レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

184LAP

184LAP

「モータースポーツとパラリンピアンの親和性」

2016.11.22

「モータースポーツとパラリンピアンの親和性」

 ゲレンデは、強い風にあおられた粉雪が舞い、視界を著しく奪っていた。そんな吹雪の中で、不気味な切り裂き音が響いていた。じゃりしゃり…。その音は、徐々に僕の方に近づいてきた。霞む視界の中、ようやく姿を現したそれは、チェアスキーを巧みにバランスさせ雪道を駆け下りるアスリートだったのだ。

 日頃目にしているスキーヤーとは違い、チェアの分だけ重量感があり、迫力があった。

 幼い頃、下肢に障害をおった友人と、チェアスキー大会を観たことがある。僕がレースを始めた頃だったから、ずいぶんと昔のことである。
 確か国際的な大会だったと思う。
 障害者スポーツは今よりももっとマイナーな競技で、観客など数えるほどしかいなかった。パラリンピックという言葉すらあったかどうか怪しいほどの時代だ。
 大会当日は冷たい風と雪で吹雪いており、世界各地からやってきたチェアスキーヤー達が、凍えるようにしながら急斜面に挑んでいたことを記憶している。

 それでも、急斜面を駆け下りるチェアスキーは僕を驚かせた。子供の頃からスキーには足繁く通っていたけれど、それを観たのは初めてだったし、そのダイナミックなスキースタイルは、障害の有無を超えて僕を感動させたのである。
障害の残った友人は、特にスキーが得意で運動神経抜群だった。新しい世界の扉を前に、希望を膨らませたように潤んだ目でそれを観ていた。

鈴木 猛史選手

鈴木 猛史選手

「雪上のモトクロス」

 チェアスキーは、下肢に障害を持つアスリートが使用するスキーである。いわば車椅子のスキー版だ。競技用の場合、スキー板は1枚。そこに数本のサスペンションアームが複雑にデザインされ、スプリングが合体したショックアブソーバに組み込まれる。アスリートの体を支えるバケットシートが、アームの上に固定される。いわゆるモノショックタイプのスキー板である。
選手はバケットシートに座り、両手に持ったアウトリガーと腰で絶妙にバランスをとりつつ斜面に設置されたポールを左右に回避しながら降る。エッジが雪面に食い込み、体を雄大にバンクさせながら滑るその姿はダイナミックで美しい。健常者のそれよりも重量物が大きいから、迫力という点では圧倒的に優っていると思えた。

大きな塊が、尋常ではない速度で飛んでくるわけで、転倒すればとんでもないことになりそうだぞと後ずさりしたほどだ。30度を超える急斜面を、時には100km/hオーバーの速度で滑り降りるらしい。

「圧倒的なドイツ勢の前に…」

 かつて、友人と観た国際大会を圧倒したのはドイツ勢だった。記憶が曖昧だけど、確か日本勢は下位に沈んでいたと思う。
 大きな体を巧みにくねらせながら、コブが連続する急斜面に果敢に挑み、優れたタイムを連発していたドイツ勢とは対象的に、日本の選手は斜面を滑り降りるのが精一杯の様子だった。表彰台の上位はドイツ勢に独占されていたのだ。

 ドイツ勢と日本勢の決定的な違いは、マシンのレベルの差だと直感した。すでに僕はレース界に身を置いていたから、チェアスキーは初めて観戦した競技だとはいえ、その差がアスリートのレベルにあるのかマシンの違いにあるのか、あるいはその両方なのかがすぐ判断できた。少なくともそこには歴然としたマシンの性能差があることは明白だったのだ。

 今ではむしろ美しくクールなデザインのチェアスキーだが、当時は今思えば滑稽なほど幼稚なつくりだった。
 体を固定するのは、旅行カバンのような箱である。こたつにもぐりこむようにして腰や足を固定していたのだろう。そんな箱に板バネが固定されているだけの粗末な乗り物だった。ショックアブソーバなどは装着されていなかったから、凹凸を拾ったチェアスキーは、一旦バウンジングを始めると上下動はおさまらない。スキー板を斜面に密着させるというよりも、衝撃を吸収するためだけの道具だったのだ。
 それがやがて金属の棒とサスペンションを結合させたチェアスキーへ進化していくのだが、それでもスキー板とバケットシートを合体させただけのような構造だったから、斜面に挑むというよりも、ただただ下るだけという代物である。
 サスペンションなどはほとんど機能しておらず、ギャップを食らうごとに体が跳ねあげられていた。健常者のモーグルは、膝をサスペンションに衝撃を巧みにいなしながら滑り降りる。上体が上下動することはほとんどない。だが当時のチェアスキーは、サスペンションが膝のようには柔軟に機能せずに、棒立ちのまま滑っているようだったのである。

 日本勢がそんな時代に、ドイツ勢のチェアスキーはサスペンション機能があった。ドイツ勢は、大きなギャップをしなやかに吸収していた。選手の体が弾かれることもなく、斜面を舐めるように降っていく。一方の日本勢は斜面の凹凸に弾かれ、転倒せずに降るのが精一杯。勝負になるわけもなかった。

「モータースポーツが役に立つことの喜び」

日本製チェアスキー

日本製チェアスキー

 たしか当時のドイツ勢のマシンには、BMWがバイクのノウハウを注いで開発していたという。バイクとチェアスキーには親和性が高いのだからそれも当然だろう。
 一方の日本は、そこまでの大手が技術的にも資金的にも参入していなかった。その後、バイクのサスペンションで有名なSHOWAがチェアスキーへの参入を発表し、ホンダも技術的に協力するという話題を耳にした時には、日本の障害者が活躍する時代の訪れを予感したものである。

 今ではSHOWAだけでなくオーリンズもチェアスキー界では有名である。モトクロスで活躍するサスペンションメーカーが参入することで、雪上のモトクロスともいえるチェアスキーが格段に進歩したことは言うまでもない。

 ヤマハやKYBも、パラリンピアンを支えている。

 1998年の長野・冬季オリンピック・パラリンピックで、最多のメダルを獲得したのはドイツだった。スキー天国オーストリアに隣接しているだけでなく、ドイツ本国にも魅力的なゲレンデが少なくない。そんな事情だけでなく、自動車やバイクの技術とウインタースポーツが密接だったのである。障害者スポーツのパラリンピックの活躍と、資金的に恵まれた大国の技術力との関係は明白だ。ドイツが他を圧倒していたのである。
 長野パラリンピックのメダル獲得数2位は、なんと日本だった。ホーム開催が有利なことも考慮しなければならないが、僕らが日頃触れている技術が、パラリンピアンに貢献していることを、とっても嬉しく感じたものだ。

 2018年に韓国・平昌で、冬季パラリンピックが開催される。世界のパラリンピアンの活躍を、日本のメーカーが支えていたら尚嬉しい。

森井 大輝選手

森井 大輝選手

キノシタの近況

キノシタの近況

2016年スーパー耐久のすべてのレースが終わった。
突貫工事でチームを構成し、参戦ができたのが2戦目から。
ゆっくりマシンを開発している間も無く、前半は苦戦したものの、3戦目から戦闘力を発揮しはじめた。最終戦では、ワークスのTOYOTA GAZOO Racingで予選を制し、決勝も前でゴールした。
優勝したかったけれど、まずまずでしたね。

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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