「もっといいクルマづくり」のスタートライン

2025年ニュルブルクリンク24時間レースレポート

「TOYOTA GAZOO Rookie Racing(TGRR)」としての参戦

6年ぶりの挑戦となる2025年のニュルブルクリンク24時間耐久レース。その体制はトヨタ自動車社員で構成される「TOYOTA GAZOO Racing(TGR)」に加えて、プロのレース集団である「ROOKIE Racing(RR)」が合体した「TOYOTA GAZOO Rookie Racing(TGRR)」としての参戦である。

TGRとRRのコラボレーションと言うと21年からスーパー耐久のST-Qクラスに参戦するカローラH2コンセプトを思い出すが、これまではRRがGRの開発委託を行なうと言う関係だった。それに対してTGRRは組織の枠を取り払い、より一体化された体制だ。つまりトヨタのエンジニア/メカニックとRRのプロフェッショナルが「もっといいクルマづくり」と言う同じ目的に向かって、“役職”ではなく“役割”で集まった集団だ。

どちらにも役割を持つモリゾウは今回の挑戦に「我々の『もっといいクルマづくり』はここから新たなスタートをする」と宣言した。なぜ、新たなスタートなのか? それはこれまでのGRのニュル24時間の歴史を振り返ると見えてくるものがある。

良く言えば“裏番組”として、悪く言えば“ゲリラ的”にスタートしたニュルの活動

2007年の初挑戦はモリゾウこと豊田氏とマスタードライバーの成瀬弘氏(故人)が立ち上げた“元祖”GAZOO Racingによるものだった。その目的は「人とクルマを鍛え、もっといいクルマづくりに繋げる事」、つまり究極の人材育成を行なう事だった。

2008年からこの活動に関わり、2025年はTGRRのGMを務める関谷利之はこう振り返る。
「当初のニュルの活動は現場の人間が主体でした。これは成瀬さんの『エンジニアを育てるためには、まず現場の人間が育たないとダメ』と言う考えによるものです。我々現場の人間は試作(=一品モノ)ではいいクルマを作ることができますが、それを量産化するのはエンジニアじゃなきゃできません。そのため、成瀬さんはまずは現場の人を鍛え、そこで鍛えられた我々がエンジニアを育てると言う流れを作ろうとしていたと思います」。

良く言えば“裏番組”として、悪く言えば“ゲリラ的”にスタートしたニュルの活動だったが、それが故に社内からはトヨタの名を使うことは許されず、自らを「GAZOO Racing」と名乗った。一見ワークスのように見えるが完全なプライベーターで、マシンはネッツトヨタ群馬から購入した2台の中古のアルテッツァ、参戦の費用は自らスポンサー活動を行ない捻出しての挑戦だった。

モリゾウの言葉を借りると「孤独な戦い」としてのスタートだったが、その活動は徐々に理解され支持者が少しずつ増えていった。そして参戦10年目となる2016年にトヨタの名を冠したTOYOTA GAZOO Racingとしての参戦となった。マシンも発売前のプロトタイプを鍛えるだけでなく、将来のための先行技術も投入されるようになった。

しかし、この挑戦が定番化されるとその規模は良くも悪くも大きくなり、本来の趣旨とは違う方向に進もうとする流れがあったのも事実である。モリゾウはこのように語る
「レースと言うとすぐに“結果”を求める人がいますが、私はそこに至る“プロセス”が重要だと考えます。そして、この活動で最も大事な事は、ここがゴールではなく『もっといいクルマづくり』のスタート地点であると言う事。これが理解できないとやる価値はありません。残念ながら長く続けてきて、この活動の意義が希薄になり、『ちょっと違うよね?』と言った反省もありました。だからこそ今、原点(モータースポーツの現場で進めるもっといいクルマづくり)に戻るべきだと」。

GRヤリスが『ニュルでも通用するのか?』を確認する事もミッションの1つ

今回参戦するマシンは109号車のGRヤリスDATと110号車のGRスープラGT4 EVO2。これに109号車をサポートする382号車GRヤリスDATを加えた3台体制となる。109/110のゼッケンは2007年に初めて参戦した時の2台のアルテッツァと同じで、ここにも原点の意味が込められている。ちなみに109号車には「MORIZO」の横に「H.NARUSE」のネームステッカー、ピットには赤いレーシングスーツを身に纏った成瀬氏の写真、ピット2階のラウンジには成瀬氏のTGRR仕様のレーシングスーツが飾られている。そう、チームは今も成瀬氏と一緒に戦っているのだ。

