立川 祐路「GTが教えてくれたプロの矜持」 | The Cross Roads 〜TOYOTA GAZOO Racingのドライバーたちが語るあの日、あの時〜

SUPER GTのGT500クラスで3度のチャンピオンに輝き、通算ポールポジション獲得回数は最多の23回、優勝回数も18回で歴代2位という実績を誇る立川祐路選手。
その記録も素晴らしいが、端整な顔立ちと飄々としたスタイルから性別を問わず人気も高い。そんな立川選手が見舞われた昨年第5戦の大クラッシュ。しかし、翌日には何もなかったようにレースで激走し入賞してみせる。そんなプロフェショナルとしての矜持(きょうじ/プライド)は、どのように培われたのだろうか......。

2018年 SUPER GT第5戦 富士 決勝日。前日のクラッシュからメカニックが修理したLC500を見つめる立川祐路

「あの瞬間。
"怪我では済まない..."という恐怖を
初めて感じました」

2018年SUPER GT第5戦。立川はスタンドが震撼する大クラッシュに見舞われた。

 昨年の富士スピードウェイで開催されたSUPER GT第5戦。公式練習早々に立川祐路の乗ったNo.38 ZENT CERUMO LC500はTGR(第1)コーナーでコースアウトし、他車に接触した後クラッシュバリアに当たって停止。車両は大破し、誰もが彼の身体を案じるアクシデントだった。

2018年SUPER GT第5戦富士を振り返る立川祐路

「ブレーキを踏んだ瞬間にペダルが奥に入ってしまいました。富士の長いストレートエンドでスピードが出ていますから、正直"怪我では済まない..."という恐怖を初めて感じました。せめて正面からバリアに当たるのだけは避けようとステアリングを切り込んでスピン状態にしました。
すると、相手には本当に申し訳ないですが、僕にとっては運良くGT300クラスのクルマがいて(接触した)。それで衝撃が逃げて、大事には至りませんでした。ブレーキを踏んでいた左足をクラッチペダルに強く打ち付けて、強い痛みが来ました。でも止まったときには『あれ? 大丈夫かもしれない』と、ほっとしました」

 クルマが止まった時、立川はまずコックピットの中から、冷静に何が起きたかを無線でピットに伝えている。トラブル発生時の瞬間的な対応もそうだが、恐るべきプロフェッショナリズムである。そして車を降りた立川は、クルマの状態を見て「ああ、今週のレースはこれで終わったな」と思ったという。

 立川は病院で精密検査を受け、打撲した左足以外に負傷はないと診断を受け、ホテルに戻る。夜が明けて決勝日になっても左足は腫れ上がったまま。普通には歩けない状況だった。しかし、ピットには夜を徹した作業で走行可能な状態になったLC500が、立川を待っていた。

クラッシュした38号車は車体の前後を大きく壊したが、LEXUS TEAM ZENT CERUMOのメカニックたちは、翌朝には車両を完全に修復。LC500の
クラッシュした38号車は車体の前後を大きく壊したが、LEXUS TEAM ZENT CERUMOのメカニックたちは、翌朝には車両を完全に修復。LC500の"もしもの時の性能"も真価を発揮した

「今のGT500車両はすごいですよ。モノコックさえ無事で、交換のパーツがあれば直っちゃう。さすがに予選には間に合いませんでしたが、チームはトラブルの原因も確実に対策し、もちろんきちんと組み立ててくれました」。立川は足を引きずりながらもLC500に乗り込むと、アクセルを踏みウォームアップ走行に出て行く。

2018年SUPER GT 第5戦 富士 決勝前のウォームアップ走行に向かう立川祐路

「SUPER GTは2人のドライバーが
人生賭けてやっているレースですから」

チームとサポートしてくれる皆の信頼を感じて、再びレースに向かう。

「"無理"と言うことは出来ました。でもSUPER GTは2人のドライバーが人生賭けてやっているレースですから、自分がダメと言ったらパートナーもレースに出られなくなります。これがフォーミュラのように1人のレースだったら、たぶん出場はしなかったでしょう。
 確かに普通には歩けない状況でしたが、靴のヒモも緩くして乗ってみたら意外とペダルは普通に踏めました。足の外側はひどく腫れていましたが、左足ブレーキは足の右側を使うので"これは案外いけるぞ"と手応えがありました」

