様々な「涙」と、続く「もっといいクルマづくり」への挑戦 ― 2019年ニュルブルクリンク24時間レースレポート ―

様々な「涙」と、続く「もっといいクルマづくり」への挑戦
― 2019年ニュルブルクリンク24時間レースレポート ―

2007年から途切れることの無い
“いいクルマづくりへの挑戦”

 2007年にニュルブルクリンク24時間(以降 ニュル24時間レース)の挑戦をスタートさせたGAZOO Racing。それ以降一度も途切れることなく活動は続くが、その間に色々な変化があった。

 2007年にニュル24時間レースに初参戦した時のマシンはアルテッツァ。このモデルは2005年に生産が終了しており、中古車をベースに製作されたマシンだった。体制もトヨタの名を使うことも許さず、例えるならば「同好会」レベルだった。マスターテストドライバーだった成瀬弘と共にGAZOO Racingを立ち上げたモリゾウこと豊田章男は当時のことをこのように振り返る。
「トヨタはニュル24時間レースに向けて中古車でトレーニングを行ない、中古車でニュル24時間レースに参戦しました。しかし、他の自動車メーカーは2~3年後に出るはずの、ニューマシンで参戦している。当時、私と成瀬さんは、『トヨタはいつも“抜かれるクルマ”ではなく、“抜くクルマ”も作りたい。そして、そんなクルマでレースに出たい!!』と」。

 2008-2009年はニュルという場を用いて開発を行なうために未発表のプロトタイプ「LF-A」での参戦し、2010年はGAZOO Racing初のクラス優勝を獲得。翌年2011年には速さの証明である「ブルーライト」を獲得した。2012年はLFAに加えて86の参戦をスタート。2013年は悪天候の中での人の強さを実感し、2014年はGAZOO Racing初となる参戦3クラス制覇した。2015年から「TOYOTA GAZOO Racing」として参戦。昨年2018年はLCでの参戦をスタートした。ニュルは時に微笑み、時には牙をむき、様々なドラマや課題をチームに与えてきた。

 しかし、初参戦以来変わっていないのは、このレースへの参戦の目的だ。それは世界で最も“過酷”と言われるコースでおこなわれる24時間の“極限”のレース活動を通じて、「クルマ・人・チーム」を鍛え、“いいクルマ”にするための“開発の場”であると言う認識だ。ただ、勝ち負けを狙っていないか……と言うとそうではなく、「各々に与えられた課題をシッカリとこなしていけば、“結果”はおのずとついてくる」と言う考え方だ。

LEXUS LCとGRスープラ。
2台体制で臨む13年目の挑戦

 13回目の参戦となる2019年は、2年目の参戦となる次世代技術が盛り込まれた先行開発車両「LEXUS LC(以降 LC)」と17年ぶりに復活を遂げたフラッグシップスポーツ「GRスープラ(以降 スープラ)」の2台体制。かつてのモリゾウが描いた想いが実際に具体化されたのだ。

 6月19日、TOYOTA GAZOO Racingのニュル24時間レースの始まりは、ニュルブルク近郊の一般道の脇に日本とドイツの二本の桜が植えられている小さな公園にチームメンバー全員で訪れることからスタートする。その桜の先に見えるのは成瀬が2010年にLFAの開発テスト中に事故で亡くなったコーナーだ。ここでニュル24時間レースの活動の道筋を作ってくれた成瀬にレースでの安全と各々の目標を伝えた。

予選1

 実質的なレースの幕開けは6月20日のフリープラクティスと予選1回目だ。LCのチーフメカニックの関谷利之は「事前テストの距離は国内/ニュル合わせて7,000km、不安な所は全て洗い出しできています。ただ、ニュルには神様や敵もいますので」と。一方、スープラのチーフメカニックの田中英幸は「車両を製作し走り始めたのが4月。距離的にはあまり走っていないので不安がないかと言えば嘘になります。しかし、現状で抱える不具合に対しては改善済みです」と対照的だ。

 午後に行なわれたフリー走行は、途中でバケツをひっくり返したかの大豪雨で赤旗中止となったが、中止後には天候が回復するなど初日からニュルブルクリンク特有の天候に翻弄され、LC/スープラ共に満足に走ることはできなかった。

