レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

291LAP2021.5.12

スーパーGT公式映像、中継車に潜入

レーシングエンターテインメントで欠かせないのがテレビ放映であろう。実際にサーキットに足を運び、マシンの咆哮や大歓声などを堪能するのがもっともモータースポーツを肌で感じる手段であることには違いないが、全戦サーキット詣をすることがままならない事情を持つ御仁もおられよう。そんな方々にとってレース番組を観ることは大きな楽しみに違いない。たとえばスーパーGTの公式映像を担当するJ SPORTSは、生放送であるにもかかわらず、的確な編集がなされている。まるで結果を知ったうえで、じっくりと編集したかのような正確さなのだ。そのカラクリは?
かつてJ SPORTSでスーパーGTのゲスト解説を担当した木下隆之が、中継車に潜入。カラクリを確認した。

司令室はまるで要塞のよう

J SPORTS公式映像のコントロールは、サーキットの片隅に駐車している、中継車と呼ばれるトレーラーの中で行われる。その巨大さは国内最大級であり、他に類をみない本格的な設備が整っているのだ。
外観から見る限り、レーシングマシンを運ぶフルサイズのトレーラーのようであり、あるいはVIPがくつろぐサロンのような荘厳な雰囲気でもある。
だがひとたび足を踏み入れてみると、そこは足元を照らさなければつまずいてしまいそうになるほど暗く、それでいて、夥しい数の、目を射るかのように煌々と明るいテレビモニターが、一面に掲げられているのだ。まるで地下の要塞のようであり、宇宙ロケットの指令室のようでもある。しばらく目を暗闇に馴染ませると、黙々と画面に見入っている多くのスタッフの姿が浮かび上がってきた。

メインの編集室には、一面に48台ものモニターが組み込まれている。そのすべてを紹介するには頁数が足りないだろう。正面のメインのモニターは、配信されている画像そのものであり、それを取り囲むようにコースサイドで構えるカメラ映像が9個、ピットロードを臨機応変に移動しながらピット作業やドライバーの表情など決定的なシーンを捉えるカメラ画像が2個、実況席、監視カメラ映像、路面に埋め込んだCCD画像、そしてそれらが左右に複数。どの位置にどの映像が映し出されているかを把握するのに時間を要するほどだ。

実はこれは制作の一部でしかない。中継室のサブでは画質調整のエンジニアがモニターを凝視しており、さらに脇にはVTR班が待機する。クラッシュや追い抜きなど、もう一度確認したい映像が数秒後に再生されるのはビデオ担当の素早い作業があってこそだ。そればかりではなく、ドライバーラインナップや順位表示など、画面に載せるCGはメインの中継車をとり囲むように配置されたそれぞれのトレーラーで作業がおこなわれる。ひとたびドアを開ければサーキットの爆音や喧騒に包まれるのに、バタンと厚いドアを閉じるやいなや、外界の音は完璧に遮断される。まさに要塞なのである。

それぞれの役割分担も徹底している。
モニターの正面、中央に座るチーフディレクターが、オーケストラを操る指揮者のように全てをコントロールする。その脇にはスイッチャーが座り実際の映像を切り替える。コースサイドには画像をとらえるカメラマンが構えている。中継車とサーキットのそこかしこに分散して控える。情報ディレクターがレースの様々な展開を把握し、頭脳となって報告する。プロデューサーが編集を確認し、アドバイスを指示するといった布陣である。

