセルはついにスペシャルラインに挑んだ。右コーナーのレ・コームから、続く左コーナーのマルメディまで、草の生茂るダートを突っ切ったのである。それでも抜けなかった。ダートは思いのほか深かったからである。マンセルのあからさまな闘争本能に魅了された。
翌年、僕はスパ・フランコルシャン24時間に参戦することになり、マンセルが挑んだレ・コームからマルメディをこの目で確認することになった。
そして腰を抜かしかけた。そのコーナーはおよそ、常人であれば突っ切ろうなどと発想するはずのない広さである。シケインのようなリズミカルなコーナーを想像していた僕は呆気にとられた。テニスコートほどもある草が生茂るエスケープエリアを走ってまでしてプロストのパッシングに挑んだマンセルに、改めて魅了されたのである。
もちろんこれも、いまであれば四輪脱輪としてペナルティの対象だ。四輪脱輪の規制がなかったから、あの伝説は生まれた。
ブランパン韓国戦では、1コーナーから2コーナーにかけては四輪脱輪したほうが有利に思えた。ゆえにすべてのドライバーがそこに挑むことになった。すると主催者は、四輪脱輪を許可した。理由は明快である。「かっこいいから」。
実はそれには後日談があった。1コーナーから2コーナーを四輪脱輪でクリアするには、縁石の大きな突起を乗り越えなければならない。つまり、四輪脱輪してでもコース外走行をしたほうが速いドライバーと、かえって遅くなってしまうドライバーがいたのだ。つまりは、ドライビングスキルによる。
「(コース外を)走って速いドライバーは走ればいい。走れないドライバーは走らなければいい。だってレースなんだから…」
主催者の考え方に感動した。
スパ・フランコルシャンのラ・スルスで、マンセルが縁石の外を突き進んだ伝説も、四輪脱輪規制前だったからこそ誕生した。
ニュルブルクリンクでアウディR8GT3が、ダートからトップを抜き去った伝説も、同様である。
F1日本グランプリ。悪夢の富士スピードウエイは雨にたたられていた。K・ライコネンが100Rを大外からまくりごぼう抜きしたあのシーンは、伝説となっている。四輪脱輪規制前のことだ。
とはいえルールだからと萎縮しながらも…
ともあれ、ルールはルールだ。守るのが筋である。四輪脱輪が規制された理由はおそらく、コースの安全性は走路内走行を前提に担保されているからであろうし、コース外走行を際限なく許せば、コース整備への負担も増える。
だが改めて思う。もっと自由に走らせればいいと。僕らは採点競技に挑んでいるのではなく、デジタルに決着がつく、白か黒かの世界に生きているのだ。
もしくは走路外を走行したら、あきらかにタイムが落ちるような仕掛けが有効であろう。それでも走りたければ、自由にさせればいい。ニュルブルクリンクやモナコがそうであるようにだ。
最近、改修が進んだツインリンクもてぎは、四輪脱輪を誘うかのように縁石が整備されているし、ただ四輪脱輪するだけで確実にタイムアップする。筑波サーキットも同様に、走路外エリアが日増しに拡大されていく。それなのに走らせないなんて…。コンマ1秒を求めるドライバーにとって酷のような気がする。
300km/h前後という超越した速度域で、ビデオでは審判できず写真を拡大しなければ判断できないギリギリのコンマ1ミリに挑んでいる勇者に対して、ペナルティは悲しすぎる。
いや、そのギリギリ妙技を観せるのが、近代的レーシングドライバーのスキルなのかも知れない。
Photo by Hiroyuki Orihara ,Wataru Tamura
キノシタの近況
異例の年跨ぎのシリーズとなったスーパー耐久ラウンドも、1月末で最終戦。しかも、土曜日ワンデーというトリッキーなスケジュールなのだ。今期はまだ未勝利の僕がどうするのか、乞うご期待です。