 1回目の予選は20時30分から3時間。日没からのナイトセッションでのアタックとなる。天気は回復、路面は乾き始めているが、場所によってウェットとドライが混在する非常に難しいコンディションだ。
 ニュル24時間レースの予選は、全てのドライバーが決勝を走る権利として「2LAP計測」を行なう必要があるが、ここではLCは4人、スープラはモリゾウ選手を除くドライバーの3人が2LAP計測をクリア。ベストタイムはLCが蒲生尚弥選手の9分14秒186(総合54位/SP-PROクラス1位)、スープラは佐々木雅弘選手の9分38秒030(総合74位/SP8Tクラス6位)だ。ちなみに前日に凄腕技能養成部の矢吹久選手に代わりスープラのドライバーとしての参戦を発表したモリゾウ選手は、まずはマシンに慣れるために予選アタックを行なわずGPコースのみの走行となった。

予選2

 6月21日、昨日の天気とは打って変わって晴れ模様のドライコンディション。予選2日目は14時55分から1時間50分と短いため、ベストラップを出すためにはピットアウトのタイミングも重要となる。LCは蒲生選手と松井孝允選手の2名がアタック、ベストタイムは蒲生選手が出した8分34秒255(総合35位/SP-PROクラス1位)だ。
 蒲生選手は「VLN1から試してきた事の集大成としていい状態で走れたと思います。コース状況が良ければタイムを縮められたと思いますが、実力は出せたと思います」。
 ちなみにスープラはタイムアタックを行なわず、モリゾウ選手のみの走行で2LAP計測を含む計5周を走行。予選99位/SP8Tクラス7位からのスタートとなった。
「これまで色々なクルマでニュルを走ってきましたが、新型スープラはそのどれよりも安心して走ることが可能で、最後の何周かはニュルを楽しむ事もできました。しかし、走行後に私のインカー映像を見た佐々木選手にシッカリと指導を受けましたが(笑)」とモリゾウ選手は語った。

 6月22日、決勝レースの日。例年だと9時10分から1時間のウォームアップ走行に参加するのだが、今年はLC/スープラ共に走行は行なわない。前日にセットが決まっているので走行させる必要がない……と言う判断だ。メンバーの多くはニュル24時間レースの戦いを前にシッカリと休息を取った。

 11時30分、この挑戦に関わる関係者全員がチームテントに集まり“決起会”が開催された。チーム代表でありドライバー・モリゾウでもある豊田はこのように語った。
「24時間レースが始まります。先週行なわれたル・マンは世界選手権でワークスの戦い。トヨタはプロとして世界チャンピオンを狙う戦いをしてきました。一方、ニュルはワークスと言うより、いわばトヨタ自動車がプライベーターとして参戦する戦いだと思っています。今年で13回目の挑戦となりますが、2007年のチームの姿に戻りつつあると思っています。なぜダーネンスと共にスープラの味付けを担当した矢吹ではなくモリゾウがドライバーなのか? 実は矢吹に『ニュル24時間でスープラに乗りませんか?』と聞かれました。自分は2016年のRCで最後だと思っていましたが、スープラの復活、そのスープラをニュルで成瀬さんと一緒に走らせたい、成瀬さんが育てたメンバーと共に戦う姿を見せたいと思いで参戦を決意しました。

 今年の目標は1周でも多く、1mでも長く、1秒でも多くクルマを走らせる事。これはドライバーだけでなくメカニック、エンジニア、応援団、更にはこの戦いを伝える中継スタッフやメディアの皆さんも心を一つにしないとできません。まずは安全、そして最後は笑顔でスタートユアエンジン!!」と語った。

決勝

 スタートドライバーはLCが蒲生選手、スープラがモリゾウ選手。15時30分、24時間の戦いがスタートした。どちらも大きな混乱もないクリーンなスタートで順調に周回を重ねていく。ほぼ同タイミングでLCは松井選手、スープラはウヴェ・クリーン選手に交代。
 ウヴェ選手はレーシングチーム「Ring Racing」のオーナーでありながら、ニュルの走行経験も豊富なドライバーだ。
「10年前にGAZOO Racingがニュル24時間レースの活動を行なうと聞きサポートを始めましたが、チームは年々素晴らしい成長をしていきました。今回チームメンバーとして迎え入れていただいた事も感謝しています。マシンも乗り易く素晴らしかったし、スーパースターの皆さんと一緒に走れて光栄でした」。
 ウヴェ選手が運転するスープラは予選タイムを超える9分20~30秒台で走行するも、無線で「ATが勝手にシフトアップしてしまう」と報告。その後、佐々木選手に交代してからも同じ症状が出ていたが、エンジニアの診断で「気温が想像よりも高く、水温も高いため保護回路が働いてしまっている」と。その後システムのリセットで解決。

