終わりなきクルマづくりの挑戦
何故TOYOTA GAZOO Racing はニュルブルクリンク24時間レースに挑み続けるのか?
何故24時間の耐久レースでなくてはならないのか?
それは、レースという極限な環境でしかできないクルマづくりがあるからである。
日本の自動車産業が黎明期の頃、クルマづくりは「トライ&エラー」によって技術や経験、
ノウハウが構築されており、そこで得た技術を実証するのが、モータースポーツであった。
「速さ」と「耐久性」という非常に単純な要素を競うものだったが、
レースで勝つ=いいクルマだと認めてもらえる=販売に結びつくと言う方程式も存在した。
トヨタ自動車創業者、豊田喜一郎の絶筆「オートレースと国際自動車工業」には、このような記述が残されている。
「これから乗用車製造を物にせねばならない日本の自動車製造事業にとって、耐久性や性能試験のため、オートレースにおいて、その自動車の性能のありったけを発揮してみて、その優劣を争うことに改良進歩が行なわれ、モーターファンの興味を沸かすのである。単なる興味本位のレースではなく、日本の自動車製造業の発達に、必要欠くべからずものである」。
モータースポーツの世界では、通常の走行では発生しない様々なトラブルや問題が発生し、それに対処することでクルマのレベルは大きく引き上がった。
当時は日本の主要自動車メーカー全てが同じ考えで積極的にモータースポーツに参戦、その実力をアピールした。
しかし、いつしかモータースポーツは「プロモーションの場」の要素が色濃くなり、トップカテゴリでは、モータースポーツ車両と市販車は完全に別物とまで言われるようにもなった。
そんな状況の中、モリゾウこと豊田章男とマスタードライバーの故・成瀬弘を中心に2007年発足したのが「GAZOO Racing」である。
その根底はモータースポーツを通じて人とクルマを鍛え、もっといいクルマ作りに繋げること、つまりモータースポーツの“原点”そのものである。
成瀬は「技術を伝承し、人材を育成する場としてレースは最高の舞台。大事なことは言葉やデータでクルマ作りを議論するのではなく、実際にモノを置いて、手で触れ、目で議論すること」と語っているが、そのステージとして選ばれたのが、世界最高峰の草レースと呼ばれる「ニュルブルクリンク24時間レース」への挑戦だった。
MESSAGE
“大事なことは言葉やデータで
クルマ作りを議論するのではなく、
実際にモノを置いて、
手で触れ、目で議論すること”
今や自動車産業は、技術やノウハウがデータとして蓄積され、
下手をすればデータのみで車両を開発することも可能な時代に、
非効率で懐古的とこの挑戦を見る人もいるかもしれない。
しかし、どんなに技術が進歩したとしても、その技術を活かすも殺すも、
クルマをつくる “人”次第であり、人を育てることが必要なのである。
2007年からニュルブルクリンク24時間レースへの挑戦にチーフメカニックやドライバーとして携わり、普段は市販車の評価ドライバーとして業務を担当している、トヨタ自動車社員、平田泰男は「ニュルで得られることは、技術的な事よりも精神的な事が大きいと思います。実際には、データ上やテストコースでは予想しない事がたくさん起きます。ましてやレースというよりニュル24時間のような極限の状態なら尚更です。それを“経験”することで、『いいクルマには何が必要か』という答えや基準を見つけることができ、その結果としてクルマも鍛えられるのです」と語る。
ニュルブルクリンクは「世界で一番過酷なテストコース」というのは良く知られているが、実は大事なのは「24時間連続して走る」という部分だ。
一発のタイムよりも、ドライバーがより快適で、楽に速く走ることが重要であり、それを実現させるには、クルマがドライバーの操作に対して意図通りに動くこと、つまり「意のままの走り」が必要となる。
「意のままの走り」を要約すると、「期待に反した動きをせず、ドライバーとクルマが一つの体になったかのようになだらかで巧みな連携が行なわれること」だが、日常の使用ではどんなクルマでも普通に走るため、「意のままの走り」とはどういったことかと思う人もいるはずだ。
日常の生活で操作するものとして、スマホを例にすると、あるボタンを操作する際に自分の操作に対して反応が早かったり遅かったりしたらどうだろうか? 恐らく使いにくいスマホだと判断するだろう。
ただ、操作に対してスマホは反応しているので、機能として見れば故障ではない。逆に操作に対して“阿吽の呼吸”で反応するスマホは違和感がないので使いやすいと感じると思う。
クルマも“阿吽の呼吸”で反応するか否かである。いいクルマと悪いクルマを比べるとその差は直感的に解ってしまう。意のままに操ることができるクルマは、誰もが「おっ」と驚く素直な反応や、まるで「運転が上手くなったような」感覚を持つが、それは決して気のせいではない。ましてやレースのような意識を集中しなければいけない極限状態では、意のままに走ることが重要なのである。
2018/2019年とドライバーを務めた土屋武士は、エンジニアというもう一つの顔を持つ。
「本物は走る場所を選ばない、それはレーシングカーも市販車も変わりません。
そういう意味では、市販車で参戦することは、ダイレクトにこれからのモデルに繋がっていきます。
ニュルはクルマを鍛えると同時に人を鍛える所です。
ドライバーは命がけでアクセルを踏んでいくので、
安心して走ることができるクルマにするためには何が大切なのかがおのずと解るはずです。
ニュルは知識や感性を磨ける場所。人が鍛えられるとおのずとクルマはよくなっていきます。
根拠が正しければ答えはちゃんと見つかるのです」。と語る。
MESSAGE
“本物は走る場所を選ばない、
それはレーシングカーも
市販車も変わらない“
ニュルブルクリンク24時間レースは、ただ成績を求めるなら、FIA-GT3のような量産レーシングカーで戦うことが必須であろう。が、それをしないで市販車をベースとした車両で参戦しているのは、市販車をベースにイチからクルマづくりを行い、ベース車両の良い部分、改善しなければいけない部分を把握し、極限状態でも安心して走ることができるクルマにしていくなかで、いいクルマとはどのようなクルマであるのかを体得することが目的だからである。
例えばトヨタ86は開発初期からニュルで徹底的に鍛えられたモデルとして有名だが、この流れは17年ぶりに復活を遂げたGRスープラにも受け継がれている。2019年のニュル24時間に参戦したGRスープラをドライブしたモリゾウは「これまで色々なクルマでニュルを走ってきましたが、GRスープラはそのどれよりも安心して走ることが可能で、最後の何周かはニュルを楽しむ事もできた」と語っている。
つまり、TOYOTA GAZOO Racingのニュルブルクリンク24時間レースへの挑戦は、レースと言う場に身を置きながらもレースをしているのではなく、クルマづくりのための挑戦を行なう場所なのだ。