342LAP2023.06.21
「大リ―グの姿勢に学ぶ」
大谷翔平の活躍を見るまでもなく、米国メジャーリーグが世界一ハイレベルな野球を繰り広げていることは明白だ。選手の年棒は想像を絶する数字であり、そこにはアメリカンドリームが存在する。WBCでは日本に軍配があがったとはいえ、プレーのレベルは世界一と言っていいだろう。興行として大成功している。そんなメジャーリーグでも、現状に甘んじているわけではなさそうだ。休むことなく改革を進めている。
ピッチクロックという新制度
今季から大リーグでは、新たなルール「ピッチクロック」が導入された。ピッチャーがバッターにボールを投げるまでの時間を制限する。
投手が球を受け取ってから投球動作に入るまでの時間は、ベースにランナーがいる場合は20秒以内、ランナーがいない場合は15秒以内と決められた。これに違反すると、無条件に「1ボール」が宣告されてしまう。
その時間を示す「ピッチクロック」は、バックネットサイドに大きく電光表示されている。ピッチャーの目に飛び込んでくるほどの大きなサイズであり、バッターにも確認できる。スタジアムの誰もが確認できるように表示されている。
一方、バッターにとっても時間制限がある。ピッチクロックが残り8秒になるまでに打席に入らなければならない。違反したら「1ストライク」が宣告される。もしその時点で2ストライクを取られていたら、その瞬間に三振になるという仕組みだ。
先日、消化不良のゲームセットが起こった。9回裏の攻撃、2アウトで迎えたバッターのカウントは3ボール2ストライク。そこでバッターが打席に立つのが、8秒を超えた。ストライクが宣告されゲームセット。なんとも後味の悪い幕切れになったという。だがそれもルール。
なぜ、そんなルールが適用されたのか。その理由は、ゲーム時間の短縮にある。大リーグにも「野球離れ」が起きているという。大谷翔平やヌートバーの活躍が華やかに報じられている日本では想像できないが、たしかに大谷翔平が先発とDHで出場する二刀流試合であっても、スタンドには空席が目立つ。オールスターファン投票でトップになった大谷翔平もってしても、いつもスタジアムを満席にできるとは限らない。メジャーリーグ機構が危機感を募らせるのもわかる。
その野球離れの原因のひとつが、「ダラダラと試合が間伸びすること」だという。ピッチクロックは、ピッチャーやバッターをダラダラとさせず、試合時間を短縮させるための施策なのだ。
試行錯誤を繰り返している
感心させられたのは、これまで長い歴史を持つメジャーリーグでさえ、改革に積極的なことである。野球という競技には、伝統と格式と根強い人気がある。ルールは複雑だが、これまでの長い歴史によって完成した形である。それを破ってまで改革を推し進めようという姿勢に頭が下がるのだ。それほど危機感を覚えているという意味でもあるけれど…。
はたしてモータースポーツは、そのような積極的な改革に取り組んでいるのであろうか。競技としては世界的レベルでメジャーであり、すでに興行として認知されている。
乗り物という道具を使うために日々形態は変化しているから、それに応じてレギュレーションの変更はなされている。
BOP(バランス・オブ・パフォーマンス)やウエイトハンディキャップなどは、その典型的な例だろう。速いものが勝つ。速いマシンが勝つ。その根源的な意味合いを覆してまで、興行としての価値を求めた。
過去にはシュートアウトなるレース形態にもトライしたり、予選タイムで勝るドライバーを後方からスタートさせるリバースグリッド方式も試された。スーパーフォーミュラでは、オーバーテイクスイッチが導入されている。試行錯誤が繰り返されている。
ただ、セーフティーカーの介入では運不運が介在し、レースをしらけさせる場面もある。スーパーGTは独自に、世界でも例を見ないセーフティーカーシステムを採用しているが、それでも特効薬には至っていない。レースをスリリングなものにするために関係者は弛まぬ努力をしてはいるものの、それがかえってレースの魅力を削ぐ場面も少なくない。
レースはバトルがあって初めてレースであるはずなのに、バトルを避けるためにオープニングラップでのピットインを許している。規則で許されている以上、それが有効だと悟れば多くのチームがそれを実行する。そして勝つ。本質を見失っていないのだろうか。時には不安になるのである。
レースは間伸びしていないのだろうか。サッカーやラグビーと違い、メジャーリーグやモータポーツは、競技時間が決まっていない。何が起ころうと、40分や45分で終わる球技とは異なり(ロスタイムを除けば)、24時間や12時間と時間を区切った耐久レースを除けば、天候やレース展開によって競技時間が延びる。
終了時間が変動することに、観客はさめてはいないのだろうか。不安に思うことがある。
個人的にメジャーリーグが採用したピッチクロックは、両手をあげて賛成しているわけではない。野球にはピッチャーとバッターの間合いによる微妙な駆け引きがあるし、その時間にプレーを予測する面白みもあるからだ。ピッチングマシンに急かされるようにプレーが進むことには、多少の抵抗がある。レースに関しても同様だろう。
アイデアは尽きない
先月号のオートスポーツ誌では、「ダウンフォースを捨てたらどうなる?」というタイトルで、新しいフォーミュラのスタイルを提案している。目から鱗の仕掛けに感心した。僕もかねてから、タイヤサイズを狭めることを提案している。なかなか主催者の琴線に響かず、アイディアはタンスに仕舞われたままなのだが、ハイレベルなレースの割には人気がない。ここではドラスティックな改革が求められているような気がする。
一方で、もっとシンプルにすべきだとする考えもある。これまでトライしてきた数々の試作は、興行として魅力的にするためのアイディアだが、複雑になりすぎていると思うこともある。バトルが増えることは、たしかに観客の興奮を誘う。だが、いわば強制的に作り込んだバトルが、レースの本来の魅力をスポイルしてはいないだろうか。そんな思いも捨てきれないのだ。
バトルは増えたけれど、圧倒的な強者が生まれにくい。かつての長谷見昌弘先輩や星野一義先輩のように、憎たらしいほど勝ちまくることでドライバーがスターになる。そんなスターの走りを観たくて観客が集まる。そんなスタイルがあってもいいのではないかと、心のどこかでは思っている。
メジャーリーグでは、ピットクロックと並行して、極端な守備シフトを禁じた。いわば「大谷シフト」と呼ばれるもので、ライト方向で打率の高い大谷翔平を封じるために、野手三人が1-2塁間を守ることを禁じたのだ。
守備体系は、長い歴史の中で自然発生的に構築されたものであろう。だとするならば、どこを守ろうとチームの自由なのだが、それを規制した。それによって、バッターは有利になる。結果として、野手のファインプレーが増えることを期待している。
ベースのサイズを大きくしたという。それによって塁間の距離が短縮され、盗塁が増えることを期待しているという。歴史あるベースボールも改革に柔軟なのである。
モータースポーツで、どのアイディアが有効かはここでは判断できないが、一度基本に立ち戻るのも改革のひとつだろうし、ドラスティックな改革もいい。まずは、前を向いて進んでみることを期待したい。
キノシタの近況
ニュルブルクリンク24時間では、歴史上初めてフェラーリが総合優勝した。ル・マン24時間もフェラーリが優勝。耐久力が問われるレースで、フェラーリ旋風が起きている。フェラーリもドラスティックな改革を進めているに違いない。