さようなら、仙台ハイランド・レースウェイ…
営業終了を知ったのはつい最近なのだよ
これも時代のひとつの終焉といえるのだろう。
僕が気に入っていたサーキットのひとつ、「仙台ハイランド・レースウェイ」がひっそりと、28年の歴史に幕を閉じていた。営業終了が平成26年の9月15日だというから、営業を終了してからすでに1年が経過していることになる。まったく失礼なことに、僕がそれを知ったのはつい最近のことだ。
このところ走る機会もなく、あまり話題に上がることもなかった。最後に走ったのは、5年前だったと思う。
バブル経済の勢いが…
仙台ハイランド・レースウェイがオープンしたときのことは、いまでも鮮明に覚えている。
というよりむしろ、山を切り開き、ブルドーザーが造成をしている頃から僕はこのサーキットを目にしている。僕はまだ出版社に身を置いており、編集スタッフの立場でオープン直前のこの地を取材に来ていたのだ。
オープンは昭和61年だから、つまり西暦1986年。時代はまだバブル経済のピーク時であり、たとえば第二世代のスカイラインGT-RやNSXといったスーパーウエポンの開発がスタートした頃だ。経営は地元の株式会社青葉ゴルフ。資金的余裕のある地元が主体となっていたことでも想像できるとおり、ここもバブルの申し子だといっていいだろう。
コースは、アップダウンの厳しいテクニカルレイアウトだった。鈴鹿サーキットや富士スピードウェイほど本格的ではなかったけれど、地方のサーキットとしては立派な方で、数々の全日本選手権も開催されていた。
コースオフエリアは少なく、コースレイアウトはトリッキーだったから、ここで優れたタイムを刻むのはけして簡単ではなく、多くのプロドライバーを悩ませたほどだ。
だがそれゆえに、レースはエキサイティングだった。コースオフすれば、崖転落防止用のコンクリートフェンスから跳ね返ってきたマシンがコース上を塞ぐこともあったし、安全性が未熟だったオープン当初は、コースオフしたマシンがその先のコーナーにヒョコッと現れるようなこともあった。
難しく、だが攻めがいがあった
仙台ハイランドを不得手とするドライバーは、とことんこのサーキットを嫌ったが、得意とするドライバーは好んだ。コースが特殊だったことで、得手不得手が如実に現れるのも特徴だったのだ。すなわちそれは、ドライビングスキルを磨くには理想的なサーキットだったともいえる。
遊園地も付帯していたし、スキー場も併設されていた。もちろんゴルフ場も敷地内にあり、バーベキューエリアもあった。ゼロヨンのトラックがあったのも珍しかったのだ。僕は何故かここを得意としていたから、仙台ハイランドでのレースが楽しみでしかたなかったし、レース前後にゴルフをしたり、遊園地で遊んだり、あるいは東北一の歓楽街である国分町で夜な夜な遊んだものである。今となってはいい思い出である。
仙台ハイランドの経営が怪しいという噂は、バブル経済が弾けたあたりから度々噂に上がっていたけれど、その噂が信憑性をもって語られるようになったのは東日本大震災の直後である。
地震の影響でコントロールタワーは傾き、コースはうねりが残った。それを修復し再開するには膨大な資金が必要だと発表され、たとえそれをしたとしても資金回収のめどがたたないとされたのだ。
すでに全日本レースは開催されなくなっていて、地元の走り好きがスポーツ走行を楽しむ程度のミニサーキットになってしまっていたからである。
コースが荒れていることが特徴という皮肉…
地震後には、日産がGT-Rの開発ステージとして活用していた。ニュルブルクリンクをメインステージとしていた日産GT-R開発部隊が日本のサーキットとして通っていたのは、ニュルブルクリンクのようにコースが荒れていたからという皮肉である。
山口県の美祢サーキットがマツダに買収され、いまではテストコースとして現存しているものの、我々が走る機会はない。そして仙台ハイランド・レースウェイが閉鎖となった。多くのドライバーを育てた魅力的なサーキットの終焉は、本当に寂しい。
でも、最後にこれだけはいっておかなければならないだろう。仙台ハイランド・レースウェイで戦った日々はけして忘れない。あのサーキットで勝ったいくつかの勝利も、僕は一生忘れることはないだろう。
ありがとう。仙台ハイランド・レースウェイ…。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」