レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

214LAP2018.2.28

冬季五輪から新たなモータースポーツを想像した

平昌冬季オリンピックで大活躍した女子団体パシュートで涙を流しながら 木下隆之は、かつて企画した「自動車版バトルパシュート」と「パシュートゲーム」のふたつのモータースポーツを回想した。結局のところ企画倒れ。ものにはならなかったけれど、パシュートの魅力が認知された今こそ、再燃の可能性があると鼻息が荒い。木下隆之が思い描く新たなモータースポーツの創造とは何か……!?

 平昌冬季オリンピックは日本人選手の活躍もあって、大いに盛り上がった。開幕前は「なんだかなぁ〜」な雰囲気だったけれど、いざ蓋を開けてみれば、連日連夜の大興奮。
 男子フィギュアでは羽生結弦と宇野昌麿が揃って、表彰台にたった。求道者・小平奈緒が女子スピードスケート500mで圧勝の金メダルを獲得。挫折から這い上がり手にした栄光に何度も涙を流したものだ。
 その中で、特に僕は女子団体パシュートの激走がハートに響いた。個の力で勝るオランダチームを、緻密な戦略とチームワークで逆転。コンマ1秒を削り取る執念にも似たスケーティングに目が釘付けになったのである。
 今回から新たな種目として加わったマススタートも、頭脳的なプレーが炸裂。高木菜那がパシュートに続く、ふたつ目の金メダルに輝いた。

「で、パシュートってなんなのだ!?」

 まさか、女子団体パシュートを観なかった人はいないとは思うけれど、ここで簡単にルールをおさらいしておこう。
 そもそも「パシュート(Pursuit)」とは英語で「追撃」とか「追走」を意味する。
 1チーム3名構成で、一周400mのリンクを6周(男子8周)で競い合う。2チームが同時にコースの反対側に分かれてスタート。3名のスケーター全員がゴールラインを切った瞬間が正式なゴールとなる。つまり、誰か一人でも遅れてはならない。誰か一人がぶっちぎっても意味はない。まさに団体戦らしく、全員が平均して速く滑らねばならないのだ。

「では、見どころは!?」

 パシュートの精神は「犠牲」にあると思う。力のあるスケーターは劣るスケーターのために自らのパワーを分け与えるのだ。
 チーム日本が金メダルを奪い取ったポイントはふたつ。空気抵抗の低減と順番入り変えの技にあった。
 日本のエース、高木美帆が空気の壁を受けつつ後続ふたりの体力を温存、その後お互いをかばいあいながら、ゴールを目指す。前後の間隔はライバルより圧倒的に接近しており、しかも腕の振りや足の運びもピタリと揃っていた。腕の空気抵抗さえも無駄にしない。正面からの眺めでは、まるで先頭スケーターの影が滲んでいるかのように重なっていた。まさに追走。
 また、必ず一度は全員が先頭を滑走しなければならない。それは規則だ。だから、どこかでラインをはずして後続の背後に回りこまなければならない。その入れ替えも見事だった。
 ライバルチームはカーブ全体を利用してダラダラと行う。最前走者が速度を緩め、アウト側を滑って入れ替える。それに対して、日本チームはカーブ入り口の一瞬で入れ替えを完了させる。滑走距離は伸びるけれど、速度を一瞬足りとも落とさずにこなす作戦を採用した。

「自動車版パシュートを企画しました」

 人気のビデオマガジンである「ベストモータリング」のレギュラーを張っていた頃、「バトルパシュート」と命名して新しいモータースポーツを創造し、公式実験をした。
 五輪パシュートがそうであるように、レースも空力がスピードに影響する。バトルの駆け引きも重要だ。ならば、「自動車版パシュート」もスケートと同様に、魅力的なモータースポーツになるのではないかと夢を描いたのである。
「バトルパシュート」の実験台になってもらったチームメイトは、世界の荒聖治と当時は新進気鋭だった大嶋和也だった。スイフトと2台のCR-Zに乗り込んで、ツインリングもてぎの特設リンクを激走したのだ。
 一方の敵チームには、ベストモータリング編集部のスタッフを起用。プロと戦いのだからという理由でハンディキャップ制を敷いた。戦闘力で勝るチューニングカーを彼らにはあてがった。

