昨年は19戦17勝ポールポジション14回とライバルを圧倒して全日本F3選手権のチャンピオンとなり、スポット参戦したSUPER GTのGT500クラスでは初出場ながら、チームの決勝2位に貢献するなど、大いに輝いた坪井翔選手。今シーズンはLEXUS TEAM WedsSport BANDOHから初のGT500レギュラードライバーとして挑む。そして、全日本スーパーフォーミュラ選手権もJMS P.MU/CERUMO・INGINGから初参戦する。
名実共にトップドライバーとなった彼が、最初のフォーミュラカーシリーズで直面した大きな壁とは? "感覚派"ドライバーが新たなステップに進化するきっかけが、そこにはあった......。
「カートでは勝って当たり前。
"余裕だなあ"と思っていたんです」
速いドライバーに出会っても、その速さをどんどん吸収してレースでは勝てた。
坪井翔も同世代のレーシングドライバーの多くと同じように、幼いときからレーシングカートに乗り始めた。6歳で本格的にレースを始めると2レース目には表彰台に上がり、以後は注目の少年カーターとして衆目を集めた。
「勝ち続けていたので、カート以外は何も知らないまま、自分はこのままF1ドライバーになるんだろうなと思っていました。カートで他人に負けるとは思っていませんでした。勝って当たり前で"相手がいなくて余裕だなあ"と思っていたんです」
もちろん勝ち進めば強豪選手も現れた。だが坪井はそれでも負ける気がしなかったと言う。練習では自分より速い選手がいても、レースまでには自分の方が速くなって勝てると信じていた。その自信を支えていたのは"感覚"だった。
「自分より速い選手がたまに出てくるんですが、一緒に走れば走らせ方やラインが違うことが子供ながらわかって『このコーナーが遅いけど、このコーナーでは追いつく。じゃあ遅いコーナーでは速い走り方をまねしよう』と。そのうちに逆にもっといいところが見つかって、追いついて追い越せるようになるんです。
理屈ではなくて、感覚的に走りながらそういうことをやっていた。不得意なところは得意になるまで、感覚で身につくまでグルグル回っていないと分からなかったとも言えます。だから時間はかかったんです」
全日本カート選手権でチャンピオンになった坪井は15歳のとき2回目のFTRS(フォーミュラトヨタ・レーシングスクール)のスカラシップ選考を受け、トップの成績で合格。2012年にはFCJ(フォーミュラチャレンジ・ジャパン)でフォーミュラカーのレースデビューを果たした。ところがここで坪井は壁にぶつかった。
「フォーミュラカーを
どうやって走らせればいいかもわからなくなった」
カートでのアプローチが通じず、初めての挫折を味わったFCJ時代。
坪井がトップ合格を果たしたFTRSのスカラシップ選考は、富士スピードウェイのショートコースで行われた。コースは1周1kmにも満たないレイアウトで、坪井が走り慣れたカートコースが大きくなったようなものだ。
「だからカートっぽい走り方でタイムが出たんです。『ああ、オレ、フォーミュラでも速く走れるわ。FCJでも余裕で勝てるな』と勝手に思い込んでいました。ところが大きなコースへいったら途端にタイムが出なくなって。FCJでは当初は最下位争いをするような状況になってしまった。コースが広すぎて、どこを走っていいかわからないし、大きなフォーミュラカーをどうやって走らせればいいかもわからなくなってしまいました。どうやっても速く走れる気にならなくて、初めての挫折を味わいました」
カート時代は自分より速い選手がいても、速く走る方法を見つけて勝つことができた。ところがフォーミュラカーに乗った坪井は、なかなか突破口を見つけ出すことができず、苦しむことになった。
「カートはコース1周が短いので、30分でも何十周も走れる。僕は感覚派だったのでそれで走り方を学べましたが、フォーミュラカーのコースは1周何kmもあって、30分では10周ちょっと。時間が足りなくて、走りをアジャストしている間に終わってしまうんです。ようやく自分が少し成長しても、周囲のみんなはそれ以上になっている。全然追いつかないどころか、どんどん離れて『やばい、どうしよう!』と思っていました。
"感覚派"の坪井は、初めて大きな壁に突き当たった。フォーミュラカーの環境は、カート時代と同じアプローチを許さなかった。
「カートはサスペンションがなくて軽いので、自分の身体を動かせばカートの動きをなんとかできるんです。でもフォーミュラカーではそんなことはできず、荷重をコントロールして曲がらないといけない。全然違う走らせ方をしないといけなかった。そこで初めて"頭を使わなくちゃ。理論を学ばなくちゃ"と思いました。とにかく今までのやり方を変えないと、このままでは絶対に勝てないと思いました」
しかしなかなか頭の切り替えはうまくいかなかった。FCJには、ドライバーにアドバイスを与えるスクールの要素もあった。しかし、坪井はその仕組みをうまく活用できなかった。というのも、幼い時から父親と2人でカートを戦っていたために、他人とコミュニケーションをとる手段が身についていなかったからだ。
