我々はお守りを胸に旅立つ
それは修学旅行生のような旅から始まった
それはまるで、遠足旅行にはしゃぐ男子高校生の祭りのような雰囲気だった。
今年ニュルブルクリンクに挑む我々GAZOO Racingはすでにシェイクダウンテストをすませていたから、メンバー全員が顔を合わせるのは、今回が二度目となる。
早朝名古屋駅前に集合し、チャーターした観光バスで目的地に向かう。そう、その目的地とは、三重県南東部に社を構える「伊勢神宮」だ。参戦の無事を願うための参拝がこの日の目的だったのである。
我々がこうしてレース前に伊勢神宮に向かうのは初めてではない。ここ数年の恒例の行事になっている。昨年も、その前年も、こうしてメンバーが顔を揃えているのだ。
もっとも今回は所帯が大きかった。ドライバーとスタッフと、さらにはメカニックリーダーが代表して安全祈願をしていた昨年の代表制とはことなり、実際にマシンに触れるメカニック全員を引き連れての参拝となったのである。だから道中が賑やかな遠足気分にもなろうというのもうなずける。
前年まではマシン整備の最中であり、全員揃っての参拝ではなかった。レース前のこの時期はマシン整備の真っただ中であり、時間の余裕がなかった。だが今年は、マシンをドイツに出荷させた翌日の参拝となった。身支度を整え、渡独するまでに時間があったのだ。 やはりこうして共に戦う仲間が揃うと、これまでとは気持ちが違うものだと思った。やっぱりみんな一緒の方がいい。
もっとも高貴な宮に抱かれる
伊勢神宮は、太陽を神格化した天照大御神が祀られている。その正殿を内宮と呼び、天照大御神の食を捧げる豊受大神宮を外宮とする。
内宮と外宮では1500年間耐えることなく、朝夕に30品目の食事を用意して神に捧げつづけているというから、気の遠くなるような神事である。コツコツとスパナをふるい、丁寧にマシンを組み上げていくメカニックの作業とどこか重なるような気がした。
内宮と外宮はクルマでさえ5分ほど離れているものの、我々は内宮で丁重なご祈祷を受けたのち、外宮にも足を運んだ。多くの宮や社を前に頭を低くし、数々のお願いをしてきたのだから本当に欲張りな我々である。
玉砂利を踏みしめる音さえも…
内宮の面積は93ヘクタールというから東京ドーム約20個を呑み込む広さである。外宮もほぼ同様のサイズだから、ともあれ広大な敷地に守られているのだ。
大鳥居をくぐり、宇治橋を渡ればそこは、丁寧に掃き清められた森といった落ち着きのある光景が広がる。澄んだ空気に鼻孔がくすぐられる。我々はたしかに神の庇護の元,生かされているのだと思うのだ。
胴回り数mはあろうかと思われる樹齢数百年の大木が林立する。見上げれば豊かな緑が我々を包み込む。敷き詰められた砂利道をかしゃかしゃ鳴らしながら奥へ奥へと進む。内宮は右側通行、外宮は左側通行だ。それぞれ異なるのは、伊勢神宮の欠かせない神域の源泉である五十鈴川に沿うように歩むためだ。
途中、鳥居をくぐり、橋を渡り、「手水舎」で身体を清めながら正宮に迫ると、それにしたがって胸の辺りが清らかになっていくような気がするから不思議である。
正宮は写真撮影もタブーであり、正装での参拝が求められる。ジャケットのボタンさえ閉じねばならない。とても神聖なエリアなのだ。
ここまでくるとさすがのワイガヤ遠足気分も吹き飛ぶ。神格化したパワーをシャワーのように浴びている心持ちになるのだ。なにか神の磁力を感じるのだ。
日頃の汚れた所行の数々を洗い流すのが目的のひとつとはいえ、大きな深呼吸によってパワーのすべてを身体に溜め込もうとするのだから、やはり我々は虫が良すぎる。
我々と伊勢神宮は心ひとつに
そもそもトヨタ自動車は伊勢神宮との関係が深い。新型車両が完成すれば必ずここに詣でて安全を祈願するのだし、豊田章男社長がプライベートでこの地を訪れ、チームオーナーとして祈祷を受けていただいている。
メンバー全員分のお守りを社長からひとり一人手渡され、それをつなぎのレーシングスーツに大切に忍ばせて戦うのだ。我々の神格の源だといっていい。
さらにいえば、GAZOO Racingの志は伊勢神宮の式年遷宮の思いと重なる。
伊勢神宮では20年に一度、神宮の社を新造する。柱に茅葺きの一本まで新しく伐採した木材を削るなどして建て替えるのだ。それが式年遷宮。殿内の宝物もその対象というから壮大なプロジェクトである。
その目的は諸説あるものの、我々と志が重なるのは「技能伝承」である。「そして心ひとつに」。20年に一度の神宮移築のためには多くの宮大工の力を借りねばならない。その影には、神宮用の木材を育て伐採する木材氏の力も必要である。式年遷宮を20年に一度のサイクルで続けることで、職人の技能が次世代に伝承されていくことになる。それが式年遷宮の目的のひとつなのだ。
つまりそれは、GAZOO Racingが人を育てることを目的としていることと二重になる。トヨタ自動車が2000GTを生み出し、スープラへと受け継ぎ、LFAへと伝承した。ニュルブルクリンクに挑んだ社内メカニックは数年の経験ののちそれぞれの職場に戻る。闘いの中で学んだ技術を各部署に伝承する役目を授かる。ニュルブルクリンク挑戦はまさに技術の伝承であり、そこにGAZOO Racingが人を鍛える意義を求める。
我々はここに単なる安全祈願に来たのではないと思った。技能伝承の志を授かろうとの思いが込められている。そう告げるリーダーの言葉に、我々はうなずいた。
伊勢参りをしたのは3月12日。実は前日の3月11日に我々のマシンは航空機に積み込まれていた。マシンは一足先にドイツに飛び立った。祈祷をすませた我々は、心ひとつにマシンのあとを追う。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」