過去のニュル24時間参戦マシンを振り返ると、レクサスLFA、86、GRスープラと言った発売前のプロトタイプに加えて、LFA CodeX(2014/2015年)やLCをベースにした開発車両(2018/2019年)と比べると今年のマシンは“大人しいクルマである印象”だ。チーフエンジニアの久富圭はこのように語る。
「GRヤリスはレースやラリーなど様々なモータースポーツを通じて鍛えてきましたが、ニュル24時間はコロナの影響もあり参戦をしていません。我々がモータースポーツを起点に開発してきたGRヤリスが『ニュルでも通用するのか?』を確認する事もミッションの1つです。そのためマシンはレースのレギュレーションに合わせてアイテムを追加した以外は、基本的には量産スペックです」。

チームは2023年秋からクルマづくりや国内外でのテスト、そして4月のNLS参戦などを含めて入念に準備を進めてきた。久富は更に付け加える。
「実はテストの時は色々なトラブルが発生、テストをしに来たのに全くテストにならない事もありました。ただ、自分が救われたのは石浦/大嶋選手はニュルを過去に経験しているので、『日本のサーキットではそうかもしれないけど、ニュルでは違うよ』とアドバイスを頂きながら開発できたのは大きかったです。もちろん、現時点でもまだまだな部分はありますので、レースウィークを通じて色々と学んで帰りたいと思っています」。

予選でのニュルの洗礼

6月17日、TGRRのニュル24時間レースはニュル近郊の一般道の脇に日本とドイツの2本の桜が植えられている小さな公園を訪れることから始まる。その桜の先には成瀬が2010年にLFAニュルブルクリンクパッケージの開発テストの期間中に事故で亡くなったコーナーが見える。ここでモリゾウを含むすべてのメンバーがニュル活動の道筋を作ってくれた成瀬に、レースでの安全と各々の目標を伝えた。

6月18日、ニュルから10分くらいにあるアデナウの街で「アデナウレーシングデー」が開催。ニュル24時間を戦うレーシングカーとドライバーたちが公道でパレードすると言う何ともスペシャルな企画だ。このイベントはオーガナイザーがランダムに選んだチームに声が掛かるのだが、TGRRに2007年の初参戦以来初となる出演依頼が来た。そこでチームはモリゾウ以下ドライバー総出で参加。会場は週の半ばにも関わらずクルマが通れる隙間はないくらい「人・ヒト・ひと」の波。戦い前の和やかな雰囲気の中、皆がファンとの交流を楽しんでいた。

6月19日、予選1日目。昼間のセッションは順調に走行を行なっていたが、ナイトセッションで早速ニュルの洗礼を受けることに。382号車はジャンプした衝撃でエンジンが必要以上に動き燃料系の安全装置が作動してしまいコース上でストップ。一方、予選トップ争いをしていた110号車は、同じくジャンプした衝撃でギアがニュートラルになるトラブルが発生。退避スペースまで惰性で走行している時に速度規制違反(コード60を70㎞/hで走行)を取られてしまった(その結果、最後尾スタートに)。109号車も、前走車の飛び石によるウィンドウクラックが発生。ただ、チームは予備を持っておらず、急遽パドックに展示のGRヤリスMコンセプト(ミッドシップ4WDのプロトタイプ)のフロントウィンドウを外して対応する案もあったそうだが、なんとか新しいフロントウィンドウを調達し交換を行なった。

どれも致命的なトラブルではなかったものの、ニュル特有の路面環境が引き起こしたトラブルだった。エンジニアの一人は「GRの辞書に『順調』と言う言葉は無い」と気を引き締めた。ただ、久富は「この現象はこれまでニュルのテストでも出てきませんでしたが、逆を言えばその領域まで追い込めるクルマに仕上がったと思っています」と前向きである。とは言え、109/110号車共に4人のドライバーは2周の規定周回数の走行を行なう事ができた。

6月20日の予選2日目は110号車のみ走行を実施。その夜、チームはニュルのコースを一回りするツアーに参加。ニュルの起伏や路面の凹凸をリアルに実感するだけでなく、コース脇でキャンプを行なうファンとも交流を行なった。モリゾウは「昔から好きなイベントですが、唯一の抵抗勢力は成瀬さん。『レース前にお前ら何をやっているんだ‼』と怒られました。今回、私が楽しんでいる姿を成瀬さんはどのように見ているのかな?また怒られるかな(笑)。それに2012年のGAZOO Racingのウエアを着ているファンがいましたが嬉しかったです。ニュルの活動を続けてきたからこそ、そんな仲間達が変わらずいてくれることに勇気づけられました」と嬉しそうに語った。

