第8の提言

第1回「レースのどこが面白いのか。」[STINGER] 編集長 山口正己 氏

動車レースは特殊なスポーツだ。いや、モータースポーツという言い方を嫌う方もいらっしゃるようなので、単なる自動車競走でもいいが、観戦するサイドからスポーツと捉えてもいいのではないかという気もする。
それはともかく、観戦の対象として見た場合、自動車レースは、他の競技と確実に違うところがひとつある。
クルマという媒体を使っているところ? お金がかかるところ? 危ないところ? 全部正解だが全部不正解でもある。ここでの正解は、『スタートの瞬間に最初の大きな盛り上がりがあるところ』である。これは、案外、誰も気づいていないことかもしれないが、モーターレーシングの大きな特徴であり、最大の魅力といってもいいと思う。
サッカーでキックオフの瞬間が最高の見せ場だな、とは誰もいわない。野球のプレーボールの1球目でチビリそうだ、という人は見たことがない。相撲の立ち会いの瞬間は、少し近いかもしれないが、自動車レースほどではない。
自動車レースのスタートの瞬間が緊迫感にあふれている最大の理由は、“どうなるかわからない”からだ。誰がうまくダッシュを決めるのか。脇阪寿一はスタートをしくじるのか(古くてゴメン)、1コーナーは無事に通過するのか。セナはプロストをどっ付くのか(古くてゴメンその2)。

 ジャッキー・イクスが1969年に(猛烈古くてゴメン)、「慌ててもしょうがない。先は長いんだ」と言ってゆっくり歩いてクルマに乗り込んで最後尾からスタートして優勝したことがあるルマン24時間レースのような耐久レースであっても、イクスのような心拍数を守れる神経の太さは私には(きっとアナタにも)ないので、やはりドキドキする。
インディ500やデイトナ500、もてぎのブリヂストン300など、オーバルコースのレースはその最たるものだ。だから、ゆってぃと違ってちっちゃいことでも気になって、すぐにイエローコーションに持ち込んでペースカーを入れ、何度でもスタートの瞬間を味わわせようとする。

タートの瞬間が手に汗握るのは、ある重量を持った集団が爆音と共にゼロから加速して大きなエネルギーの固まりになって非日常体験を味わわせてくれるからだ。重量物が日常にはないレベルで移動するのを見るのは、凄まじい津波を見たときに似ている。もちろん、そうした災害は、あってはならないマイナスのエネルギーだが、自動車レースは、正真正銘のプラスのエネルギーである。プラスのエネルギーを感じれば、体内のエンドルフィンが増加して(かどうか知らないが)、脈拍が上がり、新陳代謝が促進されて人々は健康になり、世界に平和がやってくる。若干大げさだが、方向としては間違っていないだろう。
映画インディペンデンスデイでアメリカの独立記念日の7月4日に、直径24kmというどでかいUFOが世界各地に飛来したあの場面でも感じた。マザーシップが直径500kmと聞いて、バカバカしいと思いつつ“でかっ=エネルギッシュ”とある種の爽快さに触れたものだ。
自動車レースのスタートにはそういうパワーがある。そして、肝心なのは、そこに持っていく“見せ方”なのである。
例えば、幼稚園児に笑顔で近づいて、「こちょこちょしちゃうぞぉ」、と言って、両手の指を動かし、「こちょこちょこちょ」といいながら近づくと、彼や彼女は、「キャッキャ」と笑いながら逃げまどうはずだ。身体に触れていないのに。
スタート前にグリッドに着くときに、F1ではメインストレートを通過しないでピットロードを抜けていくことを知っていると思うが、観る側からすると、その理由はスタートに興奮を取っておくためなのだ。以前、フォーミュラ・ニッポンがF3000だった時代に、スタート前のウォームアップはストレートも走れた時代があった。スタートの興奮を台無しにしていたその形はやがて姿を消して、ストレートは通過させず、一斉にエキゾーストノートを響かせるエネルギッシュな場面をスタートにとっておくようになった。

うした主催者サイドの周到な準備に気付いたのは、1998年にデイトナ500を初めて見物したときだった。2001年に亡くなったデイル・アンハートが初めて勝ったデイトナ500として人々の記憶に残っている名レースだが、そこで、オーバルレーシングの神髄を見たのである。というと大げさだが、オーバルに限らず、ひたすら盛り上げを考えているシステムにシビレタ、という表現でもいい。アメリカの見せ方のうまさに舌を巻いた。
デイトナ500は、ストックカーレースの総本山。バスケットボール以上の人気といわれるNASCARのメインシリーズの頂点に君臨するレースだが、まず、そのコースからして観客の視点から作られている。
オーバルコースにはいくつか種類があるのだが、デイトナはおむすび型と呼ばれる。当然これは日本語だ。アメリカには、おむすびはないもんね、ハワイにはスパムにぎりという超美味いおにぎり風はあるけど。それはともかく。
オーバルコースのスタートの瞬間をどこで見たら最も迫力があるかと言えば、オススメは、“こちらに向かってくる場所”である。同じオーバルコースで行われるインディ500でも、特等席は“こっちに向かってくる”1コーナーだ。
ツインリンクもてぎのオーバルは、もうひとつ捻りを入れて2コーナーである。そこから見渡せるストレートを突き進んでくるマシン群が、凄まじい高速で回り込みながら正面から“オレにあいさつしてくるみたい”な感覚が大好き。
なので、あちこちで“もてぎで観るなら2コーナー”と書きまくったら、読者から抗議が来た。「あんたのおかげで2コーナーが有料になっちゃったじゃないか」と。そういわれれば、以前は朽ちた丸太で崩れかけていた観客席が、ちゃんとしたスタンドになっている。
で、デイトナのおむすび型である。メインスタンドは、おむすびの頂点部分にある。つまり、そのメインスタンドはまっすぐではなくて曲がっているから、観客席のどこから見ても全員にスタートしたマシンが向かってくるのである!コースの設計段階から観客のことを考えている。さすがのショーアップ術!

