モータースポーツジャーナリスト 古賀敬介スペシャルコラム 「ル・マンな日々 2022」後編

ル・マン5連覇をワン・ツーで達成!
その影にあった2人の日本人選手の奮闘と苦悩… ~2022 ル・マン24時間レース/レビュー~

2022年のル・マン24時間。レース結果は8号車の優勝。しかもワン・ツー・フィニッシュで、TGRは5連覇を達成しました。しかし、その完勝の裏には小林可夢偉選手兼チーム代表、TGRドライバーとして初の最上位クラス挑戦となった平川亮選手の知られざる奮闘と苦悩があったようです。
「ル・マンな日々 2022」の後編は、モータースポーツジャーナリストの古賀敬介さんがル・マン現地で取材したTOYOTA GAZOO Racingの挑戦の模様を、日本人選手2人の姿を中心にレポートします。

レース前の超多忙すら楽しもうとするポジティブな可夢偉代表兼選手

 トヨタのル・マン24時間レース5年連続優勝、そして平川亮選手のル・マン24時間トップクラス初参戦&初優勝。その歴史的な瞬間を、僕は取材者として現地で見届けることができました。どのような展開のレースだったかについては、既に多くのメディアによって詳しく報じられていますので、ここでは僕が現地で、自分自身の目で見て、話しを聞き、感じたことを中心に今年のル・マン24時間を改めて振り返ってみたいと思います。

WEC 2022年シーズン ル・マン24時間 決勝スタートシーン表彰台を囲む大勢の観客

 レースウイーク前週末に行われる公開車検日を前に、チームはピットでGR010 HYBRIDの確認作業を行ない、その合間をみて選手たちはドライバー交代練習を行っていました。7号車の小林可夢偉選手もそのひとりで、実に馴れた身のこなしでクルマに乗り降りしていたのが印象的でした。しかし、自分の番ではない時も真剣な表情を崩さず、7号車だけでなく、隣の8号車のクルーや選手の動きにも細かく目を配っていました。そう、ヘルメットを被っていない時の可夢偉選手はチームの代表でもあり、2台のクルマとクルーの動きを俯瞰的に、等しく見なくてはならないのです。

小林 可夢偉クルーや選手の動きにも細かく目を配る小林 可夢偉

 その可夢偉選手の鋭い視線の先には、今年からTGRの一員として8号車をドライブする、平川選手の姿がありました。ヘルメットを被り、自分専用のシート型を両手で抱え、ブレンドン・ハートレー選手と何度もドライバー交代練習を繰り返す平川選手。「サーキットに到着して30分後にはドライバー交代練習ですよ。クルマのいろいろな部分に身体が当たり、かなり痛くなっています」と笑っていましたが、その時既に、日本国内のサーキットで会う時とは違う、雰囲気を彼に感じていました。普段からクールな表情でいることが多い平川選手ですが、ル・マンでの彼は、いつもと違う特別な緊張感を終始漂わせていました。

ル・マン24時間トップクラス初参戦となる平川 亮マシンに乗り込む平川 亮

 実際、平川選手はレースウイークを通してあまり良く寝ることができず、それが今までに感じたことがないくらい大きなプレッシャーによるものだったと、レース後に告白していました。国内のレースでも、決勝前夜にクルマのセッティングや作戦について考え始めてしまうと、寝られなくなることが多いという平川選手。ル・マンという、彼にとって特別な思いがある場所で、追い求め続けたシートに座り、興奮し、それと同時に巨大なプレッシャーを感じたのでしょう。取材をする立場の僕でさえも、このサーキットに足を踏み入れると、特別な高揚感と同時にとてつもない重みを感じます。やはりル・マンは、誰にとっても特別な場所に違いありません。

平川 亮サルト・サーキット ホームストレート

 一方、可夢偉選手は、ドライバーとして、チーム代表として、常に忙しそうでした。ドライビングやチームのマネージメント業務だけでなく、ゲスト対応や、メディアの取材にも応じなくてはならないため、身体がいくつあっても足りなさそうでしたが、僕がお願いした長時間の取材にも、チーム代表として実に真摯に対応してくれました。多忙なことを否定せず、自分に与えられた仕事をきっちりとやり遂げ、それを楽しもうとするその姿は、非常にはつらつとして見えました。可夢偉選手としては、チーム代表の仕事が増えたことでドライビングに影響が出たなどとは、絶対に思われたくなかったはずです。

