Vol.06

6年ぶりのニュル挑戦(3/3)

レーススタート

16時にレースはスタート。序盤は混戦模様となったが109/110号車はアクシデントに巻き込まれることなく順調に走行を行なう。
しかし開始から1時間半を迎える頃、ピットの停電でシグナルも給油も計時もできないためレースは赤旗中断と言う前代未聞の事態が起きた。
2時間15分の中断後にリスタートしたが、それに合わせてモリゾウにドライバーチェンジ。石浦宏明選手が先導する382号車と共に走行を行なった。

実はモリゾウの体調を考慮して計画では3周の予定だったが、走り込むにつれて「もう1周」、「もう1周」と気が付けば6周を走行。モリゾウは走行後に「西日が厳しかったですが、思ったほど疲れませんでした。あと2~3周はイケるかな⁉今まで走行した中で一番走れたと思います」と実に爽快な表情だ。

一方、石浦選手は「今回はモリゾウさんがフリーで走れるペースで先導しました。すると、連続周回すると毎ラップコーナーの速度を上げられるので、2~3周よりも6周ぐらい走った方がどんどん速くなりますね。周回を重ねるにつれてどんどんとペースが上がり、逆に煽られるくらいでした」と苦笑いだった。

例年ニュルは時々刻々と変わる天候(特に雨と霧)に悩まされるが、今年はレースウィークを通じて夏模様の晴天。それが原因の1つなのか日が暮れ始めた22時以降にコースの至る所でクラッシュが続出。しかし、2台はそこに巻き込まることなく走行を続ける。ニュルにはナイター施設が無いので夜間はヘッドライトの明かりだけが頼りとなる。GRヤリスDATのヘッドライトは一見ノーマルと同じように見えるが、光量を大きく引き上げたニュルスペシャル。このような細かいパーツも鍛えられているのである。

これまでのニュルの挑戦を振り返ると、この時間帯には何等かのトラブルが発生しピットやチームテントはてんてこ舞いになっている事も多かったが、今年は何も起きない。そんな状況からあるエンジニアは「何も起きないことが逆に怖い」とポツリ……。チームテントではモリゾウも大好物の「KIZUNAカレー」がふるまわれ、ピリッとしたスパイスの刺激がメンバーの眠気を覚ました。

ヘッドライトの明かりを頼りに、周回を重ねる109号車

漆黒の夜から朝日が登り始めても、109/110号車は変わらずに走行を続ける。10時、モリゾウは2回目の走行である。1回目は体調を考慮してピット内でドライバーチェンジだったが、今回は他のドライバーと同じくピットレーンで行ないコースイン。
当初の予定は5周だったが、4周目に無線の不具合で緊急ピットイン。メカニックが即座に対応してコースへと復帰させたが、ここでの“数分”のみが、109号車が今回の24時間で唯一走行を止めた時間だった。その後、モリゾウは1回目と同じように「もう1周」、「もう1周」と周回を増やしていく。

そのインカー映像を見た、2007年からニュルの活動を続けている伝道師の平田は「クルマの走らせ方だけでなく速いクルマの抜かれ方など、そのドライビングに成瀬さんを思い出して感動した」と嬉しそうに語った。

この走行をピットで誰よりも心配そうに見守っていたのは豊田大輔選手だ。
「モリゾウも色々な経験を積んでスキルアップしています。その“現在地”を探すのも、今回のニュルのテーマだと思います。ニュルに参戦できなかった間、日本のサーキットで鍛えてきた事を今試しているのでしょうね」。

モリゾウは以前、「ニュルを満足に走れなくなったらマスタードライバーは辞めます」と語った。実はこれと全く同じことを成瀬も語っていた。つまり、これがトヨタのマスタードライバーの“流儀”なのだろう。その一方で「果たしてニュルが、私を受け入れてくれるのかどうか?昨年から体も壊し『やはり68歳(成瀬が亡くなった歳)という壁は越すことができないのか』と不安でした」とも語っている。つまり、今回モリゾウはそれくらいの覚悟を持ってニュルに挑んでいた。