「親なら言えることが他人には言えなかったり、ちゃんとした言葉にできなかったり。当時、石浦(宏明)選手が講師だったけど、悩みをどう伝えていいかわからない。それでもいろいろ教えてくれるんですが、自分の頭のキャパシティを超えちゃってパンクですよ(苦笑)。使ってこなかった頭をいきなり使えばパンクもしますよね」
「初めて自分が得意なクルマ、
セットが理解できたことで自信を取り戻せた」
親身になってくれるエンジニアとの出会いが自分の走りを見直すきっかけになる。
坪井は2年間のFCJで納得できる成績を収めることができなかった。1年目はランキング7位、翌2013年はランキング5位に終わる。
「1年目の選手にも負けちゃったし、これはもう先がないなとわかっていました。自分の走りに自信がなくなっちゃって。『ああ、レースはこれ以上続けられないな。やめどきかな』と落ち込みました。自信がありすぎましたから、そこから突き落とされてもう気が抜けちゃった。自分はダメなんだとネガティブモード全開でした」
ところが、ここで坪井に幸運が舞い込む。FCJは2013年で終わり、育成プログラムは2014年にJAF-F4選手権に合流する形でFCクラスとして1年行われることになった。そこに欠員が1つあった。
「メンテなどは全部自分で手配するならFTRSの名義で出られると聞いて、『これは本当にラストチャンスだ』と思って飛び込みました」
自信をなくしていた坪井だったが、この1年間は転機になった。FCJはクルマもメンテナンススタッフもその都度変わる仕組みだったが、FCクラスでは特定のメンテナンスガレージに任すことができた。これにより親身になってくれるエンジニアと常に顔をつきあわせ、走りを徹底的に見直す機会が訪れた。しかもFCクラスではFCJでは制限されていたセッティングも可能だった。
「そこで初めて自分好みのセットが分かったら、タイムが出るようになったんです。元々アンダーステア傾向のクルマが苦手だったので、オーバーステアに近いセットを作ってもらったら『あ。これ乗りやすい!』と。そこで初めて僕はこういうクルマが得意なんだということが分かって、区別ができて理解もできた。『自分の実力がないわけではない。好みのクルマに乗れば速く走れるじゃないか』と自信を取り戻していきました。その時は、わざとアンダーのクルマにして練習もしました」
坪井はシーズン当初こそ苦戦したものの後半盛り返し、シーズンをトヨタ勢トップのランキング2位で終えた。しかもシリーズ最終戦はぶっちぎりの独走で優勝を飾るという派手な締めくくりだった。
「また自分の悪いところが
出そうになった。
でも自分を追い込んで結果が出せた」
F3では自分の心理も自覚できるようになり、3年目に圧勝でタイトルを獲得。
この勢いに乗った坪井は、2015年に始まったFIA-F4選手権に参戦。シリーズチャンピオンとなり、翌年には名門トムスから全日本F3選手権に参戦した。F3での闘いは容易ではなかった。FIA-F4の勢いのまま勝てると思っていた坪井はまたもや壁にぶつかる。
「1年目は安定していましたが速さがなくて、2年目は速さがあっても安定していなかった。両極端みたいなことをやって『何やってんだ。僕は』と自問したりしていた。2年目はもったいなかった。結果を出さなきゃと焦りが出て、失敗につながった。また自分の悪いところが出そうになったんです」
しかしこの時の坪井は、落ち込まなかったという。「僕は、いいときはドンとまっすぐに行けるんですけど、なにかちょっと迷いが出るといきなりへナヘナしちゃうタイプなんです(苦笑)。でも、それを自覚できるようになっていました。それで、2年目のシーズン後半は開き直ってなんとか取り戻しました。3年目はチャンピオンを獲れると思ったけど、『3年目なんだからそれだけじゃダメだ!』と自分を追い込むことに決めて、目標は全勝、ポールポジションとファステストラップを何回獲れるかに挑戦することにしました。それで、3年目はF3の集大成として納得できる結果が出せたと思います」
もはや"感覚派"ではなくなった坪井は、昨年全日本F3選手権を圧倒的な強さで制覇。2019年は国内最高峰2シリーズ、SUPER GTのGT500クラスとスーパーフォーミュラへの参戦が決まった。
「僕はまだ成長過程にあると思うので、どれだけ自分の実力を上げることができるかがカギだと思う。GT500は国本(雄資)選手(LEXUS TEAM WedsSport BANDOHのチームメイト)という良いターゲットもいるし、そこを目指しながらやれるという点でうれしい環境です。ウェイトハンディ制もあってSUPER GTはドライバー1人で決まるものではないですけど、なんとか1勝と思っています。
スーパーフォーミュラでは、チャンピオンを何度も獲っているJMS P.MU/CERUMO・INGINGからの参戦なので、1年目だからという言い訳ができません。チームメイトになる石浦選手は、僕の学校に特別講師としてきたこともあり、FCJでも講師でした。だからスーパーフォーミュラのテストで会ったとき、『お前も、とうとうここに来たのか』と言われました。それだけに少しでも早く"先生"を超えて『もう大丈夫ですよ』と言いたいです」。そう語りながら、坪井は笑った。