 「これは僕にとって新しいチャレンジなんです」

 可夢偉選手はポジティブな姿勢を崩しませんでしたが、レース前から相当大きな精神的負担を抱えていたことは間違いないでしょう。

チーム代表としての仕事もこなす小林 可夢偉小林 可夢偉

日本人2人の対決。やるべき仕事に徹したルーキーに与えたい“100点”

 そんな彼らふたりが、コース上で初めてライバルとして対峙したのは、決勝日の日暮れ時。各号車3人目のドライバーとしてステアリングを握った時のことでした。僕はスタートからずっと、コースサイドで大型モニターやスマートフォンのアプリでレースライブを見ながら、写真を撮っていました。そこで感じたのは、例年以上にバックマーカーを抜かすのが大変そうだということです。他のハイパーカーとの性能差を埋めるべく、GR010 HYBRIDの車両重量はかなり重く、また、前輪モーターが作動してハイブリッドブーストが効き、四輪駆動になるのが190km/hを越えてからに制限されています。それがかなり厳しい制限であることは、事前に可夢偉選手や平川選手から聞いていました。しかし、実際にコースサイドで見て、LMP2など下位クラスとのパフォーマンス差が想像以上に小さいことに驚きました。

GR010 HYBRIDとアルピーヌ A480-GibsonLMP2を抜かしていくGR010 HYBRID

 速度域があまり高くなく、左右に素早く切り替えすコーナーでは、重量が軽いLMP2の方が遥かに機敏に見え、少しでも抜かすタイミングを見誤ると、抜けないばかりかLMP2の集団バトルに飲み込まれてしまうようなシーンも幾度となく見られました。つまり、タイミング悪くLMP2のトラフィックに入ってしまうと、以前よりも遥かに多くのタイムを失ってしまうような状況だったのです。そのため、ある程度リスクを冒して抜かしていかなければならない場面が何度もありましたが、そこでさすがと思ったのが、可夢偉選手の絶妙なオーバーテイクでした。その上手さは、ファインダー越しに見ていても、思わず「上手い!」と声が出てしまうような鮮やかさ。絶妙なリスクヘッジで前走車を次々と滑らかに抜かしていました。

絶妙なオーバーテイクでバックマーカーをかわしていくGR010 HYBRIDGR010 HYBRID 7号車

 一方、その時点で可夢偉選手の前を走っていた平川選手のオーバーテイクも安心して見ていられるものでした。ル・マン最上位クラス挑戦初年度の第2戦スパ・フランコルシャンではクルマのトラブルでレースを走れなかったため、ル・マンは彼にとってハイパーカーでの2回目の決勝レースでした。ルーキーであっても絶対にミスをしてはならない、しかし大きくタイムを失うことも許されない。そのバランスを見極めるのは非常に難しく、平川選手はやや確実性を重視して走っていたように見えました。その結果が、可夢偉選手にジワジワと差を縮められることに繋がったわけですが、僕はとても正しいジャッジをしていたと思います。

GR010 HYBRIDの2台夕暮れを走行するGR010 HYBRID 8号車

 チームメイトにしてライバル。優勝を争う上で最大の対戦相手。日本のスーパーフォーミュラでは近年ほぼ負けていない相手。そんな可夢偉選手が後方から迫ってきたら、思わず冷静さを失い、リスクをより多く負ってバックマーカーを抜かしに行ったとしても不思議ではありません。しかし、平川選手は自分を忘れず、ルーキーとしてやるべき仕事に徹していました。
 確かにリードは一気に減少しましたが、ル・マンではそのようなシーソーゲームはひたすら繰り返されます。タイヤのコンディション、トラフィックの巡り合わせ、そしてFCY(フルコースイエロー)やスローゾーンのタイミング。そういった、自分にはコントロールできない要素により、状況が一変することが多々あります。ましてや、戦っている相手はチームメイト。同士打ちなどは絶対に起きてはならないことです。この夕暮れ時のスティントで、可夢偉選手はベテランとして最高の速さを発揮し、平川選手はルーキーとして100点に近い走りを続けました。そして、その確実性の高い走りは、レベルを上げながら最後の最後まで貫かれ、結果的に優勝を引き寄せたのです。

