Handling the road at twenty below zero
Report 2015.11.18-11.25 From ANCHORAGE To FAIRBANKS
マイナス20℃で求められる運転技術
アンカレッジでスタート前にクルマの整備をしていた時の気温は、マイナス20℃。ウィンドウォッシャー液は凍り、タイヤ圧も寒さのために低い。30分作業をしているだけで手足が痺れてくるような過酷な環境にメンバーにも緊張が走る。危険を感じるのは、寒さに対してだけではなかった。フェアバンクスへと向かう途中、デナリ山を望むタルキートナの小さな町では、対向車の巨大なトラックが乾いた雪を巻き上げて走り去る。視界があっという間に奪われるホワイトアウト。だが、後続車がいることを考えると、そこで止まるわけにはいかない。スピードを落としつつ、そのまま走り抜ける。樹勢とGPSによって道がどう変化していくのかを予測する。極寒の地ならではの運転技術を身につけていく。
死と隣り合わせのダルトン・ハイウェイ
フェアバンクスから、石油を運ぶパイプライン建設のために通されたダルトン・ハイウェイを北に向かった。工事車両のトラックのための道は、一般的なハイウェイのように曲がりやすいカーブや傾斜を考えて作られているわけではない。ほぼ地形そのままの道。ビーバースライドと呼ばれる長く続く急傾斜の後に、カーブが出現する。スピードをコントロールしなければ、そのまま飛び出してしまうような危険な道。北極圏内へと突入すると、その環境は一層厳しくなっていった。
極地だからこそ気づく変化。
アラスカ最北のガソリンスタンドがあるコールドフットで折り返し、フェアバンクスへと戻った。気温は0℃前後まで上がり、乾いた雪が溶けて、道路が凍結している。過酷なダルトン・ハイウェイの後では簡単なように見える市街地の道こそが、実はもっとも危険な温度帯だった。極地では、微妙な温度の変化が人にもクルマにも影響を与える。危険と隣り合わせだからこそ、アラスカは、多くのものを気づかせてくれた。
Column
対話から生まれるクルマ。
世界中の道を走る車をつくっているということを、北米走破を通して改めて感じることができた。それは、この旅で得た何よりの財産である。 各地で出会った数多くのトヨタ車オーナーからは、北米特有の問題や使用方法に数多くのフィードバックをもらった。そこにはテストドライブだけでは決して気づくことの出来ない、実際にその土地で生活をすることでしか得られない知見が詰まっていた。訪問先の工場では、寒冷地での使用に関して意見交換を重ねた。同じ雪国であっても、北海道やロシアとは全く違う答えがそこにはある。環境はもちろんだが、住んでいる人間が違うからこそ、違った回答が導かれるのだ。
一つの価値観を共有するために。
そして、社内での対話を重ねることもこの旅の目的のひとつだ。現在、トヨタには全世界で約34万人スタッフが所属している。ひとつの組織の中で、国も文化も異なる人間が価値観を共有するためには、自分たちの見た景色を、得た経験を、繰り返し伝えていかねばならない。同時に、現地の工場で働く人々がどんな風に仕事に取り組んでいるのか、それを見届けることも必要になる。走破の現場で飛び交った「現地現物に勝るものはない」という言葉。それは、コミュニケーションにおいても同様だ。近道はない。地道な対話だけが、強固なネットワークを生み出すのである。