隔絶された空間の喧騒

生放送に備え、すべての画像をチョイスするチーフディレクターがカウントダウンを始めると、緊張感はマックスに達する。暗がりに浮かぶ48個のモニターから適切な画像をチョイスし、脇を固めるスイッチャーに指示を送るのだ。
スイッチャーは、目の前の夥しい数のスイッチを叩きながら、画面を切り替える。その指先の動きはまるで、エレクトーン奏者のように鮮やかだ。
「つぎC1からC4に行きますよ」
「了解」
「3、2、1、はい、いった」
Cとはカメラの略であろう。コースサイドで9台のカメラにはナンバーが打ってあり、カメラマンの名前も記されている。
「C1からV3ね」
「C3からピットリポートいくよ」
「はい、いった〜」
富士スピードウエイの場合、カメラ配置は以下になる。
C1は1コーナー正面からストレートを捉えている。
C2は1コーナーを低い目線で斜めに捉える。
C3はコカコーラコーナー正面から1コーナー出口を映し、画角を広げればコカコーラコーナーのバトルをつぶさに追うのだ。
C4は100R。
C5はヘアピン。
その次にはCCD。300Rの縁石間際の無人のカメラだ。マシンが接近しながらかすめていく映像は、そのCCDが捉えている。

「C4からC5行くよ、スタンレーとアステモ寄りでね」
「はいよ」
ディレクターの指示に備え、スイッチャーがタイミングを待つ。
「はい、C5」
「はいC5、いった」
チームディレクターの口元のマイクは、サーキット内のすべてのスタッフと繋がっている。それを手元のスイッチで切り替えることで更新する。
コースサイドのカメラマンにも同様に繋がっており、ディレクターが希望の画角や対象のマシンをリクエストする。
「C6行くよ。アステモの後ろ、auとエネオスね」
するとC6の画面は、スタンレーとアステモを追うことをせず、その数秒後ろでバトルしているauとエネオスにフォーカスした。
C6はBコーナー。
C7はダンロップコーナーから110R。
C8はスープラコーナーから最終コーナー。
C9はグランドスタンドから俯瞰で、ストレートを疾走するマシンを撮影する。
ここまでの呪文のようなやりとりで、およそ30秒の時間である。たとえば仮にプロレス中継などであれば、数台のカメラをスイッチングすればすむであろう。対象はリングで戦っているのであり、カメラはリングを映していれば被写体を撮り逃すことはない。だか、レースとなると話は異なる。マシンは驚くほど高速で移動しており、一周4.5キロのコースを駆け回っている。一台のカメラが補足できる範囲は限られている。しかも、被写体はプロレスのように1組ではない。44台のマシンがいたるところでバトルを繰り広げており、そのタイミングも場所も予測できないのである。中継する側としては、けして容易くない困難なコンテンツなのである。

突然のハンプニングに対して

スタート直後、モチュールGT-Rのエンジンが火を吹いた。
「モチュール!!」
中継室に、ひときわ大きな言葉が響いた。
すぐさま映像が確認される。
「C3ね」
「C4切り替えて」
「C3に戻して」
「C4寄れる?」
あらゆる角度からそのシーンを組み換えていく。
「C1も映しているんじゃないか?」
「いま確認しています」
すぐさまVTR班が、決定的な瞬間をとらえている映像を探す。
「Vある?」
「あと5秒で…」
多くのカメラが撮影していたであろうデジタル映像が巻き戻され。火を吹いたその瞬間の映像が瞬時に編集された。
「それじゃ、V、いくよ」
モチュールがエキゾーストから派手な煙幕を巻き上げたのは、ストレートエンドのブレーキングゾーンである。そのマシンは勢いを落とすことなく、コカコーラコーナー手前まで走ってきて止まった。それに費やした時間は10秒ほどだ。その間にカメラはC3からC4に移し替えられ、またC4からC3に戻った。そしてC1の白煙を巻き上げた瞬間映像に移り、その5秒後にはビデオの再生映像が流れるという瞬間芸である。
これらがすでに予見されていたことならば、身構えることが可能かもしれない。だが、オープニングラップに突如して発生した決定的なシーンに対して素早く対応し、それがまるで後日編集した放送であるかのように映像を繋ぐ技術は神業だと思えた。
僕のように、じっくりと取材をし、あらためて言質をとり、事務所に戻ってパソコンを叩き記事にする物書きとは流れる時間の早さが異なる。CM撮影をすることもあるものの、それとて長い時間と手間暇をかけて、編集と校正を繰り返して作品を完成させる。生放送はそれとも時間軸が異なるのだ。
配信先のお茶の間には、その瞬間をリアルに観戦しているファンがいる。視聴者のためには一瞬のミスも許されない。緊張感の源はそれであろう。