夜間を走行するGR010 HYBRID 8号車平川 亮

 「確かにトラフィック(時の対応)については、まだまだ改善することができると思いますし、今回は少し余裕を持ち過ぎていたかもしれません。しかし、それでも今の時点で自分が持っている力は100%発揮できたと思います」と平川選手。

 彼だけでなく、チームメイトのセバスチャン・ブエミ選手、ブランドン・ハートレー選手もドライビングミスはなく、またメカニックの仕事も完璧に近かったといいます。

 そして、何よりも重要なことですが、8号車についてはクルマにもトラブルがなかったことが最大の勝因といえるでしょう。平川選手は「唯一、ラッキーだったのはパンクが起きた場所がポルシェ・カーブで、すぐにピットに入れたことです(15時間経過時)。あれが1コーナーで起きていたとしたら……。ピットに戻る前にクルマが壊れてしまっていたかもしれません。僕たちはすべてにおいてラッキーでした」と、レース中に起きた唯一といえる問題を振り返りました。

ピット作業中のGR010 HYBRID 8号車GR010 HYBRID 8号車

終盤トップを独走も平川選手が感じた“悲しさ”と“恐さ”

 可夢偉選手の7号車にもパンクは起りましたが、好調だった彼らの2年連続優勝を阻んだのは、フロントモーターに関連するECUのトラブルでした。スタート後約16時間まで、実にハイレベルな首位争いを続けていた8号車と7号車ですが、7号車はホセ・マリア・ロペス選手のドライブ中に問題が発生。コースサイドでクルマを停めてシステムを再起動しなくてはならなくなりました。リスクを冒しながら前走車を抜かし、地道に積み重ねてきたタイムが、予期せぬメカニカルトラブルにより一瞬で失われてしまったのです。再スタートは叶いましたが、トップ8号車とは約1周の差。7号車、そして可夢偉選手のル・マン連覇の夢は、そこで事実上霧散しました。7号車だけでなく、他のハイパーカーのライバルにも既にトラブルは頻発していたため、8号車にとっては非常に楽な展開となりました。しかし、その時平川選手はとても複雑な気持ちだったといいます。

実にハイレベルな首位争いを続けたGR010 HYBRIDの2台ヘルメットを被り準備をする平川 亮

 「ずっと一緒に戦ってきた7号車にトラブルが起きてしまい、自分たち自身のことのように悲しい気持ちになりました。そして、フィニッシュの瞬間まで、同じトラブルが8号車にも起こるのではないかという怖さをずっと感じていました」

 複雑な気持ちだったのは、可夢偉選手も同様です。チームの関係者によると、戦っている相手が他チームのクルマならば、相手にもトラブルが起きるかもしれないという気持ちをまだ持てますが、チームメイトのクルマにそんなことが起きては絶対にならない。また、チーム代表としては8号車が最後まで無事に走りきり、優勝してくれることが最大の望みです。しかし、ステアリングを握っている時は、最後の最後まで優勝の可能性を探り続けるレーシングドライバーである。可夢偉選手、チーム代表は心の葛藤を抑え込みながら、プロフェショナルとしての仕事を続けていたと、その関係者はいいます。可夢偉選手にとっては、大きな試練だったに違いありません。

マシンに乗り込む小林 可夢偉GR010 HYBRID 7号車

 レース終盤、ファイナルスティントを担当するハートレー選手駆る8号車の走りを、肩を組んでピットで見守る平川選手とブエミ選手の姿が大型スクリーンに映し出されました。どちらも神妙な表情で、勝利へのカウントダウンに胸を躍らせるような喜びは全く感じられませんでした。その心境を、平川選手はこう語ります。

