285LAP2021.2.10
シェイクダウンという儀式
華やかなモータースポーツシーズンが終了すると、新しいシーズンへと気持ちが向かう。
開幕戦に向けて、各チームは準備を進めているに違いない。マシンを新しく入れ替えるチームも少なくない。新たに開発されたニューマシンの最初の一歩を転がす気持ちはどうなのだろうか?これまで数多くのレーシングカーの開発に携わり、シェイクダウンを担当してきた木下隆之が、ニューマシンのバージンドライブを語る。
張り詰めた空気が漂う
開発ドライバーとしてのシェイクダウンの日、僕らは特別な気持ちになる。
早朝のサーキット。あるいは人気のないテストコース。自動車メーカーのシェイクダウンはたいがい、一般に公開される前に行われるから、レースの雰囲気とは異なる。
巨大なトランスポーターのハッチがゆっくりと開く。徐々に、運ばれてきたマシンが姿を現す。それまで長い時間をかけて開発されたマシンが産声を上げる瞬間だ。新鮮な外気が荷台の中に吸い込まれる。ゲートが開け放たれた瞬間、ブランニューのレーシングカーは、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んでいるかのように映る。まるで御光を背にしたかのようなシルエットで、僕の目の前に現れるのだ。
その様子はまるで、生誕の儀式のように神格的でさえある。
シェイクダウンのその日がいつもの開発テストと異なるのは、多くの関係者が集まることだ。マシンを走らせるエンジニアやメカニックだけでも、いつもとは異なりあきらかに人数が多い。実際にスパナを握るエンジン担当やシャシ担当はもちろんのこと、図面を引き設計をした開発者も、分厚い資料や設計図を抱えてマシンに歩み寄る。
タイヤメーカーの担当者や、あるいは数々のパーツを開発したサプライヤーも顔を揃えている。レースシーズンが始まってしまえばおそらく顔を合わせることがないであろう開発メンバーが、一同に集うのだ。
「こんなにたくさんの人が、このマシンの開発に携わっているか…」
感慨深い。
プロモーションやマーケティングを担当する事務方も集結している。ネクタイを締めた営業担当も顔を出している。誕生の瞬間を記録するための映像部隊もカメラを構える。広告代理店のスタッフや、クリエイティブチームはいつもの黒装束で取り囲む。その物々しさは特別であり、マシンへの期待の重さを感じるのである。
コクピットドリルは丁寧に…
マシンを走らせる前に、丁寧なミーティングが行われるのが常だ。新開発のマシンはたいがい新技術が満載されているから、実際にシェイクダウンマシンのステアリングを握る僕にも、入念なコクピットドリルが授けられるのだ。
開発リーダーが、マシン開発のコンセプトを語る。このマシンにかける思いの熱さを伝え、開発の狙いが告げられる。新技術の内容も徹底的に叩き込まれる。いざ走り出せば、コクピットの中はドライバーである僕だけの世界であり、走りの感覚からマシンの様子を感じ取らねばならないからだ。
授業を受ける教室のようなミーティングルームで、開発責任者はまるで担任の教師のような重みで、それでいて淡々と作業スケジュールを説明する。その一言一言をメモする。丁寧にうなずきながら頭に叩き込む。小さなミスも許されない。緊張感の源はそれだ。
走行前には入念な暖気が行われる。その様子を我々は固唾を飲んで見守る。メカニックがエンジンルームをのぞき、神経を尖らせる。シャシ担当はジャッキアップされたマシンの下に潜り込み、ペンライトで不具合の有無を確認する。電気配線で繋がれたラップトップコンピューターが表示するマシンコンディションを、多くの技術者が凝視している。緊張感はいつまでも緩むことがない。
エンジンに火が入るその瞬間に…
記念すべきファーストラップは、感動的である。コクピットに収まり、まだ馴染まぬシートに括り付けられ、エンジンの鼓動を感じる。
ギアを1速にエンゲージする。ゴッツンと衝撃が残る。それが正常な噛み合わせなのか、あるいはトラブルなのか、神経を張り巡らさなければならないのだ。その感覚は、シェイクダウン当日は常に求められる緊張である。ギアの噛み合わせだけでなく、エンジンの回転フィールからブレーキのタッチまで、マシンの声に耳を傾け、微細なバイブレーションを感じ取る。
基本的にはスロー走行でコースイン。不具合がなくてもそのままピットイン。一旦ガレージにマシンを入れて入念なチェックをする。一周走ってピットイン。マシンから降りてヘルメットオフ。さっき走り始めたのに一周しただけで休憩があるなんて、いかにもシェイクダウンである。
絶対に許されないのは、いきなりペースを上げ始めること。入念なチェックを終え、エンジニアの指示がないのに全開で攻め始めるのはご法度だ。はやる気持ちを抑え、あくまでマシンチェックに徹するのである。
多少不遜な言動を許してもらえるのならば、はやる気持ちを抑え、冷静にマシンのコンディションに神経を張り巡らせることができるのは、数多くの経験を積み重ねてきたベテランドライバーだからこそではないか…、そんな考えによって指名されることが多いのかもしれないと思う。
シェイクダウンに携わる。産声を上げたマシンのその後の成長を見守りたくなるのも道理だ。マシンがどのカテゴリーに送り込まれ、どんなチームにデリバリーされ、どんなドライバーにステアリングを委ねて勝利を積み重ねていくのか、その行末を見守りたくなるのである。
それにしても、これまで多くのニューマシンのシェイクダウンに携わってきたことは幸運なことだ。開発者が丹精込めて完成させたマシンのファーストドライブを任されるのなんて、光栄なことである。
キノシタの近況
2020年のスーパー耐久は、最終戦が中止となったことで消化不良なのも事実。だが気持ちを切り替えていくしかない。さて、2021年はどのレースに参戦しましょうかねぇ。こうしてプロジェクトを模索するのも楽しいし、どこかからの素敵なオファーを待つのもワクワクドキドキです。もうそろそろ開幕戦が迫っているのに呑気なものです。果報は寝て待てですね(笑)