冬季五輪からヒントを得て僕が提案した「バトルパシュート」は自動車版パシュートとして可能性があった。

冬季五輪からヒントを得て僕が提案した「バトルパシュート」は自動車版パシュートとして可能性があった。

形態はスケートのパシュートと同じ。オーバルを周回しながら順位を入れ替える。

形態はスケートのパシュートと同じ。オーバルを周回しながら順位を入れ替える。

世界の荒と新進気鋭の大嶋が賛同してくれた。

世界の荒と新進気鋭の大嶋が賛同してくれた。

マシンはローパワーの方が面白いかも。空気抵抗が影響する高速コースだともっとエキサイティングだろう。

マシンはローパワーの方が面白いかも。空気抵抗が影響する高速コースだともっとエキサイティングだろう。

「そして、結果は……」

 善戦虚しくプロチームの惜敗に終わってしまった。これは予想外だった。スリップストリームの技や順番入れ替えのテクニックでマシンの劣勢を跳ね返されるのではないかとした事前の企みは、脆くも崩れ去ったのである。
 というのも、マシンの差が大きすぎた。設定した特設コースがコンパクトすぎて、空力がスピードを左右するほどまで速度が上がらなかった。その理由により、マシンの差がそのまま成績になってしまったのだ。いわゆる企画倒れである。
 ただ、バトルパシュートを墓の中に葬り去る気にはなれなかった。随所に見せるプロ技はキラリと光っていたし、前後入れのタイミングや距離感にもテクニックの差が垣間見られたのだ。それが、勝敗に影響する仕掛けを煮詰めれば将来性はあると思えたのは収穫だった。
 例えば空力的影響が強い軽トラでの開催はよりエキサイティングだし、もっと高速のオーバルでトライすれば、状況は変わる。もっと緻密に煮詰めれば魅力的なコンテンツになるはずだと、実はまだ諦めてはいないのである。

冬季競技のパシュートと同じく、順番入れ替えのテクニックも影響した。

冬季競技のパシュートと同じく、順番入れ替えのテクニックも影響した。

僕らも日本女子チームと同じく、距離を犠牲にしても速度を落とさない方法を優先した。

僕らも日本女子チームと同じく、距離を犠牲にしても速度を落とさない方法を優先した。

「実はすでにパシュートは行われている」

 実はレースの世界でも、パシュートに似た場面は少なくない。例えば超高速オーバルバトルのNASCARでは、ドライバーAとドライバーBが結託をしてドライバーCを引き離すという駆け引きが存在する。混乱を抜け出すために、あるいは嫌いなドライバーを出し抜くために、裏で手を握ることもあるのだ。
 そして、それはNASCARに限ったことではなく、一般的なレースでも行われている。特に顕著なのは86/BRZ Raceのような性能差が少なく、スピードが遅いレースの場合は、にわかチームを構成してバトルを有利に進めようとするドライバーも少なくないのだ。
 無理にスリップストリームから抜け出そうとはせず、無理にブレーキング競争もせず、互いにタイムロスを抑えながら集団から抜け出した上で、最後の最後では「さし」の勝負に持ち込むのだ。これは違反でもなんでもなく、歴としたテクニックなのである。
 いかにロスなく順番を入れ替え、いかに無駄なくスリップストリームを使い切るという点々はパシュートと似ていなくもない。

超高速域で戦うNASCARは、ドラフティング(=スリップストリーム)が勝敗に影響する。だから、軽はずみに前を抜かずに様子を伺う。マススタートに酷似している。

超高速域で戦うNASCARは、ドラフティング(=スリップストリーム)が勝敗に影響する。だから、軽はずみに前を抜かずに様子を伺う。マススタートに酷似している。

前車を背後から押すこともある。まさにマススタート。モータースポーツとスピードスケートは要素が似ているのである。

前車を背後から押すこともある。まさにマススタート。モータースポーツとスピードスケートは要素が似ているのである。

マシンが3台連なると、驚くほどスリップストリームが効く。それを利用しながらレースをしているのだ。

マシンが3台連なると、驚くほどスリップストリームが効く。それを利用しながらレースをしているのだ。

さて誰が前に出るのか出ないのか……。すでに駆け引きが始まっている。だがしかし、トヨタ86は速度リミッターが作動する。ガッカリ!?