109号車で駆け抜けるモリゾウ

最終的にモリゾウは9周を走行、1回目のスティントを合わせて計15周、歴代で最多周回である。走行後は「まだまだ走れる」と言わんばかりの表情で、思い通りのドライビングができた事に満足げな表情を見せた。

「クラッシュも多く道は荒れている状況でしたが、そんな中でも安心して走ることができました。今までの成瀬さんのテールランプを見て練習してきた事が、すごく役立ちましたね。8速ATは最高、これがなければ15周は走り切れなかったと思います。今回GRヤリスでニュルを楽しく走れた事、これに関してはとにかく『トヨタに感謝』、『みんなに感謝』です。ステアリングを握りながら、”一人ぼっち”だったもっといいクルマづくりにたくさんの”仲間”ができたことを実感しました」と振り返ったが、この時、目にうっすらと涙が浮かんでいた。

その後も変わらず走行を続ける。あまりの順調さに平田はメディアからコメントを求められたが、「これまで何度もギリギリでトラブルが襲った経験があるので、ゴールラインを超えるまで答えられない」と気を引き締める。その言葉の通り、残り3時間、110号車はトラブルと2回のパンクに見舞われた。ニュルは最後の最後まで気が抜けないのである。

6月22日の16時、スタートから24時間後にチェッカーを迎えた。今年のニュル24時間は134台中完走したのは88台と、近年まれにみる荒れたレース展開となったが、109号車は総合52位(SP2Tクラス1位)、110号車は総合29位(SPクラス4位)で24時間をしっかりと走り切った。

レース終了後、関係者全員がチームテントに集まり全体終礼が行なわれた。ここでモリゾウはメンバーにこのように語った。
「ドライバーとしては自分が目標としていた15周を走ることができました。クラッシュや道が荒れている状況でしたが、それでも安心して走る事ができたのは、成瀬さんのテールランプを見て練習してきた事がとても役立ちました。

走行中に成瀬さんと会話をしました。私が『成瀬さん、私運転上手くなりました?』と聞くと、『これ以上に運転上手くなるなと言っただろお前、そうしないといいクルマは解らないよ』と言われました。でもすかさず私は、『運転が上手くならないと、いいクルマの味見ができませんよ』と言い返しました。
振り返ると、成瀬さんと一緒に2007年にGRを立ち上げた時は、誰からも応援してもらえなかったチームでしたが、今回はGRとRR……エンジニア、メカニック、ドライバーが融合したワンチームでの参戦。これは本当に嬉しく思っています。これが20年前にはやりたくてもできなかった事でしたので、ステアリングを握りながら“孤独”だったもっといいクルマづくりにたくさんの“仲間”ができたことを実感できました。今回の完走は参加してくれたみんなで得たものです。本当にありがとうございました、そしてご苦労さまでした」。

その後、チームからのモリゾウにサプライズのプレゼントをチーフエンジニアの久富とチーフメカニックの南剛史から贈呈。それはドライバーのサインと「お前が最高!」と書かれたGRヤリスDATのステアリングだった。喜ぶモリゾウが「お前ら最高!」と声を上げると、みんなは「お前が最高!」と言う歓声と共に大きな拍手が上がった。

GRヤリスDATのステアリングを掲げるモリゾウ

6年ぶりの復帰戦としては最高の結果となったが、これがゴールではなく「もっといいクルマづくり」のスタートラインであると言う事。久富は「しっかり走り切った事で我々のクルマづくりは間違っていなかったと自負しています。ただ、この活動で得た知見は、次の市販車に織り込む事が私の課題であり使命なので、まだまだ終われません」と力強く答えた。すべてのメンバーが今回の経験を元に、一回り成長した姿を見せてくれるに違いない。

レース翌日の6月23日、あの2本の桜の下にはたくさんのお花が置かれていた。恐らくメンバーが完走の報告をしに来たのだろう。成瀬は今回のレースをどのように見ていたのだろうか?

「意外と悪くないな。でも、トヨタは少しでも目を離すとすぐ昔に戻る悪いクセがあるから気を抜いたらダメだぞ」