2025年、我々のニュルへの挑戦の始まり

6月21日の8時半、この挑戦に関わる関係者全員がチームテントに集まっての全体朝礼が行なわれた。ここでモリゾウはメンバーにこのように語った。

「2025年、我々のニュルへの挑戦が始まります。今朝、私の部屋に新聞が届きました。そこにはGRヤリスの写真と、『トヨタはニュルに帰ってきた』の見出しと共に『第二の故郷にお帰りなさい』と言う記事が書いてありました。こんな出来事は今までありませんでした。かつて、モリゾウは豊田章男を隠すための存在でしたが、今は『モータースポーツを引っ張る人間』として期待をされ始めたんだと思っています。

昨日予選を走りましたが、久しぶりにニュルでアクセルを踏むことができました。何とかモリゾウの体も間に合いました。これまで今まで一緒に戦ってきてくれてありがとう。今日16時スタートで24時間の戦いが始まります。2007年のモリゾウではないモリゾウを参加させてくれたこと、本当に皆さんに感謝したいと思います。そのためにも、ぜひ完走してみんなとの成果物を取りに行きたいと思っています。よろしくお願いします」

大賑わいのグリッドウォーク。モリゾウの元に昨年勇退した元STI NBRチャレンジ総監督の辰己英治氏がやってきた。二人はニュルを一緒に戦ってきた同士、モリゾウはかつて辰己氏のエールで「ニュルの活動を絶対に続けていかなければ」と決心したそうだが、あの時のお礼を直接伝えることができた。

一方、一人だけ神妙な面持ちでGRヤリスを見ているエンジニアがいた。GRヤリスのチーフエンジニア・齋藤尚彦である。「最初は全く言う事聞かなかった“あの子”が、9年でこの場にいると思うと何とも感慨深いですね。ただ、モリゾウからは『ニュルは決して甘くないよ』と言われました」

レーススタート

16時にレースはスタート。序盤は混戦模様となったが109/110号車はアクシデントに巻き込まれることなく順調に走行を行なう。しかし開始から1時間半を迎える頃、ピットの停電でシグナルも給油も計時もできないためレースは赤旗中断と言う前代未聞の事態が起きた。2時間15分の中断後にリスタートしたが、それに合わせてモリゾウにドライバーチェンジ。石浦宏明選手が先導する382号車と共に走行を行なった。

実はモリゾウの体調を考慮して計画では3周の予定だったが、走り込むにつれて「もう1周」、「もう1周」と気が付けば6周を走行。モリゾウは走行後に「西日が厳しかったですが、思ったほど疲れませんでした。あと2~3周はイケるかな⁉ 今まで走行した中で一番走れたと思います」と実に爽快な表情だ。

一方、石浦選手は「今回はモリゾウさんがフリーで走れるペースで先導しました。すると、連続周回すると毎ラップコーナーの速度を上げられるので、2~3周よりも6周ぐらい走った方がどんどん速くなりますね。周回を重ねるにつれてどんどんとペースが上がり、逆に煽られるくらいでした」と苦笑いだった。

例年ニュルは時々刻々と変わる天候(特に雨と霧)に悩まされるが、今年はレースウィークを通じて夏模様の晴天。それが原因の1つなのか日が暮れ始めた22時以降にコースの至る所でクラッシュが続出。しかし、2台はそこに巻き込まることなく走行を続ける。ニュルにはナイター施設が無いので夜間はヘッドライトの明かりだけが頼りとなる。GRヤリスDATのヘッドライトは一見ノーマルと同じように見えるが、光量を大きく引き上げたニュルスペシャル。このような細かいパーツも鍛えられているのである。

これまでのニュルの挑戦を振り返ると、この時間帯には何等かのトラブルが発生しピットやチームテントはてんてこ舞いになっている事も多かったが、今年は何も起きない。そんな状況からあるエンジニアは「何も起きないことが逆に怖い」とポツリ……。チームテントではモリゾウも大好物の「KIZUNAカレー」がふるまわれ、ピリッとしたスパイスの刺激がメンバーの眠気を覚ました。

漆黒の夜から朝日が登り始めても、109/110号車は変わらずに走行を続ける。10時、モリゾウは2回目の走行である。1回目は体調を考慮してピット内でドライバーチェンジだったが、今回は他のドライバーと同じくピットレーンで行ないコースイン。

当初の予定は5周だったが、4周目に無線の不具合で緊急ピットイン。メカニックが即座に対応してコースへと復帰させたが、ここでの“数分”のみが、109号車が今回の24時間で唯一走行を止めた時間だった。その後、モリゾウは1回目と同じように「もう1周」、「もう1周」と周回を増やしていく。

そのインカー映像を見た、2007年からニュルの活動を続けている伝道師の平田は「クルマの走らせ方だけでなく速いクルマの抜かれ方など、そのドライビングに成瀬さんを思い出して感動した」と嬉しそうに語った。