 LCは松井選手からニュル24時間レース2回目の参戦となる中山雄一選手に交代。「マシンの状況は凄く良く、トラフィックの量を考えるとタイムも上がっている。走れば走るほどニュルの奥深さ、攻めたら攻めた分だけでの面白さが感じられるマシンに仕上がっています」と、こちらも高い評価だがイエロー区間で減速した際に後ろから来たGT3マシンがリアに接触。しかし、ディフューザーが欠けた程度でクルマには問題なかったため、次のピットインで補修を実施。

ニュルが牙を剥いたナイトセッション

 日が暮れ始めた22時前後にコース上の至る所でクラッシュが続出したが、2台はそこに巻き込まれることもなく順調に走行を続け、スタートから6時間後の22時30分の時点でLCは27位、スープラは73位(SP8Tクラス2位)までジャンプアップ。しかし、そんな2台にニュルは牙を剥いた。

 すっかり日が落ちた23時頃、LCに乗る松井選手がドライバー交代のタイミングで、「トランスミッッション不調」と報告。マシンはそのままピットに入れて確認をすると、トランスミッションからの大量のオイル漏れを発見し、関谷はトランスミッション交換を決断。約2時間に渡る交換作業によってコースへ復帰させたが、順位は111位と大幅ダウン。

 そんなLCのピットインとほぼ同タイミングでスープラに乗るウヴェ選手より「GPコースで他車と接触」と言う無線連絡と共に緊急ピットイン。右ドア付近が損傷していたが応急処理を実施。迅速な作業でロスタイムは最小限に抑えられコースへ復帰。
 LCのチーフメカニックの関谷は「トランスミッションにドライブシャフトを止めるボルトが緩みミッションからドライブシャフト側にオイルが回ってしまいました。トラブルの原因は分かっていませんが、言い訳はできません」と語る。
その後、2台は何事もなかったかのように順調に走行を重ねた。

ゴール

 夜が明けた7時過ぎにスープラは佐々木選手からヘルフィ・ダーネンス選手の交代のタイミングでブレーキ交換を実施。メカニックの迅速かつ正確な作業によって給油/タイヤ交換と言った通常のルーティン作業内に交換を完了。また、通常のルーティン作業自体も規定時間より速く完了するなど、彼らの成長も著しい。
 ダーネンス選手は新型スープラの走りに関する部分の味付けを担当した評価ドライバーで、成瀬さんの指導を受けた最後のお弟子さんの一人でもある。
「新型を開発するに辺り、継承したのはドライビングフィールとキャラクター、進化させたのは俊敏性です。ノーマルのクオリティが非常に高いため、安全装備や軽量化、スプリング&ダンパー、タイヤ&ホイール、ブレーキ、空力アイテムと言った程度の変更でもポテンシャルは大きくアップします。走りのフィーリングも45度線上にあるので誰でも非常に乗りやすいでしょう」

 10時半、モリゾウ選手は3回目の走行。元々は9時からの予定だったが時間変更されたのには大きな意味があった。決勝2日目の6月23日は成瀬さんの命日だが、実は事故にあった時間が10時半。モリゾウ選手は手を合わせて乗り込んだ。
「成瀬さんの亡くなった時間にハンドルを握るのに非常に緊張しました。色々な思いが頭の中あり、正直言うと運転する所ではなかったのが正直な感想」と語るが、実はこのスティントで記録したタイム(9分48秒)は今回の自己ベストである。恐らく成瀬さんが横で運転の指導してくれていたのだろう。

 ゴールまで残り4時間、再びLCにトラブルが襲う。中山選手の走行時に「トランスミッションがおかしい」と連絡。予定より早めにピットインさせ確認。原因はトランスミッションではなくクラッチと判断しクラッチのエア抜きを実施。ピットに入れてから作業を完了させピットアウトするまで僅か10分、その速さに他チームのメカニックから作業後に自然と拍手が上がった。
 LCはゴールまで残り1時間で蒲生選手から最終スティントを担当する松井選手に交代。
「関谷さんから『ペース上げていいよ』と言う無線を聞いて攻めると楽しく乗れました。このマシンはとにかく乗って楽しい、そこが最も進化した部分だと思っています。これは1年かけて開発に携わってくれた皆さんのおかげです。最後を任せてもらいゴールまで走らせたのは、本当に嬉しかったです」。