スタート前進行も絶妙だった。まず、荷台に大砲みたいなものを積んだ小型トラックがドカ~ンと号砲を響かせる。よくみたら、丸く固めたTシャツを観客席に向かって発射しているのだ。盛り上がりますぜ、観客は。
続いて、レスキュー車が編隊を組んでコースを回り始めた。何事かと思えば、やがて1台また1台と、持ち場に落ちていく。誰が見ても、“そろそろレースが始まるんだな”、ということがわかって観客はビールをグビグビやりながらさらに盛り上がる。
そして最後の一捻り。33台のマシンのローリングが始まるのだが、ペースカーが3台いるのだ。ポールポジションの前に2台、真ん中にもう1台。1周すると真ん中の1台がピットに逃げ、次の1周で、先頭を牽く1台がコースを後にする。誰でも、スタートが間近であることがいやでも分かる。観客全員が“こちょこちょこちょ”とされて、スタンドがパンク寸前になったところでグリーンフラッグが振られるのである。あ~、書いてるだけで耳からコメカミにかけての辺りがジンジンする。 

ころが、これを分かっていない例が日本のレースではゴロゴロしている。例えば。
2007年に富士にF1が“帰って来た”時、せっかくの記念すべきレースが、残念ながら雨に祟られて酷い事態になった。レース後、スタートに間に合わなかった観客に、富士スピードウェイは入場料を返還すると発表した。一見するとやさしい心遣いだが、“スタートの瞬間の大切さ”を理解していない中途半端な対応だった。
確実に間に合わなかった人には、心遣いは通じた。というか、代金を返して当たり前だ。しかし、では、30分前に到着していた人には返さなくていいのか。レースのスタートが最大の見せ場なら、いきなりではなくて、準備がある。いざ本番に備えていろいろ儀式があるのだ。儀式というと大げさだが、スタートの少なくとも2時間前には現場に到着して、まずは場になじむことから始めたい。スタンドからピット作業を眺めたり、グランドスタンド裏でグッズを物色したり、かわいい娘(貴女の場合はイケメン君)を探したり、焼きそば食ったり、そうしながら高揚感を高めていくのである。そして、1時間ほど前から始まるスタート進行を眺めつつ、ドキドキする準備をしていく。

私の場合でいけば、1970年代頃、最盛期だった富士グランチャンピオンレースの見物に、実家相模湖からオヤジのクルマを勝手に乗り出し向かったところからドキドキの準備が始まっていた。富士のゲートを潜り、ブリヂストンブリッジを超えてS字カーブを抜けてグランドスタンド裏の駐車場にクルマを停める。ゲートからブリヂストンブリッジを通過する辺りから、練習走行が始まっていたりするとエキゾーストノートが聞こえてね。もう、早く着きたくってしょうがないのである。
スタート前進行は、スタート地点に折り畳み椅子を並べて、そこにズラリと座っているドライバーが一人ずつ選手紹介された。昨日のように思い出すのは、“こちょこちょっ”とやられた幼稚園児と同じ心持ちになっていたからだ。 

の基本がわかっているかどうかが、レースを面白くするかどうかにかかっている。だからJRP(*1)の方もGTアソシエイションの方も、各サーキットの方々も、今後はここからレースを捉えてみてほしい。きっといろいろな気付きがあるはずだ。
そしてファンも、自動車レースがそういうものである、という気分で見物すれば、サーキットはもっと楽しい場所になる。楽しい場所になればその気分がドライバーに伝わって、その気持ちに答えようとしてドライバーは真剣になる。真剣勝負が面白くないわけがないのである。

(*1) JRP:株式会社日本レースプロモーション

【編集部より】
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Profile:山口正己 氏
1951年神奈川県相模湖町のキャンプ場を経営する自動車好きの父親の長男として生まれる。
1977年に自動車レース専門誌編集部員に。1987年に日本GPが鈴鹿に移り、中嶋悟氏が日本人初のF1ドライバーとしてデビューしたのをキッカケに、世界初のF1速報誌『GPX』を発明・創刊し、編集長に。1996年に独立して有限会社MY'S代表となる。
現在、マガジン/WEB/MOBILEを融合した立体メディア[STINGER]の編集長として、F1を皮切りに、モーターレーシング全体をファンと一緒に楽しむ媒体を構築すべく奮闘中。
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