武士道と騎士道
スカイラインGT-Rで始まった闘いは今年LEXUSに…
いわば、思想的な武士道と騎士道の闘いなのかもしれない。
僕がニュルブルクリンクに魅せられてからのキャリアを振り返ってみると、日の丸にこだわってきたことがわかる。
最初に彼の地を踏んだのが1991年であり、それはR32型日産スカイラインGT-Rを駆ってだった。その頃まで、日本のスポーツカーは海外勢に大きく遅れを取っていた。特に速さや強さという点では劣勢を強いられていた。そんな時期、スカイラインGT-Rが誕生、これまでの恨みつらみを晴らすかのように爆走した。それが日本車信仰の最初の一歩だった。
その後、GT500仕様のスープラで戦ったこともある。ホンダNSX-Rで数年、その後にGAZOO Racingに移籍してLEXUS LFA、TOYOTA86を経験し、今年はLEXUS RCにスイッチ。VLN の1レースだけポルシェ911で走ったことはあるけれど、基本的にはとことん日本のマシンにこだわってきたんだ。
タイヤメーカーも、完璧に日本メーカーだった。ブリヂストン、横浜タイヤ、オーツタイヤ、トーヨータイヤ、そして今年はまたブリヂストンにお世話になることになる。
1回だけの浮気も、トーヨータイヤワークスでの参戦だった。13年ぶりに本格的レースに参戦するトーヨータイヤが、自身のレベルを把握するためにまずはスタンダードなポルシェを選んだからだ。つまり、精神は常に「日本」になる。
なんで日本車にこだわるのか?
おそらくたしかなのは、自分の血脈が日本人だからということになるのだろう。ナショナリズムってヤツだ。世界の強豪たちに、日本車の素晴らしさを見せつけてやろうぜ、ってな解明不能の精神が根底にある。
そう感じたたしかな記憶は、1991年の屈辱にあると思う。鳴り物入りで誕生したスカイラインGT-Rを投入しても、初年度は惨敗だった。一周の瞬発力は対等だったけれど、耐久性はあきらかに劣っていた。修理のための度々緊急ピットインを繰り替えす我々をあざ笑うかのように、彼らは安定したタイムを刻みながら優勝をかっさらっていったのだ。
グループA時代に僕は、スパ・フランコルシャン24時間にも遠征している。だが、そこでの惨敗もトラウマになっている。
こんなこともあった。
ほぼ3時間ごとにブレーキパッドとローターを交換せねばならない我々は、画期的なブレーキ交換システムを開発していた。空気の圧力を利用し、熱く焼けただれたローターを素手で触らずに交換できるシステムである。手元のスイッチを押すだけで、ピストンを押し広げることが可能だった。
これは欧州の有力チームも興味を持ったようで、頻繁に我々のピットを覗きにきていた。敵情視察である。
だが、彼らはこういって一笑に伏した。
「ブレーキがもてば、あんなもの必要ないのに…」
レースが始まると、我々のマシンは圧倒的なタイム差で引き離すのだが、3時間ごとのブレーキ交換が災いしてロスを生んでいく。挽回しようとペースを上げれば上げるほどブレーキへの負担が増えて遅れていく。そして軽々と優勝をさらわれてしまったのだ。敵は2.5リッターNAのBMW・M3。こっちは2.6リッターツインターボのハイパワーマシンである。
その翌年は圧倒的なパワーと、改善されたブレーキ耐久性によって完全優勝をすることになるのだが、初年度の屈辱はいまだに忘れることができないのだ。そんなことは記憶のひとつの断片にすぎないのだが、そういった屈辱が今、僕が日本車にこだわる理由のひとつだろう。
ナメてんじゃねぇよ!
大体にして、欧州の彼らは、特にドイツのチームは日本車をナメている。自動車としての優秀性は認めながらも、ことスポーツカーに関しては相手にもしてくれない。眼中にないといっていいだろう。
ドイツにはBMWがあり、メルセデスがあり、アウディがある。ジャーマン3だけでなく、ポルシェがある国なのだ。
とはいえ、こんな悔しいことがあるか?日本には日産スカイラインGT-Rがあり、それが日産GT-Rへと進化。ホンダNSX-Rがあり、LEXUS LFAが生まれた。ならば日本車の優秀性を見せつけたい。ドイツ人があんぐりと口を開けて立ち尽くす姿を見たい。そんな思いなのである。
環境が育てたドライバー王国へ
日本人ドライバーをナメている。納得できなくもない。ドイツにはM・シューマッハがいてS・ベッテルがいて、それ以外にも多くのF1ドライバーを輩出している。残念ながら、日本のF1チャンピオンはまだいない。
あるドイツ人ドライバーが僕にこういったことがある。
「日本の速度制限は100キロなんだってねぇ。本当か? じゃ、いつどこでスポーツカーを走らせるんだ?」
ドイツには世界屈指の速度無制限道路であるアウトバーンがある。生まれてからずっと、彼らはオーバー200km/hの世界で生きているのだ。クルマに恵まれれば300km/hオーバーも日常である。ワインディングのアベレージでさえ、日本の高速道路より速い150km/h前後だ。そんな速度域で育ち、多くの分母から上り詰めた猛者達が、最高速度100km/hという箱庭で育った我々をナメるのもわからなくはないのだ。
だが、日本にも優れたドライバーがいることを証明したい。あの難攻不落なコースに臆することなく、果敢に攻め込むドライバーが日本にもいるのだという武士の志が、僕をニュルブルクリンクに通わせるのだ。
サムライ魂
いわばこれは、思想的な近代的武士道だと思う。時には命をなげうってでも主君に尽くす。正しく全面から挑む。恩は裏切らない。かつて剣道なんかやっていたものだから、ついつい武士道が染み付いて離れないのだ。
一方の騎士道も、概念的には同意だろうが、主君に尽くすというよりも考えそのものを重んじる。僕にとっての主君が日本車であり日本のチームなのであれば、騎士道の主君とは契約そのものだ。だから国籍でも血脈でもないのだ。
そこに刀で切り込みたい。そんな思想が根底にあると思う。
僕のこれまでの最高リザルトは以下のとおりだ。
・予選最高位 総合5位(日産スカイラインGT-R)
・決勝中のベストタイム 総合3位(トヨタ・スープラGT500)
・決勝最高位 総合5位(日産スカイラインGT-R)
すんでのところで、総合のポディウムを逃しているのだ。
僕はニュルブルクリンク24時間が終了した直後、コントロールタワー横のひと際高い舞台で繰り広げられているシャンパンファイトを、下から仰ぎ見ることにしている。
彼らがふりまいたシャンパンの飛沫が顔にかかる。それは屈辱以外の何者でもない。勝者は僕ら敗者を上から目線で蔑む。僕ら敗者は、ただ憧れながら見上げるだけだ。
いつしかあのポディウムでシャンパンをふりまいてやるんだ。
悔しさがまだ僕に残っているうちは、まだ戦えると思っている。
日本車による日本人による、総合での表彰台を夢見て今年も戦う。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」