極限の速さでサーキットを駆け抜けるレーシングカー。それを操り、バトルに挑むドライバーの生き様にもモータースポーツのエッセンスは凝縮している。
2019年も精鋭がそろったTGRドライバー。彼らは栄光や歓喜だけでなく、挫折や試練にも立ち向かった結果、このスタートラインに立っている。
「The Cross Roads」は、そんな彼らが歩んできた"道"をたどるストーリーである。それを知れば、TGRドライバーたちのさらなる魅力が見えてくるはずだ。
2013年に全日本F3チャンピオンとなり、翌年から全日本スーパーフォーミュラ選手権やSUPER GTのGT300クラスで活躍してきた中山雄一選手。特にGT300ではプリウス、LEXUS RC F GT3を駆り、4年で7勝も挙げた。今シーズンは念願のGT500クラスにステップアップし、LEXUS TEAM SARDのLC500をドライブ。さらに2018年に続き、ニュルブルクリンク24時間でのクラス連覇を目指す。各カテゴリーで結果を残してきた中山選手だが、過去にあり得ないミスを犯して『もうレースを続けられない...』という挫折も経験している。だが、そのミスはトンネルの先を照らす光をもたらした......。
昨年は19戦17勝ポールポジション14回とライバルを圧倒して全日本F3選手権のチャンピオンとなり、スポット参戦したSUPER GTのGT500クラスでは初出場ながら、チームの決勝2位に貢献するなど、大いに輝いた坪井翔選手。今シーズンはLEXUS TEAM WedsSport BANDOHから初のGT500レギュラードライバーとして挑む。そして、全日本スーパーフォーミュラ選手権もJMS P.MU/CERUMO・INGINGから初参戦する。名実共にトップドライバーとなった彼が、最初のフォーミュラカーシリーズで直面した大きな壁とは? "感覚派"ドライバーが新たなステップに進化するきっかけが、そこにはあった......。
SUPER GTのGT500クラスで3度のチャンピオンに輝き、通算ポールポジション獲得回数は最多の23回、優勝回数も18回で歴代2位という実績を誇る立川祐路選手。その記録も素晴らしいが、端整な顔立ちと飄々としたスタイルから性別を問わず人気も高い。そんな立川選手が見舞われた昨年第5戦の大クラッシュ。しかし、翌日には何もなかったようにレースで激走し入賞してみせる。そんなプロフェショナルとしての矜持(きょうじ/プライド)は、どのように培われたのだろうか......。
荒涼とした原野やアップダウンがひたすら続く砂丘。そんな難関だらけのコースを10日以上走り抜くダカールラリー。この過酷なラリーをナビゲーターとして2勝、ドライバーとしても1勝を挙げている三浦昂選手。実績あるラリーストである彼は、会社員としても日々働く顔も持つ。"砂漠でちょっと走り込もうか"なんて簡単にはできないモータースポーツで、さらには忙しい業務を抱えるなか、勝利のため、自身の向上のために努力する。そんな会社員ラリーストが積み重ねてきた、悪戦苦闘の"ペースノート"を語ってもらった。
プロ野球の世界では、ここ数年"二刀流"がトレンドワードになっている。「文武両道」「投手と打者」。なんにせよ2つの道をハイレベルに両立することは、本当に難しい。モータースポーツの世界にも、そんな"二刀流"がいた。眞貝知志選手は、全日本ラリー選手権でタイトルも獲得しているトップ・ラリーストだ。そして、HV(ハイブリッド車)やEV(電気自動車)などの電動化車両向け製品技術の研究・開発で先端を行く技術者でもある。"ドライビング"と"エンジニアリング"。どちらの道もアクセルを緩めない"二刀流ラリースト"は何を極めようとしているのだろうか?
自分が志してきた道を諦める。これほど辛いことはないが、子供が大人になる時に当たり前にぶつかる壁であり、多くはそこで"別の道"に進む。2015年にGT300クラスのチャンピオンとなり、今やTOYOTA GAZOO Racingのニュルブルクリンク24時間レースへの挑戦に欠かせないドライバーとなった松井孝允。彼は一度"プロのレーシングドライバー"への道を断念したが、そこから這い上がってきた。そして、たどり着いたニュルブルクリンクで行う"もっといいクルマづくり"で、彼が見つけたと言うプロとしての"自分の仕事"とは何だったのだろうか?
華のあるドライバー、クルマの技術、チームの戦術、レースのドラマ等々と、モータースポーツにはたくさん魅力がある。特にその中に身を置いた者は、その緊張感や喜怒哀楽から離れがたいと口を揃える。国内トップドライバーとして実績を残し、現在もチームオーナー兼レースエンジニア、若手ドライバーの指導者、そしてニュルブルクリンク24時間レースドライバーと多彩に活動する土屋武士選手も、そんなひとりだ。ただ、レースガレージの息子として育ち、多くの困難も乗り越えてきた彼には、その原点であり追い求める"レースの形"があると言う。そして、その"理想"がニュルブルクリンク24時間レースにあった、と続けた。
- NEXT:Vol.1 「号泣の凡ミスがもたらした希望」
- 次ページ>