木下隆之連載コラム クルマ・スキ・トモニ 151LAP

2015.06.09 コラム

変態クルマ!

サークル活動なのか?

 ピットロードに戻ってきたばかりの僕を青年達が取り囲み、次々にこう声を掛けてきた。

「どうですか?」

「走りはどうですか?」

「ブレーキは? けっこう気合い入れたんですけど」

「高速コーナーなんか、全開でいけますよね」

「マジなところ、どうですか?」

 矢継ぎ早に繰り出される質問に答える間がない。そこで僕は、すべての質問を一括りにして、固唾を呑んで回答を待つ青年たちに向かってこう告げた。

「変態だね!」

 サムアップのサインも添えてやった。

 すると彼らと彼女らは、怒るわけでも怪訝な顔をするわけでもなく、それぞれが顔を見合わせて「いえ~!」。奇声を上げ、次々にハイタッチをして喜びを表したのだ。まるでビンゴゲームでお目当ての商品をゲットしたかのように盛り上がったのだ。僕が告げた言葉が最大の褒め言葉であることを理解してくれたのである。

 思わず僕もその勢いに飲み込まれ、彼らとハイタッチをして喜びの中に加わった。

若者の夢が…

 彼らは、ホンダがこの春に発売を開始した「S660」の開発チームのメンバーであり、その中には開発責任者の椋本陵LPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)も混じっていた。

 椋本LPLは弱冠26歳である。市販車両の開発責任者としては異例の若さで抜擢されたシンデレラストーリーの主人公なのだ。椋本LPLによって集められた開発メンバーも、総じて若い。事情を知らずに彼らの顔を眺めれば、テニスサークルの仲間のようにも見えるし、スキーツアーに向かう学生たちのようにも映るのだ。

 それでもれっきとしたホンダ「S660」の開発メンバーなのだ。

 椋本氏がまだ社会人として新人だった22歳の時に、本田研究所の50周年を記念した社内公募で「自分が欲しいと思うクルマ」を提案するイベントがあった。そこに椋本氏は、学生時代に学んだ得意のデザインセンスを武器に、小さなオープンスポーツカーのイラストを提出。それが見事に大賞に輝く。

 大賞受賞の褒美に、ささやかな開発予算が与えられ試作車を製作、その段階ではただの褒美のレベルだったのだが、その試作車を伊東社長がドライブする機会があり、「これはオモシロイ!」となり、「ならば、市販を前提に開発しろ!」となった。さらには「その責任者は君だ」と。なんと当時、弱冠22歳だった椋本氏が全権委任されたのである。シンデレラストーリーの始まりである。

  • 世界一若いであろう開発責任者、椋本陵LPL。開発責任者と肩を組んだのは初めてである。そんな気さくな雰囲気が彼にはある。
    世界一若いであろう開発責任者、椋本陵LPL。開発責任者と肩を組んだのは初めてである。そんな気さくな雰囲気が彼にはある。
  • 極めてコンパクトだが、縮こまった印象はない。思いのたけを表現したかのようだ。
    極めてコンパクトだが、縮こまった印象はない。思いのたけを表現したかのようだ。
  • 2010年の公募から完成までの変遷がポップな絵柄で描かれていた。
    2010年の公募から完成までの変遷がポップな絵柄で描かれていた。
  • 開発責任者として商品説明をする。若い言葉には独特の説得力がある。
    開発責任者として商品説明をする。若い言葉には独特の説得力がある。

異例の大抜擢

 開発責任者は、豊富な経験を積み重ねてきたベテランが担うのが定石だ。

 一流大学で機械工学科を卒業し、開発チームに抜擢され、数十年の下積みを重ねながら、数々の経験をし、人望も人徳ももちろん開発知識にも優れたエリートがようやく手にする最上級のポジションである。

 トヨタの呼称ではCE(チーフ・エンジニア)、日産ではCPS(チーフ・プロダクト・スペシャリスト)、CVE(チーフ・ビークル・エンジニア)、PD(プロダクト・ダイレクター)(の3人で分担)と呼び、功績が認められれば常務取締役への昇格も夢ではないポジションである。

 たとえばゼロクラウンを成功させた加藤光久CEはいまトヨタの取締役副社長を務めているし、ピンククラウンの山本卓CEのいまの役職名は常務役員である。LEXUS LSを軌道に乗せた吉田守孝CEは専務役員である。初代のプリウスの開発責任者だった内山田竹志CEはなんとトヨタ自動車株式会社代表取締役会長の座に登り詰めたのである。経団連の副会長でもある。

 というように、会社によって事情が異なるとはいえ、経験を積み重ねてきたエンジニアの憧れのポジションである開発責任者を、学生の雰囲気が消え切れていない椋本氏が担うというのだから、これがニュースにならない方がおかしい。
 料理専門学校を卒業したばかりの若者が帝国ホテルの料理長に抜擢されたとしたら?
 美術学校卒業したての新人が、広告代理店のSCD(シニア・クリエクティブ・ディレクター)に就任したら?
 昨今のベンチャー企業では、若い発想を大切にする風潮があるものの、ホンダは東証一部上場の大手自動車メーカーである。つまり、ベンチャー的発想を彼に託したのである。

 椋本氏をサポートする開発メンバーも、実に若々しい。ちょっと大袈裟にいえば、渋谷のセンター街で合コンにいそしんでいる茶髪ピアスの若者、といった風体のメンバーもいる。それなりの学歴や、けして楽ではない入社試験を突破してきた精鋭なのだから、根底では常識人であろう。だが一見するとやはり、学生サークルの雰囲気が漂っているのだ。