 「何年か前に(中嶋)一貴さんがフィニッシュ目前で止まった時のこと、そして2020年のSUPER GT最終戦富士の最終コーナーで自分がスローダウンしてしまい、タイトルを逃した時の事が思い出されました。“最後の最後までしっかり見届けなければならない”という気持ちが強かった。チェッカーを受けるクルマを、自分の目で見るまでは優勝を信じることができないという気分でした」

 その両方の瞬間を目の前で見た僕には、彼の気持ちがある程度理解できます。平川選手は、この劇的な勝利を掴むまでに、何度も大きな挫折を経験してきました。SUPER GTでタイトルを目前で逃した時もそうでしたが、2017年TGRのWECレギュラードライバーの座を目指していましたが、最後のテストで力を発揮できず、最終的にシートを国本雄資選手に譲る形となってしまった時のことも思い出されました。平川選手はその時、日本へと帰る飛行機の中で悔しさのあまり一睡もできず、絶望感に打ちひしがれたといいます。

ピットで見守るメカニックとセバスチャン・ブエミ、平川 亮チェッカーを受けるGR010 HYBRID

 しかし、気持ちを切り替え、2017年のSUPER GTでは素晴らしい強さを発揮。SUPER GTのGT500クラス史上最年少記録となる23歳で、ニック・キャシディ選手と共にシリーズチャンピオンに輝いたのでした。それからも、平川選手は常に世界選手権の場で力を発揮できるようにと技術に磨きをかけ、独学でクルマのセッティングを学び、英語のトレーニングも地道に続けてきたのです。傍からはトップカテゴリー挑戦1年目でル・マン優勝というラッキーガイに見えますが、多くの挫折を乗り越え、弛まない努力を続けてきた結果の優勝なのです。「まともに寝ることができませんでした」というくらい大きかったレースウイークの大きなプレッシャーも、平川選手にとっては最高の力を発揮するためのブーストになったと思われます。

トップチェッカーを受けマシンに乗り込むセバスチャン・ブエミ、平川 亮WEC 2022年シーズン ル・マン24時間を優勝し喜ぶセバスチャン・ブエミ、平川 亮、ブレンドン・ハートレー

最後の最後まで“リーダー”だった可夢偉チーム代表

 「平川は本当に素晴らしい仕事をしたと思いますし、ル・マンで勝つ星の下に生まれたのだと思います」と、レース終了後、可夢偉“チーム代表”は清々しい表情で、後輩ドライバーの優勝を祝福しました。今年もワン・ツー・フィニッシュという結果を得られたことを高く評価しながらも、可夢偉チーム代表はレースの内容については全く満足していませんでした。

 「素晴らしい戦いが、7号車のトラブルという形で終わってしまったのはとにかく残念ですし、一緒に走ったドライバー、頑張って仕事をしてくれたメカニック、そして応援してくれたお客さんたちに申し訳なく思います。トラブルの本当の原因を探るのはこれからとなりますが、このようなことは今後絶対に起こらないようにしないといけない。そのためには、何かを見直す必要があると思います」

ル・マン5連覇を達成したTOYOTA GAZOO Racingワン・ツー・フィニッシュとなったGR010 HYBRID

 彼の背後のホスピタリティラウンジでは、多くのスタッフがワン・ツー・フィニッシュ、そして5連覇という素晴らしい結果を祝っていました。しかし、可夢偉チーム代表は話を聞いている間も極めて冷静であり続けました。

 「また、来年に向けて……がんばりますよ」

 可夢偉チーム代表は、自分自身に言い聞かせるようにそう言うと、歓喜の輪の中に吸い込まれていきました。
 その後、可夢偉チーム代表はル・マンからパリ、シャルル・ド・ゴール空港までの約230kmを、ようやく深い眠りの機会を得た平川選手らの“専属ドライバー”として、ステアリングを握り続けたそうです。最後の最後まで、可夢偉チーム代表は、チームリーダーとして、自分を捧げ続けたのです。

小林 可夢偉ル・マン24時間トロフィー