専門用語が飛び交う中で

実は中継室の中は、喧騒に包まれている。チーフディレクターとスイッチャーの言葉だけが響いているわけではない。そこにいる10名ほどのスタッフが休みなく情報を伝え合っているのだ。伝えているというより、叫んでいると表現した方が正解であろう。
「300の11位争い、接近しているよ」
「500の4位バトル、リアタイヤがタレてきたよ」
「C7で、イン、入るかもよ」
「BRZ、次抜くぞ」
それぞれが情報を投げ合っている。それはまるで、市場で仲買人が競り合っているような喧騒である。
番組の対象は500のトップ争いだけではない。300のトップ争いだけでもない。44台のマシンがそれぞれ真剣にバトルに挑んでいる。そこかしこで真剣勝負が展開されている。その多くを放送にのせる。そのために、それを多くのスタッフがコース上で行われている出来事を監視しているのだ。

ラップモニターで戦況を分析しているディレクターは、さしずめレース監督のようである。
レース途中、マシントラブルで車両がストップ。フルコースイエローが導入された。だがその数秒前、中継室ではフルコースイエローに気づきピットインする車両の数を予想していた。
「300の○番まで、ピットインするよ」
プロデューサーが情報を伝える。
「C7に映っているはずだよ」
戦略に長けた賢明なチームは、ピットクローズを避けるために、フルコースイエローが介入する直前にピットになだれ込んでくる。その台数さえも予測していたことには驚かされた。
画像からマシンの挙動を読み、周回数から各チームのシークレットである作戦を予想する。そのうえで、ピットインのタイミングや攻め所を予測している。それはまるで、チーム監督のようでもある。各チームのトラックエンジニアは、自らのチームだけの勝利を考えていれば済む。だが中継室のメンバーは、44台すべての戦略を把握し予想し、先回りをしてその瞬間に備えているのだ。チーム監督に職業を変えても大成するのではないかと思ったほどである。
そしてその有能なメンバーからの情報を精査し、生で画像をコントロールするチーフディレクターやスイッチャーは、聖徳太子のような頭脳構造なのだろうと感心させられる。

レースを理解しているからこそ

コース上で撮影しているカメラマンも、戦況をすべて理解しているのであろう。タイヤのグリップが低下し始めマシンコントロールに手を焼き始めたドライバーの存在を感じとり、するとどこのコーナーでバトルが展開し、それがどこまで続くであろうことを予測して撮影している節がある。ディレクターの指示が伝えられる前にすでに、カメラマンもすべてを予測しているように思えた。
「C1、エネオス、ピットロード出るよ」
「引き絵ね」(広角で)
「そのまま流して」
エネオスだけを追うのではなく、その背後に迫るライバルも捕らえた。バトル中の両車の間隔がわかる。
そもそもカメラマンがすべてを理解している。指示される前に、コース上で起きている必要なシーンを切り取っており、そればかりか、これから起きようとしているシーンを予想しているのだ。だから決定的なシーンの撮りこぼしがない。
レース中継は事実を淡々と映像に置き換えて垂れ流すのではなく、モータースポーツの醍醐味を物語として綴るような作業なのだ。高速道路脇の監視カメラ映像のような、無機質な映像ではドラマは伝わらない。これはもう、モータースポーツを知り尽くしたプロ映像集団である。

昨年のスーパーGT最終戦・富士ラウンド。チャンピオンをほぼ手中に収めたかに思えたキーパートムスが最後の500メートルでガス欠になり、背後にいたレイブリックNSXに逆転王座を譲り渡したあのシーンを…。
あの決定的なシーンを完璧に捉えていたのが、このメンバーである。

キノシタの近況

スーパー耐久「富士24時間耐久レース」に参戦しますよ。マシンはBMW・M2CSレーシングです。BMWが開発したハイパワー仕様ですね。クラスはST1。過激なクラスに組み込まれてしまったけれど、勝てるような気がしています。
応援よろしくお願いしますね。