 椋本LPLの側近には、2名の経験豊かなベテランエンジニアが寄り添う。開発責任者補佐。彼らふたりが、椋本LPLのサポートをするようだ。

 開発は情熱だけでは不可能だ。技術と知識が備わっていても、スムースに進むとは思えない。関係各所の理解と協力が欠かせない。どこの馬の骨ともわからんやつに協力できない、となれば開発は頓挫する。おそらく椋本も若いがゆえに相当の苦労があったと想像するが、それを陰になり日向になりサポートした補佐の存在も重要だっただろう。

 僕は開発責任者補佐の方にこんな質問をしてみた。

「若いチームでやりづらくはなかったですか?」と。

 するとこんな答えが帰ってきた。

「彼はリーダーシップもあるし、信念もある。なによりも作りたいクルマの理想像を持っている。だから苦労したことは少ないんです。あえて苦労といえば、彼が作りたいように作らせてあげるために、自分を抑えることでしたね」

 若い発想を大切にすることに苦労があったようだ。

 椋本LPLにもこんな質問をしてみた。

「なぜ、このアイデアが大賞に選ばれたと思いますか?」

「わかりませんけれど、少なくとも僕らはカッコいいホンダを知らないんです。入社した時には、元気のないミニバンメーカーになっていた。過去の武勇伝は知識として知っていましたけど、実感がない。だったら僕ら若い世代が、元気なホンダにしなければならないのだろうと思ったんです。作品が最終ステージまでノミネートされた時に面接があるんですけど、オヤジ世代には若者のクルマは作れっこないって悪態ついたんです。だから大賞なんて想像もしていなかった」

  • タイヤは贅沢にも、初の市販化となるアドバネオバ。アイテムにケチりたくはなかったという。
    タイヤは贅沢にも、初の市販化となるアドバネオバ。アイテムにケチりたくはなかったという。
  • ハンドルも市販車としては異例に小径の350パイだ。2DINのコンポは装備しない。理由はカッコ悪くなるから…。
    ハンドルも市販車としては異例に小径の350パイだ。2DINのコンポは装備しない。理由はカッコ悪くなるから…。

変態集団が開発した変態的クルマはとても正しかった

 彼らが開発したS660はたしかに変態クルマである。

 軽自動車でありオープン2シーターであり、ターボエンジンを搭載する。数字が証明するように速さには興味がなく、ピュアに走りの味だけを求めて開発されている。

 背後のウインドーは電動で開閉可能だ。それを開けると、ターボ過給圧を逃がすウエストゲートのサウンドが、プッシュープッシューとスロットルを開け閉めするたびに響く。

「リアの窓を開けると、いいサウンドでしょ?」

 椋本LPLは満足げな笑みを浮かべた。

「音を抑えろと言われつづけてきたけれど、音を出してほしいって言われたのは初めてだ」

 音振関係の担当者がそう言って笑った。

 トランクには、最低限の荷物しか詰めない。小さなボストンバッグをひとつ積むのが限界だろう。

「ゴルフバッグがいくつ積めるのかなどという基準がありましたけれど、バカらしいですよね。スケボーなら積めますから十分でしょ」

 信念のある若い発想である。

 ちなみにS660はとびきりファンなクルマである。安定感も高く、小気味いい走りに終始する。サウンドもフィーリングも天下一品である。それでいて乗り心地がとてつもなくいい。

 実はこれこそ若者が開発したスポーツカーの形なのだと思った。少なくとも、「スポーツカー=硬い足回り」という定説こそオヤジ感覚なのである。いまの若い者は「乗り心地が良くてあたりまえ」なのだ。

  • フロントの収納スペースにルーフをしまうと、ほとんど荷室はなくなる。だが、だからどうした?
    フロントの収納スペースにルーフをしまうと、ほとんど荷室はなくなる。だが、だからどうした?
  • リアシェードは電動で開閉可能だ。背後に積んだエンジンのサウンドを聴くため?
    リアシェードは電動で開閉可能だ。背後に積んだエンジンのサウンドを聴くため?

ホンダの浮沈を握る

「オヤジにはわからなくていいですよ。若者のために作ったクルマですから」

 そう言いながら、武闘派オヤジ代表の僕にインプレッションを求め、好感触であることを伝えるとハイタッチして喜んでくれた。僕のことをオヤジだとは思っていないのか? そのことが嬉しかった。

 日頃高所から評論することの多い立場の我々が、開発陣に認められて喜ぶのは初めてである。このクルマ、低迷するホンダの浮沈を担う重要なモデルである。椋本LPLの手腕はもちろんのこと、彼らに全権を委ねたホンダは、近い将来復権するのだと確信した。

 たかがS660、されどS660である。

キノシタの近況

キノシタの近況写真

世界には過激なコースが少なくない。スペインの「ハラマ・サーキット」も聞きしに勝るコースだった。アップダウンは激しく、路面は荒れ放題。ブラインドコーナーの連続で、コースオフエリアも少ない。かつてF1が行われた。2輪の世界GP250では原田が世界チャンピオンに輝いたことでも有名だ。このコースの過激さを知って、より一層原田の凄さが理解できた。

木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー

木下 隆之 / レーシングドライバー

1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」

>> 木下隆之オフィシャルサイト