「数々の称号を次々に…」
いつかやるかもしれないという予感があった。だけど、現実のものになるとは思わなかった。それがただ挑戦しただけに留まらず、勝利を手にするなどとは誰が想像できただろう。参加するだけで賞賛を浴びたはずなのに、それでは満足できずに彼は金メダルを獲得したのだ。
これまでコレクションしてきた「世界一」という称号にまたひとつ、「リオデジャネイロ・パラリンピック金メダリスト(ロード男子タイムトライアルH5)」という栄光を加えたのである。アレックスのことです。


本名はアレッサンドロ・レオーネ・ザナルディ。1966年にイタリア・ボローニャで生まれた。
幼少の頃からレース界のエリート街道を突き進み、1991年から1999年までF1を戦った。ジョーダンF1チームからデビュー、ミナルディ、ロータスと名門を移籍し移籍し、戦いの場を一旦はアメリカに移す。アメリカトップフォーミュラーのCARTチャンプカーでは2度のチャンピオンを獲得、レーシングドライバーとしての頂点に立った。その後また、名門ウィリアムズの契約ドライバーとなり、文字どおり世界的なドライバーとしてF1に返り咲く。
「残り16周の悲劇」
ヨーロッパのF1で活躍したあとアメリカで頂点を極め、またF1に舞い戻った彼は、さらにまたアメリカでの挑戦を始めた。そう、戦いの場をアメリカに戻し、さらに勝利数を積み重ねていたとき、彼は悲劇にあう。2001年、ドイツ・ラウジッツリンクでのCARTレース中、残り16周となったときスピンを喫し、コントロールを失ったアレックスのマシンに後続が激突、フロントノーズ部分ごと両足をもぎ取られたのだ。
誰もがアレックスのレース人生が終わったと悲観しただろう。彼のレーシングドライバーとしてのキャリアは、まるでPC画面が突然ブラックアウトしシャットダウンされた…かのように思えた。
「悲劇は伝説の始まりだった」
順風満帆にエリート街道を突き進んでいた彼の人生の歯車が狂ったように見えた。だがそれは、新たなベクトルに向かって輝き始める。
痛ましい事故からわずか数ヶ月後、サーキットには車椅子に乗る彼の笑顔があった。さらに約2年後の5月11日。BMWとレーシングドライバー契約した彼は、特別レース仕様のBMW318iで、彼の両足を奪ったドイツ・ラウジッツリンクで、両足を失ったあのレースで到達できなかった残りの16周を走り切ったのだ。
さらに2005年、WTCC(世界ツーリングカー選手権)に挑戦。その年の14戦目で優勝してもいるのだ。2006年にはスペイン・バレンシアで義足のままBMWザウバーに乗り込み12周を走行したのである。
アレックスは事故後もモータースポーツの情熱を失わずにいたが、2009年、WTCC引退を発表。すでに数年前から取り組んでいたハンドサイクルへの転向を宣言したのだ。


「超人伝説は留まることを知らない」
彼は障害者となったことに悲観した様子はまったくなかった。事故数ヶ月後にパドックに現れた彼は、ちょっと足首をくじいただけの学生のような楽観的な笑顔でいたし、彼が復帰後初優勝した時には、大勢の仲間が彼のもとに笑顔で駆け寄り、握手を求めた。皆が涙を流した。それほど彼は愛されていたのだ。
挑戦するその精神力の強さにまず感動せざるを得ないだろう。そしてその驚くほど強靭な体力には脱帽する。だが、彼の魅力は、誰にも愛されるその優しい笑顔にあると僕は思う。


僕がアレックスに抱く印象は微笑ましい。その実績が物語るように、速さが桁外れなことに疑いはない。だが時折、滑稽にミスをする。燃料補給を忘れてガス欠ストップで目の前の優勝を逃す、という失態や、トップ快走中の残り数ラップで単独スピンを喫すなどなど、笑える話題に事欠かない。
それでも速さがあったから実績を残すことができたのだし、彼の人柄に惚れた関係者が全面的にサポートしたのである。


そんなアレックスのサポーターのひとつが、BMWであろう。あるいはBMW系名門チームであるROALモータースポーツが彼を支え続けたのだ。


BMWは、彼がWTCCに復帰するにあたって特殊なマシンを開発した。両足の機能を失ったアレックスのために、アクセルペダルは、太ももに力を加減することで操作できるように改良した。プレーキも同様である。ステアリングの裏にそれに沿うようにリングが設けられていた。コーナリングワークも残された膝から上と上半身で可能なように細工されていたのだ。
体を支えるための両足のないアレックスのために、BMWは強い横Gに耐えられるバケットシートを開発してもいる。






ここまで彼を支え続けたBMWとROALモータースポーツの姿勢にも感銘を受けるが、BMWをそんな気持ちにさせたアレックスの人徳なのだろうと思う。
「まだレーシングドライバー人生は華やかに現在進行形だ」
実は今年、リオ・パラリンピックで金メダリストとなったというのに彼のモータースポーツへの熱は冷めていなかった。2016年10月16日に、イタリアンGT選手権に挑んだのである。それを支えたのも、BMWとアレックスと長い信頼関係を築いているROALモータースボーツである。
マシンはBMW M6 GT3である。
そしてその復帰レースで彼はいきなり優勝をしてみせた‼




そう、アレックスは子供の頃からレースを始め、F1を戦い、CARTで王者になり、WTCCで勝った勢いのまま、自転車競技で金メダルを獲得している。そして今年の秋、GT選手権で勝利を収めた。
彼は生まれてからいままで、ただ普通にレースを戦ってきただけなのだ。たまたま両足を失っただけなのだ。そう思わざるを得ない。
アレックスという男はナニモノなのだ。
「超人」
この言葉以外、見当たらない。そして誰よりも愛されているレーサーなのだ。
僕はアレックスの事と、それを支えつづけているBMWを尊敬している。




キノシタの近況

「LEXUS AMAZING EXPERIENCE 宮古島」の企画演出を終えた。まだ残る真夏の太陽のもと、驚きと感動を体験してもらった。頭は柔軟に、行動は素早く、信念は頑固に…。そして仕事を楽しむ。いい仕事しちゃったような気がする。
木下 隆之/レーシングドライバー

1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
木下隆之オフィシャルサイト >
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アニキが日本人最多出場を誇る、世界一過酷な耐久レース「ニュルブルクリンク24時間耐久レース」。2016年はTOYOTA C-HR RacingとLEXUS RC、LEXUS RC Fの3台で参戦。