さて誰が前に出るのか出ないのか……。すでに駆け引きが始まっている。だがしかし、トヨタ86は速度リミッターが作動する。ガッカリ!?

「新種目パシュートゲーム(仮称)発足」

 実はかつて、団体戦レースを企画したことがある。運営側に納得していただけず、お蔵入りしたそれは「バトルパシュート」のエッセンスと「ローラーゲーム」の要素を融合させたもの。つまり、レースを団体チームにわけて戦うのである。
 仮に86カップとしよう。3台を一つのチームとしてエントリーを受け付ける。勝敗は、パシュートがそうであるように、チーム内の最後尾のマシンがゴールした瞬間がチームの成績とする。
 するとどうなるか。チーム内もっと遅いドライバーを必死になって救おうとするはずだ。例えば、速いドライバーは自らの犠牲の精神で空気の壁になり、後続を引っ張る。あるいは背後に回ってリアバンパーを押し続けたり、敵チームのバトルに割って入り、後続ドライバーのラインを開けたりと……。つまり、あらゆる技を使ってチーム内最後尾のドライバーを助けるのである。これこそ、パシュートとローラーゲームの精神の融合である。

混乱から抜け出るまでは、ライバルと裏で手を握る。だが、最後はサシの勝負だ。

混乱から抜け出るまでは、ライバルと裏で手を握る。だが、最後はサシの勝負だ。

「すでにパシュートは行われている!?」

 そもそも実戦では既に似たようなことが行われている。同じメーカーの看板を背負うドライバーや、同じチームから出場しているドライバーはある意味ではライバルでありながらもチームメイトである。チームメイトを助けながらバトルをしているのである。時にはあからさまに順位を入れ替えることもある。チームオーダーと呼ばれるのもそのひとつだ。
 だがそれはレースの精神とは異なるという理由で禁止されている。だが、証拠が残らない範囲で行われているのも事実。だったら開き直って、チームオーダーバトルを、はっきりと明文化した上で解禁させてもいいと思っている。
 かつて一世を風靡した1970年代のTSレースでは、トヨタと日産が死闘を繰り広げた。最終ラップにトップでゴールラインを横切るために、それまでは背後に潜んでチャンスを伺った。平昌のマススタートで高木菜那が金メダルを奪いとったようなあの作戦を皆がトライしていたのである。
 あるいはGT-Rとサバンナが戦ったレースでは、日産とマツダのそれぞれのドライバーは、自らの勝利のためではなく自己のメーカーを勝たせるために戦った。パシュートよろしく、自らが空気の壁を切り裂く役目に徹したり、背後をブロックしたりしたのだ。それは恐ろしく盛り上がった。

他メーカーのマシンは意地でも譲れない。そのために雇われているのだ。

他メーカーのマシンは意地でも譲れない。そのために雇われているのだ。

マシンが異なれば得手不得手も異なる。敵の特徴を把握して戦うのもレース。

マシンが異なれば得手不得手も異なる。敵の特徴を把握して戦うのもレース。

最速スーパーフォーミュラでも空気抵抗の重要性は同じだ。いつスリップから抜け出すのかが勝負の分かれ目だ。

最速スーパーフォーミュラでも空気抵抗の重要性は同じだ。いつスリップから抜け出すのかが勝負の分かれ目だ。

「TGRの使命ですね」

 いまこそ、TOYOTA GAZOO Racingがそれをトライすべきだと思っている。例えば、トヨタ86を素材に「団体パシュートゲーム」としてしまうのは最高の企画だと確信している。
 団体レースなど前代未聞である。ならばその前代未聞のモータースポーツを企画し世界に発信するのもTOYOTA GAZOO Racingの使命だと思っている。
 新たなモータースポーツの創造は、個人では不可能だ。新たに組織を強化したTOYOTA GAZOO Racingでしかできない。このコラムを読んでくださったTOYOTA GAZOO Racingの関係者の方、いかがですか!?世界が震撼する新しいモータースポーツの創造ですよ。

写真提供 ベストモータリング公式チャンネル

キノシタの近況

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 こうして2018年型のシェイクダウンに立ち会うと、いよいよシーズン開幕が迫っているのだなぁと感慨に浸る。カラーリング前のカーボンの地肌にドキドキしてしまうのだ。そして、レクサスRCF GT3は悲願達成なるのか!?