レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

303LAP2021.11.11

米国空軍式ジムカーナに挑んで

1980年代のこと。東京福生市にある米国空軍横田基地で、ジムカーナ大会が開催されていた。主催はTSCC(東京スポーツカークラブ)。米軍基地に入れることでも人気があった。かつてこの大会に参加していた木下隆之が、モータースポーツの「大切なこと」を語る。

シンプルな草ジムカーナ

1979年に大学生になった僕は、たびたび横田基地のジムカーナに参加していた。その牧歌的な雰囲気がとても心地よく、モータースポーツを楽しむという文化に触れたことが記憶に深く刻まれている。そしてその経験は、プロのレーシングドライバーになった今でも、それこそが本質であると確信しているのだ。

あの頃の記憶は今でも深く刻まれている。
という、少々硬い書き出しは、横田基地ジムカーナを紹介するには相応しくはない。ツイッターやフェイスブックで、日記を公開するようなライトなノリでリポートするのが自然だろう。
「ジムカーナ最高‼‼︎ また来週、集合しようぜ」
ジムカーナといっても眉間にシワを寄せてコンマ一秒に挑むような真剣なスタイルではなかったから、親指を掲げたサムズアップやハワイ流のシャカで挨拶するようなスタイルが似合う。そんな牧歌的な感覚に包まれていたのである。

そもそも、エントリーに際して事前申し込みといった煩雑なやりとりはない。
「今週末、やるらしいよ」
風の便りにそんな情報を耳にしたら、朝8時頃に基地の裏門に集合すればいい。なにぶん40年近く前のことだから、入館やエントリーの詳細な記憶は曖昧だが、たしかエントリーに必要な書類らしきものはなかった。当日、顔を揃えた仲間たちで競い合うといった軽いノリだ。

クラスは排気量と改造範囲で分かれており、それだけ。だから改造の範囲もあまり問われない。まったくのノーマルか、改造されているかは自己申告。バリバリのジムカーナ仕様に改造された競技車も、ちょっとシャコタンにしただけのヤンキー車もひとくくりで改造車扱いだったと思う。
僕は友人が所有していたB110サニーGXでのエントリー。実はラリー仕様にはなっていたけれど、競技車両然とはしていなかったからノーマルクラスだと申告。主催の外人さんも、さして疑いもせずにエントリーを受理してくれた、という大らかさである。

ゼッケンがカッコよかった。日本では常識的なゼッケンなるものは配られない。極太水性のホワイトマーカーで、フロントガラスとリアクウォーターガラスの片隅に英文字と数字を走り書きするだけだ。
「NR 24/34」
おそらくNRはノーマルクラスを意味し、24と34は僕らのゼッケンである。オーナーとのダブルエントリーだったのだ。
おそらく米国空軍基地に勤務する米兵であろう。ビッグダディと呼びたくなるような、桁外れにガタイのいい男が太い二の腕むき出しで走り書きするのだが、ちょっと崩れた筆記体がかっこいい。
そう、それでいいのだ。サインマーカーの走り書きでいいのである。

いくら東京福生市と言ってもそこは米国空軍基地だから、ゲートを潜るのは困難だったはずなのだが、パスポートチェックだとか免許証の提示はなかったと思う。記憶にないのだ。もっとも、当時の僕はまだパスポートを持っていなかったので、日本の外国であっても笑顔でゲートインさせてくれたのだと思う。
敷地は広大であり、福生市だというのにそこは紛れもないアメリカだった。外国人居住地はアメリカ風の住宅であり、青々とした芝生広がっていた。左ハンドルのS30型フェアレディZがさりげなく駐まっていた。アメリカ仕様の無骨なバンパーだった。日本で購入したのではなく、カリフォルニアあたりから空輸してきたのだろう。

ジムカーナコースは、敷地内の駐車場に設定されていた。ピックアップの荷台ではハンバーガーやコーラが販売されている。チーズバーガーを渡してくれたビッグママの厚い手が忘れられない。
敷地の片隅には、体育館なのか倉庫なのか曖昧な建屋があり、トイレとしてそこが解放されていた。男子の小便器がとても高い位置にあり、爪先立ちになり用を足した。アメリカ人の大きさを実感したのは、その時が初めてである。

短パン、ノーヘル、ビーサンでのアタック

のんびりした雰囲気でのジムカーナだから、厳格な車検などはあるはずもなく、装備品チェックもない。僕らは短パンにビーチサンダルでコースに挑んだ。ヘルメットもない。もちろんレーシンググローブなど所有しているはずもなく、素手でハンドルをグルグル回した。
厳格な日本のシステムからは想像がつかない自由度である。自己責任の国らしく、自分の体は自分で守れであろう。雰囲気を求めてレーシングスーツを着てもいい。それぞれが好む自由なスタイルで楽しめばいいのだ。

出走順もとくに厳格ではなく、準備ができた者からなんとなく数字の順にスタートを待つ列に並ぶといった具合である。1分単位で、いや、秒単位で出走の手順が決められている昨今のモータースポーツとはまったく違う。
後半の方がラバーグリップが路面に乗って有利…などと考える人は誰ひとりとしていない。ハンバーガーで腹が満たされたからそろそろいくか、といった雰囲気である。それでもなんの問題もない。

その頃の僕は大学の体育会自動車部に所属しており、全日本学生自動車連盟が主催する学生競技に没頭する毎日を過ごした。体育会ゆえに、先輩後輩の上下関係も厳しく、学ランで通学である。といっても緩い校風だったから、応援団ほどの厳しさはないとはいえ、後輩は5分前から整列して先輩を待たねばならなかったし、直立不動で話を聞かなければならなかった。極めて厳格な雰囲気の中、ジムカーナやダートトライアルに挑まねばならない。そんな日常とのギャップに腰を抜かしかけたのである。

こんなラフなスタイルのモータースポーツがあってもいいと思う。そもそも日本のモータースポーツは競技ライセンスが必要であり、安全装備品にも厳しく目を光らせる。だからハードルが高い。門外漢がモータースポーツに参入するには、業界に影響力のある人とのコネクションがあるか、勇気を振り絞ってレーシングガレージの門を叩くしか方法がない。
ただそれでは、本当の意味の草競技は成り立たないと思う。素人が遊びでモータースポーツを楽しむには、こんな緩いシステムの方がいいと思う。

幸運にもトップタイムで優勝したようで、短パンにビーサンで商品を受け取っている自分の写真が懐かしい。
残念ながらコロナ禍により、横田基地ジムカーナの開催は延期されていると聞く。ということはそろそろ開催されるのであろう。
イベントが再開していたのなら、参加してみようかな? 軽装でね。

キノシタの近況

レクサスが開発した豪華クルーザーで横浜沖クルーズを楽しんだ。4億とも5億ともいわれる船だから、とにかく豪華一点張り。操縦性も際立っており、乗り心地もいい。当日はあいにくの強風だったが、静かで平穏な空間だったのだ。サーキット通の合間のクルージングは気持ちを癒してくれますね。