技術競争
「スタートとゴールは一本ベクトルで・・・」
モーターレーシングの楽しみ方は、大きくふたつに区分できると思う。純粋にドライバースキルの優劣を観戦するスタイルと、高度な技術的戦いに没頭する方法とがあると思うのだ。
「頼りになるのは自らの腕だけ?」
前者は、NASCARをイメージしてもらうとわかりやすい。マシンは極めてシンプルでいわばローテク。最近流行の「86/BRZ Race」や「N-ONE OWNER'S CUP」なんて言うのも、同様だろう。
少なくとも対外的にはマシンに優劣がなく、表彰台の高さがそのまま運転手の実力だと思えるところがキモ。つまり、モーターレーシングの基本形のひとつである、ドライバーオリエンテッドなスタイルなのがそれである。
「最強マシンを手に入れさえすれば・・・」
後者の頂点はF1だということになる。主役はドライバーではなく、マシンの性能、いや、マシンに搭載されている技術にある、ということになっている。
世界チャンピオンのF・アロンソだってJ・バトンだって、戦闘力のないマシンに乗ったら手も足も出ないのはご存知のとおり。だからといって、彼らのドライビングスキルが衰えたなんて誰ひとりとして思っちゃいない。
「あ〜あ、アロンソもバトンも、可哀想だよね。メルセデスに乗せれば勝てるのにね」
といったお茶の間の溜め息を、深夜のBSフジに吹きかけるだけだ。
「アロンソのギャラって、48億8000万円という噂だよ?だったら勝てなくてもウホウホちゃう?」
「ってことは、1レースで2億5000万円ぐらい。ってことは、1周走るだけで400万円ぐらい。ってことは、コーナーをひとつ曲がるだけで・・・。そんな高額ならば負けても悔しくないだろうね」
昨年の情報ながら、圧倒的な速さで優勝をかっさらい続けている現ワールドチャンピオンのL・ハミルトンよりも、最後尾からスタートして1台も抜かず、真っ先にピットに戻されちゃうアロンソのほうが、懐が熱い。F1はマシン性能に極度に依存するカテゴリーであることは、誰もが熟知しているのである。
さらに酒が回ってこようものなら、グチとネタミを肴にアルコールが回り出す。
「俺だって、メルセデスに乗れば、アロンソよりも速く走れるぜ」
車庫入れで、愛車のヴィッツを擦ったことなどついつい忘れ、妄想バトルに火がつく。
「俺だったら、1億円でいいや」
「税金で半分になるのは辛いなぁ」
「だったら2億円は譲れない」
1億円という数字が、妄想庶民の限界なのである。
「すべては一段ずつ登ってくる」
ともあれ、アロンソもバトンも、頂点に駆け上がるまでには、ワンメイク系で勝ち進んできたからであることを忘れてはならない。ほとんどがカートあがりだけど、高度な技術なんてなにも搭載していないシンプルなゴーカートでの勝利の延長線上にF1パイロットの称号があるのだ。トーナメントを勝ち進んできた結果が48億8000万円なのである。
まあ、身も蓋もない言い方をすれば、ワンメイクの世界だってマシン性能がモノを言う、そんな世界だって、資金力と表彰台の高さが比例することもある。道具に依存するスポーツである以上、技術力の競い合いを排除することは不可能だ。ドライバーオリエンテッド型レースも、技術依存型のレースも、やはりひとつのベクトル上に存在しているのだ。
せめていえることは、ヴィッツを傷モノにするような人ではとうてい辿り着けない世界なのだったとういうことだ。
ワンメイクの難しさについては今後に譲ろう。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」