レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

309LAP2022.2.9

チーム無線から滲み出るドライバーの個性

レースをテレビ観戦していると、それぞれの個性が露わになる。ドライバーとチーム監督の間で怒号が飛び交う。あるいは冷静に戦略を分析する。感情が様々なのだ。実際にコックピットとサインガードとの両方の立場を経験する木下隆之が、ドライバーの個性を語る。

放っておいてくれ!(◎_◎;)

やや旧聞に属するのかもしれないが、お許し願いたい。
2021年F1最終戦、アブダビGPが開催されるヤス・マリーナ・サーキットに持ち込まれたアルファロメオのボディカウルに、見慣れない文字が記されていた。
アントニオ・ジョビナッツィのマシンには『Grazie di tutto Antonio』
キミ・ライコネンのボディには『Dear Kimi,we will leave you alone now』
最終戦を最後にチームから離れる2人に対しての、チームからのメッセージを掲げていたのである。
ジョビナッツィに対するメッセージを和訳すれば『すべてに感謝します。アントニオ』
ライコネンに対しては『親愛なるキミへ、これからはあなたを放っておけるよ』
特にライコネンに捧げるメッセージはシャレが効いていた。数々のメディアで、この粋なメッセージの意味が報道されたから、ご存知の方は多いと思う。つまり、ライコネンがかつてレース中に「自分がやることはわかっている。放っておいてくれ‼」と激昂したことを皮肉ったのだ。
昨今のレースは、チーム無線でのやりとりが激しい。コンディションが目まぐるしく変化するタイヤの適切な管理、電気モーターの力を借りるハイブリッドゆえに、充放電のタイミングも重要だ。コックピットのドライバーが得られる情報だけでは戦えない。レースを有利に進めるためには夥しい数のコンピューターが表示する情報をコース上のドライバーに届ける必要がある。戦略エンジニアとドライバーが絶えず交信しながらレースを戦っているのだ。最終戦のように、ピットインするかしないかでチャンピオンタイトルが右から左に移るといったこともある。絶えずチーム間の無線交信が行われている。
だがそれは、ドライバーにとっては煩わしくも感じる。特にライコネンは、チームからの指示を嫌った。煩わしさを感じていたライコネンは、ライバルとのタイムギャップを絶えず伝えつつも、度重なるペースアップの指示を受け、その時に発した言葉がそれ。「自分がやることはわかっている。放っておいてくれ‼︎」である。
サインガードにじっと座ってレースを分析するエンジニアと、音速の世界で危険を背負っているドライバーとは、感情の温度差があるのも仕方がない。
その激昂の言葉に対してのチームからのメッセージが『Dear Kimi, we will leave you alone now』(親愛なるキミへ、これからはあなたを放っておけるよ)というわけだ。
ワールドチャンピオンに輝いたライコネンが、F1から去ることへの愛情に満ちている。いかにもイタリアチームらしい粋なメッセージである。

決して優等生ではなかったが…

ライコネンがメディア嫌いであり、群れない性格であることは広く知られている。記者会見の壇上でも、インタビュアーからの質問に満足に答えず、席を立ったことも少なくない。もともと人見知りの性格なのか、あるいはプライベートに対する話題を嫌うのか、メディアが喜ぶような優等生的なコメントを残さずにF1を戦った。
それを訝しむ論調も少なくなかった。モータースポーツがエンターテインメントの性格を色濃くもつ以上、マスコミに対して気の利いたメッセージを送る必要がある。かつては約1時間の記者会見を義務化していたこともあるほど、主催者はメディアを大切にした。メディアにとってもそれは大歓迎で、世界にモータースポーツの魅力を発信するためのコメントを欲していた。それをライコネンは嫌っていたのである。
ぶっきらぼうな言い回し。無愛想な表情。
だが、それがライコネンという類稀なる才能を秘めたドライバーの個性を一層強調することになった。あだ名は「アイスマン」。無表情で無愛想で無口。だが速い。強い。スピードと勝利だけに固執するライコネン…というキャラクターを作り上げたのである。
通信技術の発達に乗じて、レース中のチーム無線が公開される時代になって久しい。レース中のドライバーは危険を背負いながら音速の速度で戦っている。だからこそ、感情が露わになる。レース中のチーム無線は感情の発露だから、観戦している我々には興味深い。素の姿をそこから覗き見ることができるからだ。
そこにライコネンの本当の表情が垣間見られた。

ドライバーの教育が行き届いている

一方でドライバーが養成される過程において、紳士的で無難なコメントやメッセージを残すように教育されることもある。レース後にはまずチームと関係者への感謝の気持ちを伝え、マシンやタイヤといった道具への不満はタブーだと教えられる。
マシンの不具合を指摘すれば、それはマシンを作り上げた開発陣への不満であり、パーツの性能不足を口にすれば、サプライヤーへのバッシングになる。だから本心を包み隠し、そのレースで行われた現象を伏せて、優等生的なコメントを残すのが正しいと教育されるのである。

だが、あまりに優等生的な判で押したようなコメントを強いることには、どこか抵抗感がある。もちろんドライバーは大人であり社会人でもある。公人だと言えなくもない。だからこそ社会的な影響力を頭の片隅に置きながら発言する必要があるのかもしれないが、ドライバーが素直に本音を口にすることでキャラクターが育つ。ライコネンのようにだ。

とあるプロ野球選手が、コメントのお仕着せに対して同様の意見を述べていた。勉強が嫌い。縛られるのが嫌い。だからプロ野球選手になった。いまさら机に座って学ぶ時間があったら、グラウンドでバットでも振るよ。まさしく正論である。

ちなみに、F1でのチーム無線は公開されるものの、数秒のタイムラグがある。ライブ放送がすべからくタイムラグを意識的に作っているのは、放送禁止用語への対応だ。 F1のレース中に度々「フ※※※ク…」や「ピーーーーー」が走るのはそれだ。チームの作戦がライバルチームに流れることへの対応でもあるが、多くは使用をわきまえるべきコメントへの対応なのである。
だからこそ、その裏側を想像するのが面白い。ドライバーとて生身の人間であり、音速の世界で疾走することで感情が露わになる。それを観るのもエンターテインメントである。感情を想像することで、より一層モータースポーツが魅力的に輝くのだ。

かつて強烈なヒール役で名を馳せたドライバーの多くは、辛辣なコメントを口にすることが多かった。ナイジェル・マンセル。ファン・パブロ・モントーヤ。彼らの感情にはスター性があった。
プロレスにせよ、ナスカーにせよ、そしてもちろんF1にせよ、自由な発言が話題を呼びキャラクターを磨き上げる。
その証拠に、引退した今になってもライコネンの現役時代のコメントはYouTubeで再生されている。フォロアーも少なくない。人間らしさがコメントに表れる。それが、モータースポーツがスポーツと言われる所以だろう。
これらが発するコメントも含めてモータースポーツであるような気がする。

キノシタの近況

最近バイクにご執心なのだが、ゆったりツーリング派のホンダ・レブル1100がなかなかいい。同じ系統のヤマハ・ボルトRもまたいい。エンジンの鼓動がずしずしと伝わってくる。ただね、メーカーによって味付けに個性がある。ホンダは優等生。ヤマハはヤンチャである。いわばレブル1100はトヨタ的? ボルトRはホンダ風。クルマの世界同様、バイクも個性それぞれで楽しいっす。

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