木下隆之連載コラム クルマ・スキ・トモニ 144LAP

2015.04.14 コラム

やはり死亡事故について書かなければならない

まずは亡くなられた方のご冥福を祈りたい

 今季初レース。VLN1ニュルブルクリンク4時間耐久レース。傷ましい事故が起こった。

 スタートしておよそ1時間が経過した頃だった。難所のひとつである「Flugplatz」に挑んだ日産GT-R GT3が、突如として宙を舞った。マシンは観客席に飛び込み、観客の命を奪った。数名が怪我をしたという。

 すぐさま赤旗が提示され、数時間後にレース中止が発表された。

 「Flugplatz」は、北コースに差し掛かって初めて訪れるスリリングなセクションである。トップグループを形成するGT3では、およそ250km/hを超えるコーナリングになろう。そこに差し掛かるまで、まるでジェットコースターの峰をなぞるような激しいアップダウンが続く。先が見えないボトムから、強烈な縦Gを受けながらジャンプ。着地と同時に「Flugplatz」に飛び込むことになる。

 事故はコーナリングを開始する直前に起った。急激な登りはジャンプ台となって牙を剥いた。離陸した瞬間にフロントアンダーに空気を吸い込み、浮き上がり、バック転を試みたかのように床下をさらし、マシンを立て掛けたかのような不気味な姿勢のままガードレールやフェンスをなぎ倒したのである。

  • 「Flugplatz」は、北コースに足を踏み入れてすぐに訪れる難所である。確実に、右足が緩む。
    「Flugplatz」は、北コースに足を踏み入れてすぐに訪れる難所である。確実に、右足が緩む。
  • ボトムから空を仰ぎ見るようにしてジャンプする。着地した瞬間になってようやくコーナーが現れる。
    ボトムから空を仰ぎ見るようにしてジャンプする。着地した瞬間になってようやくコーナーが現れる。

救急ヘリか警察車両か…

 走行中、「Flugplatz」に差し掛かった僕は、なぎ倒されたフェンスや、夥しい数の救急車から事態が深刻であることを悟った。

 一旦楽観視したのは、救急車がすでに到着しており、上空ではドクターヘリが舞っていたからだ。

 ニュルブルクリンクでの死亡事故は少なくない。ドクターヘリが上空を舞っている時には怪我人が搬送されることを意味する。あきらかな死亡事故ではドクターヘリはフライトを見合わせる。警察が実況見分にくるだけだ。ドクターヘリを上空に観た僕が楽観視したのはそのためである。

葛藤のすえ、ペンを持つことにした

 いま、この原稿を打っているのは、事故によりレースが中止になった翌日の晩だ。ホテルの暗い部屋でキーボードに向かっている。

 我々GAZOO Racingの2台は幸いにも事故に巻き込まれずにレースを終えていたのだが、仲間が遭遇した不慮の事故、そしてなによりも巻き添えになってしまった観客のことを思うと心が痛む。

 昨晩の睡眠は浅かった。モータースポーツに付きまとってきた不幸な出来事、つまり「死」について触れずにおくべきかと悩みに悩んだ。

 ただ、自らを奮い立たせて筆をとることにする。深くえぐれた傷口をそっと撫でるようにして…、やはり書くことにする。

主催者は素早く反応した

 レースは中止になった。だが、そこからのDMSB(ドイツモータースポーツ協会)の判断も早かった。この事故を受けてGT3マシンで競われるSP9クラスをはじめSP7、SP8、SP-PRO、SP-Xといったハイスピードクラスの、当面の北コース走行禁止が決定した。

 後日、新たにポルシェカップカーのCup2、H4、さらにE1-XP1、E1-XP2、E1-XPハイブリッドクラスといったクラスも走行禁止枠へ加えられた。

 LEXUS LFA Code XはSP-PROクラス。対象車両である。

 目前に迫ったニュルブルクリンク予備予選、そして4月25日に予定されているVLN2ニュルブルクリンク4時間耐久レースにむけて、関係者が協議を重ねているという。目前の予備予選でフルコースが走れるのは、僕らがステアリングを握るLEXUS RCをはじめとした比較的小排気量クラスだけだ。ハイスピードクラスは、GPコースのみ。それで競技をどう成立させるのかは誰もわからない。

  • ほぼグループCカーである。全身カーボンで武装され、空力的に恵まれている。このマシンにとってニュルは狭すぎるのかもしれない。
    ほぼグループCカーである。全身カーボンで武装され、空力的に恵まれている。このマシンにとってニュルは狭すぎるのかもしれない。
  • SP9クラスは最速を競うGT3勢のクラスだ。これらがレースを先導する。
    SP9クラスは最速を競うGT3勢のクラスだ。これらがレースを先導する。

