一から造り上げることの喜び
またまたブランニューです!
「今年はLEXUS RCで参戦することにしたよ」
そう言う僕に対して、多くの人達はこう言って驚いた様子だった。
「えっ? LEXUS LFAではないの?」
1月30日に東京・お台場でトヨタモータースポーツ活動発表会が催された。豊田章男社長みずからが登壇され、2015年の活動が高らかに宣言された。その席で僕のニュルブルクリンク24時間に挑むマシンが公表された。その席で日頃から懇意にしている関係者の多くは、ちょっとびっくりしたような顔をした。
それでいて、納得したようにフムフムと笑みを浮かべる人が多かったのは嬉しかった。
「木下君らしいよね。また新しいクルマなんだね」
これまでの僕の長いニュル詣での歴史をずっと応援してくれている人達は、いかにも僕らしいことだと思ったらしい。これまで数多くのマシンでニュルブルクリンクを戦ってきた。それは、ほとんどいつもと言っていいほど、開発絡みの参戦だった。それを知っている仲間にとってはけして驚きではなく、むしろ僕らしさに映ったらしい。
僕が今年戦うマシンは、「LEXUS LFA」でもなく「LEXUS RCF」でもなく、「LEXUS RC」なんだよ。エントリークラスは「SP3T」。まったく新しいマシンで参戦する道を選んだのだ。
基本性能の確認とウイークポイントの洗い出し
そのマシンで初めてニュルブルクリンクを攻めたのが昨日のこと。まだまだやることをたくさん残したままのデビュー戦だったけれど、まあ、なんとか無事に走り切ったよね。絶対に完走なんてムリムリ…という外野の予測を覆して、トラブルなく4時間を走り終えたんだから拍手してほしいくらいだよ。戦闘力はこれからだけど、デビューレースであることを考えれば上出来でしょ。
しかも、だよ。あのマシンは極めて頑固にノーマルの状態にこだわり開発したマシンなのだ。たとえばサイドミラーだってレース用のそれではないよね。さすがにリアウイングは競技用に交換してもらったけれど、それ以外の基本的な造り込みはノーマルのままなんだ。
競技用安全タンクに換装したり、ロールケージを張り巡らせたり、スリックタイヤを装着してはいる。これはレースに参戦するために基本アイテムだからね。
リップスポイラーだってカナードだって装備されてはいないのだ。もっと速く走れる“タマ ”はあるけれど、あえて投入していない。市販車のパーツでどこまで挑めるかを狙いにしているんだよ。
これって、2008年にLFAで参戦したときと志が同じなんだよ。あのときも、先行開発の意味合いが含まれていた。全身ブラックアウトされたマシンでの腕試しだったよね。それが数年後にLFAとなって華やかにデビューした。その時と、立場や思いや境遇は似ているのだ。
GAZOO Racingは昨年参戦した全クラスを優勝で終えるという理想的なレースを経験した。その翌年の今年、かつてLFAを投入した頃の初心に立ち返り、挑みなおそうとしたのだよ。完成されたマシンに手を加えるよりも、未完成のマシンを導いていくことの方が、メカニックの勉強にもなる。人を育てることの意義も深いんだ。
ニュルって場所は、「ツーリングカー世界一決定戦」といった趣がある。マンハッタンの路地裏でのストリートファイトのような感覚。四の五の言わずに、誰が一番強いのか決着つけようぜ、って感じ。だがその一方で、実践先行開発ステージとしての顔ももつ。世界の主要メーカーがプロトタイプを送り込んでいるのがその証拠。かつてはGAZOO RacingがLFAを送り込んだあの初心の気持ちに立ち返って、今年はRCを投入することになったわけだ。
開発から育てることの喜び
それにしても僕、恵まれているよね。だって、LEXUSのLFAをデビュー前から実践ドライブさせてもらったうえに、今度はRCのドライバーなんだよ。そりゃ、速いのはチームメイトであるLEXUS LFAだけど、それとはまた異なる喜びがあるんだ。そんなチャンスを頂けるなんて、ドライバー冥利に尽きる。いまレースが終わったばかりだという余韻もあって、本当に感謝しています。けして速くはなかったけれど、とてもやりがいがあったんだから。
たしかにLFAで戦うのも大きな喜びだよ。まだ未練もあるよ。たしかにある。だけど、開発を任されるってこと、これも喜びなんだ。完成されたプラモデルで競争するわけじゃなくて、まずプラモデルを組み立てなければならないんだよ。しかも、パーツを揃えたり加工したりするところから始まるのさ。これはこれで醍醐味なのだよね。
いろいろなマシンの産声に立ち合ってきた
実は僕、25年間に渡る僕自身のニュルの歴史の中で、何度かこんな醍醐味を味合わせてもらっている。最初にニュルを訪れた1991年は、スカイラインGT-Rがデビューした翌年。まだまだ完成度も知名度も低かったあのマシンで24時間に果敢に挑んだ。けして速くなかったし、頻繁に壊れた。メカニックの懸命な修理を、2時間以上マシンの中で待ちつづけたこともあったよ。
当初はこんなに過酷だなんて想像していなかった。走ってみて、エンジンマウントが砕け散って、パワーユニットがブランブラン…、なんてこともあった。ところがドイツ車はとても頑丈で速かった。これは腰を据えなければ怪我するな、そう感じたものだ。
当時僕は全日本ツーリングカー(グループA)をスカイラインGT-Rで戦っていた。連戦連勝だよ。グループA規定で挑んだスパ・フランコルシャン24時間もブッチギリだ。だからスカイラインGT-Rは無敵だと信じて疑わなかった。だけど、あのマシンはグループAでの勝利だけを考えて開発されたマシンだった。だから、違う規定では弱かった。ニュルの悪魔はそこを厳しくついてきたわけだ。
ただ、あの闘いがのちのスカイラインGT-R神話に結びついた。伝説の始まりはあのレースにあったのだと自負している。
タイヤだってマシンのひとつなんだよ
のちにオーツタイヤのニュル挑戦のメンバーとしてニュル詣でを続けることになる。これも、ファルケンタイヤの開発のためだよ。最初はやっぱり洗礼を浴びた。だけど、最後は結果を残す。総合5位は日本人最上位の記録。まだ誰にも破られてはいないんだぜ。
スープラGT500で挑んだこともある。決勝中タイムは総合3番手。これも手探りでの挑戦だった。
オーツタイヤでの挑戦も、地道な努力の積み重ねだった。13年間レース活動を休止していたオーツタイヤが、ようやく重い腰を上げて挑んだものだったから、当初は性能も低かったし耐久性にも乏しかった。でも最後は激戦ポルシェ911クラスに混じってトップ争いをするまでに成長したんだ。
ホンダNSXでも戦っている。ドイツホンダとの契約だったけれど、それもホンダにとっては手探りの参戦だったよね。そこからLEXUS LFAへ移行していくんだけど、そうしてみると僕、たいがいイチからの開発に携わっていることに気づく。LFAで戦う方が精神的には穏やかだけど、気がつくと「イチからパターン」。何故だろうね?
さっきレースを終えたばかりのRCだって、まさかのパッケージング。これも運命の磁力に吸い寄せられていくんだよね。
このマシン、いまがイチからのスタートということは、近い将来の完成を目指しているわけで、つまりプロジェクトは今年で終るものではない。先を見て急ぐよ。3年後に華やかなシャンパンファイトをする日を楽しみに。いまは開発に専念することにする。
ところで、さっき終ったばかりのレースでは不幸な事故が起こってしまった。
そのことを語らなければならないようだね。
ご冥福をお祈りします。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」