ただのマシンテストではないのだ!
緊張の朝
2月23日早朝、僕は富士スピードウェイにいつもとは異なるアドレナリンを漲らせてやってきていた。今期GAZOO Racingがニュルブルクリンク24時間に投入するLEXUS RCの実質的なシェイクダウンをするためだ。サーキットの東ゲートをくぐる時に、果てしなく広がる空とそこに浮かぶ富士の山を仰ぎ見て深呼吸をした。
我がチームに割り当てられた5番ピットには朝から、ただならぬ雰囲気が漂っていた。驚くほど多くの関係者が興奮を抑えきれずに、すでに慌ただしく作業に没頭していたからだ。
ざっと見渡しただけでも、70人ほどに達するだろうか。
エンジン開発
ボディ設計
サスペンション設計
シート開発
ブレーキパッドメーカー
ローター&キャリパーサプライヤー
バケットシート開発
タイヤメーカー
そしてメカニックとエンジニア
それぞれの担当がたとえば5名ずついたとしてもそれだけで45名。
広報担当
広告代理店
GAZOO Racing幹部
マネージャー
ロジステック担当
特に多いのはプロモーション映像部隊でおよそ20名が常にカメラを回していたから相当な人数になる。
気心の知れた仲間だけではない。初対面の人のほうが多い。まずもって、その人数の多さがこのプロジェクトの重要性を突きつけるのだ。胃袋の上あたりの内臓が、キュッと収縮した。
お見合いの席は5番ピットで
新しいマシンを初めて転がす。つまりシェイクダウンはドライバーにとっても独特の味わいがある。特に僕は今年、慣れ親しんだLEXUS LFAを離れ、ブランニューマシンであるLEXUS RCを担当することになったのだからその緊張感は実に新鮮である。
ただし、けしてその緊張感を悠長に味わっている余裕などない。
期待に胸を膨らませていることには疑いない。待ちに待ったこの瞬間を迎え、ワクワクと心躍らせているのはたしかだ。だが正直にいえばむしろ、大きな不安とただならぬ期待を重ね合わせたような複雑な心持ちなのだ。おそらく見合いの席に挑む男女は、こんな気分なのだろうと想像する。例えていうならば、入学式のその日の朝のような、大きく深呼吸をして気を落ち着かせたくなるような、そんな種類の興奮なのだ。
マシンが速いのか遅いのかという以前に、今年僕の人生の一コマのすべてを委ねることになるマシンと、良好な関係を築けるか否かの不安が優っていた。パドックからトコトコと歩み寄っていく僕に背を向けているマシンは多くの関係者に取り囲まれていつつも、どこか冷たく僕を拒絶しているようにも見えたし、僕の到着を待ち焦がれているようにも映った。緊張の瞬間なのである。
すでに僕はLEXUS RCというマシンを機械の塊ではなく、胸のどこかで擬人化していた。「よろしく」心の中でたしかにそう呟いたような気がした。
今年のすべてを委ねる仲間達
シェイクダウン当日は、緊張感に包まれた厳粛な空気感の中で開始されるのが常だ。まずはメンバーの紹介がなされる。我々ドライバーの命を託すことになるマシンは、エンジニアやメカニックに委ねられている。そんな彼らとの実質的な初顔合わせなのである。まだメカニックの名前すら知らないのだ。
直立不動のままチーム幹部の挨拶に耳を傾け、今年の意気込みや狙いが訓示される。誰一人として姿勢を崩す者はいない。傍らには、その日のテストメニューが分単位タイムスケジュールとともに張り出されている。といった張り詰めた中、気持ちがひとつになりかけたことが確認されると、それぞれがそれぞれに別れ、個別の作業に移行するのだ。
まずは手が届くか見えるか…
シェイクダウンは、いつもと異なる儀式がある。
まずはコクピットドリルが授けられる。夥しい数のスイッチ類の操作方法やマシンの仕様に関してのレクチャーがなされ、現状の課題点や検証が必要な項目が丁寧に告げられる。そしてコクピットに乗り込む。
マシンの戦闘力を高めることよりもまず、「普通」に走るのかを検証する作業から始めなければならない。「普通」に走るとは、たとえばシートがしっかりと固定されているかであったり、変速のためのパドルは正しく手が届く位置に組みつけられているかといった、クルマを運転することに支障があるのかないのかといった基礎の確認から開始されるのである。
いやむしろ、ドアを開けるときの感触や乗り込むときの心持ち、あるいはシートに座ったときの僕の心理状態がどう変化したのかなどにも神経を注ぐ。特に、難攻不落なニュルブルクリンクは一方で命の危険がすぐそこに迫っている。このクルマに命のすべてをかけることができるのか、かける気になるのか。ファーストコンタクトを僕はこれまで大切にしてきたのだ。シェイクダウンはそんなマシンと僕の初めて言葉を交わす儀式ともいえるのだ。