多くの関係者は、大きくわけて3つの対策を予想

 今の段階では憶測の域を出ない。だが、緊急対策として想像できることがある。

 緊急措置として最有力なのは、難所を速度規制させてしまうことだろう。「Flugplatz」をはじめ、ニュルブルクリンクにはスリリングなセクションが多い。危険と思われる区間に限定して速度を抑えさせる案だ。

 全車GPS管理されているために、違反はすぐさまペナルティの対象になる。管理は容易い。

 マシンの性能を抑えさせる方法も検討されているだろう。

 エアリストリクターを見直すことで、パフォーマンスを抑えさせる方法も有効である。

 古くは速度無制限だったこの伝統的レースも、最高速度280km/h以下に抑えろとのお達しが配られたことがある。2009年に軽々と300km/hオーバーをを記録してしまった我々もその対象になった。ドラック増など構うことなく、巨大なウイングを装着するマシンが増殖したのはその頃だ。最高速度が制限されるのであれば、その分をコーナリング速度で補おうというわけだ。

 もうひとつの可能性は、観戦エリアの入場を規制して、そのまま競技を続行する方法である。レースはこれまで通り行われる。コースアウトの危険度に変化はない。観客だけを守ろうという考え方である。

 そのどれが採用されるのか、あるいはすべてが導入されるのか、あるいはもっと建設的なアイデアがあるのかないのか、VLN1を終えたばかりのいま、誰もわからない。

 ただ、このどれもが採用されることになっても、ニュルブルクリンクがニュルブルクリンクであることの存在意義が脅かされることが、僕には本当に危惧されるのである。

  • 「Flugplatz」のジャンプ直前。この段階では先は見えていない。速度は250km/hオーバー。
    「Flugplatz」のジャンプ直前。この段階では先は見えていない。速度は250km/hオーバー。
  • 比較的排気量の少ないマシンは、浮き上がる心配はないのかもしれない。ハイスピードクラス以外はこれまで通りに進行する。
    比較的排気量の少ないマシンは、浮き上がる心配はないのかもしれない。ハイスピードクラス以外はこれまで通りに進行する。

危険だからニュルブルクリンクだという考え

 ニュルブルクリンクは「世界一過酷なサーキット」として名高い。今回予想される様々な措置が実行に移された場合、「過酷」であることを奪いかねない。

 お叱りを覚悟で言うならば、危険だから挑むのである。

 寸止めの空手道を甘いとして離脱した極真空手家のように、あるいはヘッドギアで守られたアマチュアボクシングでは物足りずにプロ格闘技を目指すボクサーのように、箱庭のレースでは欲求が満足できずにニュルブルクリンクに闘いの場を求めるドライバーもいる。死の悪魔がそこににゅっと立ちはだかっている。だからニュルブルクリンクに挑むというドライバーも少なくないはずだ。

 僕はかねてからニュルブルクリンク24時間レースをこう表現している。

 「マンハッタンの路地裏で拳を突き合わせるストリートファイトに近い」と。

 ただただ純粋に、強く速いものが勝つ。ニュルブルクリンクの意義はそこにあると確信している。僕がレーシングドライバーとして魅せられ、ライフワークとしてきたのもその一点に魅了されたからである。

 あの「Flugplatz」攻略は、すなわちハートの強さでの競い合だ。右足が怯み、スロットルペダルが緩んでしまうようなドライバーはただ無様な走りをするだけだ。床踏みできるドライバーだけに女神は微笑む。だから挑む。

  • 異種格闘技。ピュアレーシングマシンと市販車然としたマシンが混在する。それがニュル。
    異種格闘技。ピュアレーシングマシンと市販車然としたマシンが混在する。それがニュル。
  • 路面はうねり、荒れているからこそのニュル。縁石にのっても跳ねない足回りを作り込む。
    路面はうねり、荒れているからこそのニュル。縁石にのっても跳ねない足回りを作り込む。

危険だから開発テストの場であるという考え

 マシン開発の場としての意義も問われる。

 かの「Flugplatz」は高速セクションである上に、路面が荒れている。しなやかな上下動にアジャストしていないと過剰にマシンが浮き上がる。だからこそ、高度なセッティングが試される。安定した挙動を得るために、チームは知識と技術を注ぐのだ。

