室屋義秀。「レッドブル・エアレース」優勝パイロットである。レース専用に開発された機体を操り、最高速度370km/h、最大重力加速度10Gの中で低空飛行しながらタイムを競うそのレースで、日本人として初めて栄冠を手にした男が室屋義秀選手である。

エアレースは、ライバルと競り合うことのないタイムトライアル形式だ。上空25メートルの高さまで膨らませたパイロンをゲートにみたて、そのゲートを通過しながら、定められたコースをいかに速く飛ぶかを競うもの。機体は鋭く激しく斜めになったり旋回したり、時には宙返りをしたりしながらゴールを目指す。約1分ほどで完結するスプリント飛行である。
2016年は、アブダビでの開幕戦からラスベガス戦まで、世界を転戦する形式で8戦が繰り広げられた。
彼が操る機体に同乗体験する機会に恵まれた。トレーニングの合間だったけれど、僕を乗せた機体を急旋回させたり、垂直に駆け上ったりさせたあと、一転してきりもみ急降下したりと、超絶恐怖体験にも似たエクストリームフライトを体験させてもらったのだ。セスナやヘリコプターの操縦経験は数時間に及ぶけれど、これほどAMAZINGな時間を過ごしたのは初めてだった。
機体はタンデム仕様で、前後に2座席タイプだ。不思議なことに、パイロットの室屋選手は後部座席に座り、操縦桿を握る。前席の僕はただひたすらシートにくくりつけられており、何も遮るもののない大空を舞ったのである。


「技は多彩だ」
「左の山並みが色づいてますね」
まずは穏やかにそう言って安心させた。ヘルメットに内蔵された無線は、室屋選手と僕と地上でつながっている。
「雲の間を旋回しましょうか」
無線から聞こえたクリアな声は、不気味に穏やかだった。
「さて、旋回しましょうか」
「はい、お願いします」
もうこの時点で僕の体は、うっすらと汗ばんでいた。
室屋選手が唐突に操縦桿を引くと、機体は上空に向けて急上昇し始めた。そして、そのまま操縦桿を引き続けると、機体は旋回したまま宙返した。操縦桿を傾けると、機体は45度の角度でバンクしはじめる。傾いたまま急降下だ。
さらに操縦桿を傾け、そのまま引き続けた。機体は傾いたまま降下せずに高度をキープした。そんな芸当を地上スレスレで演じてみたりするのである。


「ハンマーヘッド」は、垂直に上昇した機体を故意に失速させ、勢いを失わせたまま反転、真横に向きを変えて機種を真下に向けて急降下する技だ。ハンマーヘッド(カナヅチ)のその姿から命名された。
「ナイフエッジ」は機体を90度傾けたままの姿勢で水平飛行する。
「キューバンエイト」は8の字の軌跡を描く曲技だ。
「インサイドループ」は、水平飛行から機首を上げながらのバク転だ。
「アウトサイドループ」は前転である。
というような技を僕は、室屋選手にすべてをゆだねて体験したわけである。貴重な3次元の世界である。


「恐怖感よりも特殊な快感が走る」
それは怖くはないと言ったら嘘になる。だけど、もともとエクストリーム系は大好物だし、そもそもエンジン付きの乗り物は、陸であれ海上であれ、やってみなければ気がすまない性分である。たとえそれが空であっても同様で、真っ先に体験搭乗に立候補した。恐怖心よりも好奇心の方が勝っていたのだ。
印象的だったのは、強烈なGが絶えず発生していることだ。
我々レーシングドライバーの、日頃の2次元感覚とはいささか趣が異なる。強烈な横Gに耐えながら、コンマ1秒に挑んでいるという点では共通しているものの、前後左右に加えて、上下のGが複雑に混ざり合う3次元とは勝手が違うのだ。特に、上昇から下降に転じる瞬間の、体がフワっと浮くようなマイナスGは、前後左右のプラスGが絶えることなく続くサーキットアタックとは感覚に差がある。
だが、しばらく上空のフライトに耐えていると、どこかで味わったことのあるような既視感が芽生えてきた。そう、ニュルブルクリンク「ノルドシュライフェ」を攻めているあの感覚と酷似していたのである。

平均的な、日本のサーキットで上下Gを感じることはまずない。僕の経験では、スパ・フランコルシャン(ベルギー)のオー・ルージュかザンドフォールト(オランダ)。そしてニュルブルクリンク・ノルドシュライフェだけである。
ただし、スパ・フランコルシャンもザンドフォールトも、縦Gを意識するのは一部のコーナーだけであり、全周にわたって繰り返される落下の感覚や登る感覚はニュルブルクリンクだけだ。
かつては280km/h横っ飛びジャンプがあり、あまりに危険だからと改修された後も250km/hジャンプは残る。濁流落としから駆け上がる時には、頭蓋骨の重みを意識させられるほどの縦Gが加わるし、フットレストに乗せた足を、強い力で引かなければプレーキペダルを踏みづらい。
そう、2次元の地上に存在するサーキットで3次元感覚が味わえるのはニュルブルクリンクだけなのかもしれない。だからこそ、クルマが鍛えられるわけだし、高度なドライビングスキルが求められる。
3次元の複雑な環境の中で繊細なテクニックが試される点では、エアレースとニュルブルクリンクはどこかで共通項があると思った。だから僕は、ニュルブルクリンクに魅せられ、曲芸飛行を嬉々として楽しんだのかもしれない。
実は体験フライト後、室屋選手とレース談議に花を咲かせるうちに、彼にもレーシングマシンの同乗体験をしてもらおうということになった。
前後左右のGと、そこに加わる縦Gの体験で話が尽きなかった。エアレースパイロットとニュルブルクリンクドライバーは、ともに3次元の世界で戦っているのだと思った。


キノシタの近況

スーパー耐久。富士は予選2位、続く岡山予選3位。TGR86号車の背中が目の前に見えてきたぜ!!最終戦オートポリスは大嶋和也の投入で初優勝なるか?!
木下 隆之/レーシングドライバー

1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
木下隆之オフィシャルサイト >
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アニキが日本人最多出場を誇る、世界一過酷な耐久レース「ニュルブルクリンク24時間耐久レース」。2016年はTOYOTA C-HR RacingとLEXUS RC、LEXUS RC Fの3台で参戦。