一周25kmならではの施策
小さなことでレースが大きく動く
まず、ニュルブルクリンク24時間レース、応援ありがとう。
レース内容も納得いくものだったし、結果も、これ以上望むべくもない土産となった。
世界一過酷とされるコースは一周25kmと長い。そんな特異なコース運営も日々進化している。観客と一体になるための施策も少なくなく、走る側にとっても、観る側にとっても魅力的なイベントに育ちつつあると思う。
そんな中、とても小さなことかもしれないけれど、実はとても重要な画期的なレース表示システムが、僕らのレースを支えてくれていた。主催者側が発信した情報が、レース計画に役に立っていたのだ。それを紹介しよう。
「Racing APP」と呼ばれる表示システムがそれだ。
どこにいるの? ここです
まず画期的なのは、すべてのマシンが走行している場所が、リアルタイムで表示されるのである。下の画像がそれ。一周25kmのコースが正確に描かれている。そのコース上を色とりどりにポイントが点灯する。それにはゼッケンが表示されているから、どのマシンがどこを走っているかが一目瞭然なのだ。
GPSで管理されるそれはいわばカーナビの発展系でもある。昨今のIT技術の驚愕ぶりを考えれば、技術的には高度なものではないだろう。ただし、NASCARの一部では同様のシステムがあっただけで、その他のカテゴリーでは見たことはなかった。
点灯したポイントが、マシンの動きに合わせてモゴモゴとナメクジのように移動していく様子はちょっと滑稽だけど、リアリティがあるから臨場感がある。
表示させるマシンは自由に選択可能だ。
当然、自分は表示させることになるのだが、ライバルのマシンを添えておくことも常套手段。だからピットからこんな無線連絡が届く。
「あと30秒ほどで、ライバルのフェラーリが見えるはずですよ」
ほどなくして本当に、甲高いサウンドを響かせたフェラーリのテールが目に飛び込んできた。
「これを抜けばいいのね?」
「お願いします」
俄然やる気が高まる。
「おめでとうございます。また順位が上がりましたよ」
そんなやりとりに心が和む。
ニュルでのドライバーは孤独である。グランプリコースを離れ、林間コースとおぼしきノルドシュライフェを淡々と走っているとき、たったひとりを意識することがある。
そんな時にピットからの声は、何より勇気をもたらすのだ。
一周4km前後の一般的なサーキットではそれほど必要性はないかもしれないけれど、ここではとても有効なシステムなのだ。
ブラインドコーナーばかりなのに、なんだか先がすっきりと見通せているようだった。
危ないよ、気をつけてね!
黄旗区間の表示もなされる。そのたびに回転灯をコラージュによって注意喚起。その場所が、ものすごく詳細に表示されるのだ。
画面がアップになる。そこには黄旗のふられている数や場所、そこを通過した直後のグリーンフラッグが提示されている場所すらも正確なのだ。クラッシュやトラブル車両がコースサイドに停まっている様子も、ドライバーよりも先に知ることが可能であるから、安全性にも貢献しているのだ。
「この先の右コーナーを抜けると、イエロー区間です。注意してください」
一般的には、コース上の出来事はドライバーだけが知ることであり、それをチームに伝えるのがこれまでの習慣だ。だがここでは逆。ブラインドコーナーばかりのコースで格闘しているドライバーよりも先に、チームが状況を理解できるのである。
最高速度も表示される。
「いまの周回は、ストレートが伸びませんでしたね。エンジンの調子は?」
まるで公的テレメトリーシステムである。ライバルのデータを知ることができることはつまり、自分たちのデータが筒抜けであることを意味するのだが、その便利さを味わってしまうと抜け出せなくなる。
しかも、である。
コラージュ表示だけではなく、空撮画像上を走らせることも可能だ。インカービデオと併用すれば、コクピットでステアリングを握っていなくとも、まるでレースを戦っている気分になれるのだ。
どこでも…。たとえトイレでも…。
しかもこれ、スマホにアプリをダウンロードすれば、手持ちが可能だというから素晴らしい。
ニュルブルクリンク24時間はとてつもなく長い時間を戦うことになるわけで、コンビを組む相方が走行中には、控え室でくつろぐなり仮眠するなり、それぞれが自由な時間を過ごす。
そんなとき、これさえあれば、まるでピットでずっと戦況を見つめているかのように、現状が把握できるのだ。これもとてもありがたかった。
アメリカ型のオーバルコースはともかく、ヨーロッパ型モータースポーツの基本サーキットは、一箇所ですべてを見渡せるレイアウトにはなっていない。1コーナーでの観戦では1コーナーのみ、最終コーナーのスタンド席で観る場合には最終コーナーのみしかバトルを観ることはできない。これは貴族的意識が根底にあるヨーロッパ型サーキット特有のデメリットである。その欠点を補うのがこのシステムだと思う。
「Racing APP」によって、我々スタッフだけでなく、観客もよりリアルにレース展開を把握することができるし、のめり込むことが可能になる。たったこれだけで…というつもりはないが、きわめて現代的なIT技術によって、古典的なレースバトルがより魅力的になる。
ドイツの片田舎で繰り広げられるレースから学ぶことが多かった。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」