 過去にこんなことがあった。

 コース最長ストレート後の高速ブラインド左コーナーに僕は280km/hオーバーで飛び込もうとしていた。だが、僕のチキンな右足は拒絶する。フラットアウトのままで挑めないのだ。マシンはスカイラインGT-Rだった。

 その理由はマシンの挙動にあった。実はそこは微妙に隆起したふたつのコブがあり、路面からの入力を受けたマシンは激しく飛び跳ねた。280km/hオーバーで四輪が離陸したままの横っ飛びである。ここを涼しい顔で駆け抜けるドライバーなどいない。

 だが、ドイツ勢は平然とフラットアウトのまま通過していく姿を目の当たりにした。マシンはビタッと安定したままだった。涼しい顔をして駆け抜けていたドライバーがいたのである。ツーリングカー王国ドイツの技術力の高さを思い知らされた瞬間だった。

 それ以来、我々は多くの改良を施した。のちに我々のマシンは跳ねることなく、フラットアウトするようになった。ニュルブルクリンクが我々を鍛えてくれたのだ。

 後日談がある。

 そのコーナーのコブが危険だと叫びはじめたメルセデスベンツが、コース改修を提案した。ギャップは削り取られ、滑らかな路面になってしまった。いまではそこは、ただの通過区間にすぎない。もうマシンは跳ねることもなく、あくびをしながらでも通過できる。

 ニュルブルクリンクのコーナーがひとつ減ってしまったことを今では寂しく思う。

  • ご覧のように、ニュルブルクリンクでの4輪離陸はけして珍しいことではない。LFAの飛行姿勢は悪くないよね。
    ご覧のように、ニュルブルクリンクでの4輪離陸はけして珍しいことではない。LFAの飛行姿勢は悪くないよね。
  • フルグフラッツでのアストンマーチンGT3。かなり後傾姿勢だから、風を巻き込んだりするとヤバいかも…。
    FlugplatzでのアストンマーチンGT3。かなり後傾姿勢だから、風を巻き込んだりするとヤバいかも…。
  • フルグフラッツでの写真ではないけれど、ニュルブルクリンクの縁石は高い。それでもビダッと路面に吸い付く足回りが要求される。
    Flugplatzでの写真ではないけれど、ニュルブルクリンクの縁石は高い。それでもビダッと路面に吸い付く足回りが要求される。

草を刈るわけにはいかない

 世界四大ゴルフ大会のひとつである全英オープンゴルフは、自然をリアルに残した「セント・アンドリュース・ゴルフクラブ」で開催される。

 バンカーは大きく口を開け、フェアウエーをはずせば、伸び放題の草木がクラブにまとわりつく。その名も「旧コースだ」。だからドラマが生まれる。

 セント・アンドリュースの草を刈ろうとするガーデナーなどいやしない。

ドイツは驚くほどの「自己責任主義国」である

 ただし、今回は観客の命を奪ってしまった。わざわざサーキットに足を運び、我々のレースを楽しんでくださった観客を巻き添えにしてしまったのだ。自己責任論ではかたづけることができない出来事である。

 今後何らかの対策が施されるだろう。ただし、それ如何によっては、このレースが世界に誇れる魅力的なレースにもなれば、ヘッドギアで守られた寸止め空手に成り下がる危険性も秘めている。

 死んではならない。死なせてもならない。だがニュルブルクリンクも、絶対に死んではならないのである。

 深く傷ついたまま、今回は筆を置く。

注:後日、DMSBより今後のレース開催に関して以下変更事項が発表された。
  • 今回の問題個所含め、コース上に3か所の速度制限域を設ける。
      問題個所:200km/h、それ以外の2か所:250km/h
      合わせて、ピットレーン走行速度を30km/hに規定(従来:60km/h)。
      違反車両には、超過速度に応じペナルティを与える。
  • 対象車両(SP7以上)に出力制限(5%ダウン)のためのリストリクター設置
  • 事故発生エリアでの観戦禁止

キノシタの近況

キノシタの近況写真

VLN1ニュルブルクリンク4時間耐久を終えてすぐにニューヨークに足を運んだ。今回は数日間のオフを頂いたので、ニューヨーカー気分で散歩。いまもっともホットなミートパッキングエリアをぶらぶらしてきたのだ。かつては治安が悪いってことで怖くて歩けなかったけれど、がらりとイメージチェンジ。東京でいえば南青山か裏原宿的なアートな街に変身しました。それにしても、海外で散歩なんて、何年ぶりだろう!

木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー

木下 隆之 / レーシングドライバー

1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」

>> 木下隆之オフィシャルサイト