もちろん経験豊かなGAZOO Racingのエンジニアやメカニックが、車作りをする上での初歩的なミスを犯すわけもないのだが、実際にステアリングを握りコーナーに挑むのは僕なのだ。些細なズレも見逃すわけにはいかない。
実際に、フットレストの高さをあと5mm高めてくれだとか、冷却ダクトの位置を20mm移動させてくれだとか、シートベルトを5mm細くしてくれだとかといった、微細な要求が次々に口に出る。
そもそもレース歴がこれほど積み重なると、これまで多くのニューマシンとの対面をすませてきており、最初にそのマシンに腰をおろした瞬間に両者の、ここでいう両者とは僕とLEXUS RCが今後良好な関係を築いていけるのかが肌感覚でわかるものだ。初めて会い、名刺を交換したその時の空気感で相性がわかるようなものだ。それゆえ、ことさらこの瞬間は緊張を誘うのである。
まずは身体にマシンを馴染ませることから…
コクピットに乗り込み、シートに腰をおしつけ身体を馴染ませる。たとえば例年頼りにしている豊田紡織製のバケットシートは今年もリニューアルがなされている。その性能すら検証しなければならない。
メカニックがふたりがかりで僕をシートベルトで拘束する。エンジンに火を入れる。ギアを1速にエンケージする。そういったルーティン作業も、いつもより念入りだ。ここまでにおよそ30分。
コースオープンとともにピットロードにマシンを進める。といってもいきなりスロットル全開などはしない。低回転をキープしながらユルユルとマシンを転がし、エンジン各部が正常に機能しているかを確認。時折、左足でブレーキペダルを踏み込み、本当にブレーキは効くのかといった基礎の動作確認をするのだ。
コースインするとそのままピットイン。ファーストランはたった1周だ。
ドライバーはたった1周走っただけなのにコクピットから離れる。するとマシンはまたもジャッキアップされ夥しいメンバーが取り囲むことになる。
タイヤがはずされ、メカニックがマシンの底に潜り込み、サスペンション各部のガタやゆるみがないかを確認する。エンジンフードを開けてオイル漏れや蒸気などの不具合を確認。コンピューター系の配線をつなぎ、走行データを確認するのはエンジン担当だ。シート担当は分厚いファイルを小脇に抱えたまま印象を聞き取る。マシン各部のチェック。それに費やされる時間はおよそ15分。異常がなければさらに走行の準備に移るのだ。
もし不具合があれば、さらに数時間の改良がなされる。首尾よくトラブルの予兆がなくても、続く走行パターンはまた慎重である。
徐々に速度を上げていく。コーナリング速度を徐々に高め、ロール角度を増やし、舵角を増し、たとえばタイヤとフェンダーとの干渉がないか、そもそもステアリングホイールとタイヤの過渡特性が一致しているかなどの確認をするのだ。そう、操縦特性の改良だとかエンジン特性のリクエストなどではなく、まだまだマシンが普通に走るのかを探っているにすぎない。それが3周。その後、またマシン各部のチェックがなされるといった具合なのだ。
たとえばこの周回のタイムは、翌日最後のそれなりの性能確認のベストタイムより7秒も遅い。それほどのスローペースでの走行。これがシェイクダウンの常識的なパターンである。
これが本当のシェイクダウンなのかもしれない…
シェイクダウンには、ドライバーとのコミュニケーションも重要な課題だ。
今年僕は新たなドライバーとコンビを組む。佐藤久実、蒲生尚弥、松井孝充が相棒なのだ。彼らとステアリングを共にしながら一台のLEXUS RCをゴールまで導かなければならない。
佐藤久実とはこれまで何度かチームを組んできた経験がある。だから彼女のスキルや性格は熟知しているつもりだ。若い蒲生尚弥は、ここ数年GAZOO Racingのチームメイトとして闘ってきた。だが同じマシンをドライブした経験はなく、ドライビングスタイルが未知だった。特に新人の松井孝充は、性格も運転スタイルも知らない。そんな混成チームを心ひとつにする必要がある。
僕はとりあえず年功故にリーダーを任されていたから、彼らの性格と行動を探ることにも気を配らなければならなかった。シェイクダウンとは、相棒とのお見合いの席でもあるのだ。絶対に添い遂げなければならない伴侶とのお見合い…。
幸いマシンは、驚くほどトラブルらしき不具合はなく、順調な仕上がりをみせた。ドライバー全員も素晴らしいスキルの持ち主であることが確認できたし、性格的にも嬉しいほどまとまっていたと思う。
これほど経験を積んでくると、会った瞬間に相性が想像できる。そんな僕は、このマシンとこのドライバー達との相性はとてもいいと思った。
ただし課題がひとつ残った。彼らが僕のことをどう感じているのか、聞きそびれた。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」