 スープラはゴールまで残り30分でウヴェ選手からモリゾウ選手に交代。この2台はコース上で落ち合ってランデブー走行を行ない、スタートから24時間後の15時30分にチェッカーフラッグを潜り抜けた。総合順位は、スープラが、ほぼノントラブルで24時間を走り切って41位(SP8Tクラス3位)、LCはトラブルもあったが、その後の追い上げで総合54位(SP-PROクラス1位)だった。

様々な「涙」と、
続く「もっといいクルマづくり」への挑戦

 ゴール後、チームメンバー全員を集めてミーティングが行なわれた。
 LCのドライバーのリーダー・土屋武士選手は「ありがとうございました、その一言に尽きます。僕は引退して戻ってきたドライバーなので、繋いでいこうと言う意識が強かったですが、それができたのは若い3人がいい走りと共に信頼できるドライバーに成長した事を実感したからです。このチームは本当に“最高”です。残念なのはゴールでこの楽しみが終わってしまったことです」と感謝の意を述べた。

 新型スープラと共にニュル初参戦を果たした佐々木選手は「声を掛けていただいてから、新型スープラでレースすると言うプレシャーがありましたが、自分でできることを最大限に行なってきたつもりです。VLN1からチーム/スタッフに協力をしていただき、ノーミスで24時間シッカリ走れたのは皆さんの力があってこそ。更に結果は3位と言うオマケもつきました。もの凄く嬉しいです」と、すっかりTGRファミリーの一員である。

 スープラのチーフメカニックを務めた田中は「今まで4時間しか走ったことのないクルマでしたが、ほぼノントラブルで24時間を走り切ることができました。背負うモノも大きかったですが、ドライバーのチームワーク、サポーターの協力、そしてメカニックと共にやり切った結果です」と語る目には涙が溢れていた……。

 一方、同じ涙でもLCのチーフメカニックを務めた関谷は悔し涙だ。「去年の反省から『見返してやろう』と思って臨んだ今年のニュル24時間レースでしたが、またやられてしまいました。ただ、クルマは負けましたが、メンバーは決勝の時が最もシッカリしていたので勝ちだったかな……と」。

 そして最後はモリゾウ選手だ。
「最初に皆さんありがとうございました。
 今日は成瀬さんの命日です。元々は3回目のスティントは9時からでしたが10時半に変更となりました。その意味を自分なりに考えるとまさに事故が起きて亡くなった時間であると。成瀬さんの亡くなった時間にハンドルを握る……非常に緊張しました。3回目のスティントは『スープラのカムバック』、『ニュルへの13回目の挑戦』と色々な思いが頭の中に入って、正直運転するどころではなかったのが、正直な感想です。
 成瀬さんが亡くなった時、葬式の場で『やりたいと思う奴だけでいい、付いてきて欲しい』と始まったGRの活動。これが今ではこんなに多くの方々に応援され、もっといいクルマづくり、そして人材育成のど真ん中に来ています。本当にここまで支えてくれた皆さんに感謝を申し上げたいと思います。
 成瀬さんの話になると私は涙ぐんでしまいますが、なぜかと考えたらそれは『悔しさ』です。13年前にトヨタも名乗れず、このニュルの場所で成瀬さんとほぼ2人、プライベーターよりも小さな手作りのチームで参戦を行ないました。
 その時、『誰からも応援してもらえない悔しさ』、『何をやってもまともに見てくれない悔しさ』、『何をやっても斜に構えて言われてしまう悔しさ』、『生産中止になったスープラで走る悔しさ』と、全ての悔しさは成瀬さんが亡くなった2009年6月23日に社長に就任した時からのずっとブレない軸になります。私が『もっといいクルマにしよう』としか言わないのは、全て『悔しさ』なのです。
 今日も悔しい涙を流した人がいます。その悔しさは自分を強くし、いい仲間を作り、もっといいクルマをつくると思っています。
 また、今回のニュル24時間レースはスタート、フィニッシュを含め4スティント担当させていただきました。もし、こういう日でなかったら、『矢吹、お前が乗りなさい』と言っていたはずです。ただ、6月23日/スープラ/ニュルと言うキーワードから、成瀬さんに『いやいやお前が乗れ、一緒に乗ろう!!』と言ってくれたような気がしています。
 また、ドライバーとしては足を引っ張ってしまったと思いますが、プロの3人が本当に私をカバーしてくれたと思う、ありがとう」。

 様々な想いがあった今年のニュル24時間レース。しかしブレていないのは、これがゴールではなく「もっといいクルマづくり」のスタートラインである事だ。来年、より成長した彼らの姿をニュル24時間レースの場で見ることができるはずだ。

※順位は7月8日 時点のものです