「現在地を探すのも、今回のニュルのテーマ」

この走行をピットで誰よりも心配そうに見守っていたのは豊田大輔選手だ。
「モリゾウも色々な経験を積んでスキルアップしています。その“現在地”を探すのも、今回のニュルのテーマだと思います。ニュルに参戦できなかった間、日本のサーキットで鍛えてきた事を今試しているのでしょうね」。

モリゾウは以前、「ニュルを満足に走れなくなったらマスタードライバーは辞めます」と語った。実はこれと全く同じことを成瀬も語っていた。つまり、これがトヨタのマスタードライバーの“流儀”なのだろう。その一方で「果たしてニュルが、私を受け入れてくれるのかどうか? 昨年から体も壊し『やはり68歳(成瀬が亡くなった歳)という壁は越すことができないのか』と不安でした」とも語っている。つまり、今回モリゾウはそれくらいの覚悟を持ってニュルに挑んでいた。

最終的にモリゾウは9周を走行、1回目のスティントを合わせて計15周、歴代で最多周回である。走行後は「まだまだ走れる」と言わんばかりの表情で、思い通りのドライビングができた事に満足げな表情を見せた。

「クラッシュも多く道は荒れている状況でしたが、そんな中でも安心して走ることができました。今までの成瀬さんのテールランプを見て練習してきた事が、すごく役立ちましたね。8速ATは最高、これがなければ15周は走り切れなかったと思います。今回GRヤリスでニュルを楽しく走れた事、これに関してはとにかく『トヨタに感謝』、『みんなに感謝』です。ステアリングを握りながら、"一人ぼっち"だったもっといいクルマづくりにたくさんの"仲間"ができたことを実感しました」と振り返ったが、この時、目にうっすらと涙が浮かんでいた。

その後も変わらず走行を続ける。あまりの順調さに平田はメディアからコメントを求められたが、「これまで何度もギリギリでトラブルが襲った経験があるので、ゴールラインを超えるまで答えられない」と気を引き締める。その言葉の通り、残り3時間、110号車はトラブルと2回のパンクに見舞われた。ニュルは最後の最後まで気が抜けないのである。

24時間後のチェッカー

6月22日の16時、スタートから24時間後にチェッカーを迎えた。今年のニュル24時間は134台中完走したのは88台と、近年まれにみる荒れたレース展開となったが、109号車は総合52位(SP2Tクラス1位)、110号車は総合29位(SPクラス4位)で24時間をしっかりと走り切った。

レース終了後、関係者全員がチームテントに集まり全体終礼が行なわれた。ここでモリゾウはメンバーにこのように語った。
「ドライバーとしては自分が目標としていた15周を走ることができました。クラッシュや道が荒れている状況でしたが、それでも安心して走る事ができたのは、成瀬さんのテールランプを見て練習してきた事がとても役立ちました。

走行中に成瀬さんと会話をしました。私が『成瀬さん、私運転上手くなりました?』と聞くと、『これ以上に運転上手くなるなと言っただろお前、そうしないといいクルマは解らないよ』と言われました。でもすかさず私は、『運転が上手くならないと、いいクルマの味見ができませんよ』と言い返しました。

振り返ると、成瀬さんと一緒に2007年にGRを立ち上げた時は、誰からも応援してもらえなかったチームでしたが、今回はGRとRR……エンジニア、メカニック、ドライバーが融合したワンチームでの参戦。これは本当に嬉しく思っています。これが20年前にはやりたくてもできなかった事でしたので、ステアリングを握りながら“孤独”だったもっといいクルマづくりにたくさんの“仲間”ができたことを実感できました。今回の完走は参加してくれたみんなで得たものです。本当にありがとうございました、そしてご苦労さまでした」。

その後、チームからのモリゾウにサプライズのプレゼントをチーフエンジニアの久富とチーフメカニックの南剛史から贈呈。それはドライバーのサインと「お前が最高!」と書かれたGRヤリスDATのステアリングだった。喜ぶモリゾウが「お前ら最高!」と声を上げると、みんなは「お前が最高!」と言う歓声と共に大きな拍手が上がった。

6年ぶりの復帰戦としては最高の結果となったが、これがゴールではなく「もっといいクルマづくり」のスタートラインであると言う事。久富は「しっかり走り切った事で我々のクルマづくりは間違っていなかったと自負しています。ただ、この活動で得た知見は、次の市販車に織り込む事が私の課題であり使命なので、まだまだ終われません」と力強く答えた。すべてのメンバーが今回の経験を元に、一回り成長した姿を見せてくれるに違いない。

レース翌日の6月23日、あの2本の桜の下にはたくさんのお花が置かれていた。恐らくメンバーが完走の報告をしに来たのだろう。成瀬は今回のレースをどのように見ていたのだろうか?

「意外と悪くないな。でも、トヨタは少しでも目を離すとすぐ昔に戻る悪いクセがあるから気を抜いたらダメだぞ」