LC500に乗り込む立川祐路

 立川は前日に"恐怖"を感じたはずなのに、それをみじんも感じさせないペースで走り始めた。
「走るときは最初からTGRコーナーへ『思い切り突っ込むぞ!』と意識していました。もしそこで昨日のことを気にしたりしたら、絶対にその後も引きずってしまうと思ったんです。それと今回は自分のミスでクラッシュしたわけではなかったし、チームとトヨタが修復してくれたクルマなら"大丈夫"と信頼していましたから」
 予選を走れなかったZENT CERUMO LC500は、最後尾15番手からスタート。立川も石浦も着実な走りを重ね、8位入賞とポイントを獲得。シリーズチャンピオン争いにしっかりと食い込んでレースを終えた。立川のプロフェッショナリズムが輝いた週末であった。

TOYOTA TEAM CERUMO #38 FK/マッシモセルモスープラ

「GTの楽しさ、難しさ。
それが開発ドライバーとして働く今に役に立っている」

レースは楽しいだけではない。プロフェッショナルとなることで知った事実。

 立川がレースを始めたのは高校に入学してからのことで、幼少からレーシングカートに明け暮れたのではない。元々はF1ブームの中、テレビに映るアイルトン・セナ、アラン・プロストらに憧れていた単なるレースファン。たまたま家族でカートを始めたのがきっかけで、彼の才能が煌めいた。それを見た知人に勧められ、19歳になる1994年にフランスへ渡り、1年間レーシングスクールで学ぶ。そして翌年帰国して当時若手の登竜門だったフォーミュラ・トヨタ西日本シリーズにデビュー。まだ現在のようにドライバー育成制度が整備されていない時代。立川は、多くの若手ドライバーを育てた藤田直廣氏のレーシングチームに所属してシリーズチャンピオンを獲得。その後、服部尚貴氏のバックアップを得て1996年には全日本F3選手権にフル参戦、翌年にはシリーズランキング2位になる。

1994年にフランスに渡り、フランス・フォーミュラルノー・エルフ キャンパス シリーズに参戦した
1994年にフランスに渡り、フランス・フォーミュラルノー・エルフ キャンパス シリーズに参戦した

 それを見ていたのが、セルモの佐藤正幸社長(当時)だった。
「F3のとき、なんだか怖い顔をした人がピットの前に来ているなあと思ってたんです(笑)。そのうち、JTCC(全日本ツーリングカー選手権)のチェイサーにテストで乗ってみるかと」
 このテストで高評価を得た立川は、トヨタ系車両で活躍するセルモからJTCC、そして全日本GT選手権(現SUPER GT)にデビューする。ついにプロフェッショナルへの仲間入りが実現した。

2001年のJGTC 第5戦もてぎで佐藤正幸社長(当時)、竹内浩典と話す立川祐路。この年、3度の表彰台を獲得してシリーズタイトルを獲得した
2001年のJGTC 第5戦もてぎで佐藤正幸社長(当時)、竹内浩典と話す立川祐路。この年、3度の表彰台を獲得してシリーズタイトルを獲得した

「GTで初めてコースインしたとき、今までテレビで見ていた日本のトップドライバーが自分の周りを走っていて、そこに自分が混じったときに初めて『ああ、プロになったんだなあ』と意識しました。不思議な感覚でした。
その頃からトヨタのドライバーであるという立場を自覚し始めました。それと同時に"勝たないといけない"という義務も感じて、楽しいだけではレースができなくなってきたのも事実です。でもね、今でもレースは楽しいですよ。楽しくなかったら辞めています。ただ『それだけ』ではなくなったんです」

 フォーミュラ育ちの立川ではあったが、プロフェッショナルになるきっかけはいわゆるハコ車、ツーリングカーやGTカーのドライバーとして起用されたことだった。特性の異なる競技車両に戸惑いはなかったのだろうか。
「GTで乗り始めたのは先代JA80型スープラをベースにしたクルマでしたが、これは市販車のチューニングカーに近かった。パワーは大きいけれど、ロール(コーナーでの傾き)も大きいので、最初は『倒れる!』と思いましたね。フォーミュラで育ってきた人間には、怖い動き方をするんです。これは無理かもと思ったほどです」
 しかし立川はその才能をスープラとの走りを通して開花させた。当初は戸惑っていたGTのドライビングに、ある楽しさを見い出したのだ。

1999年 JGTCにTOYOTA TEAM CERUMO #38 FK/マッシモセルモスープラで参戦した立川祐路

「GTをやってみて、GTの楽しさだったり難しさだったりにハマったんです。フォーミュラは基本ワンメイクばかりで、対してGTは開発競争もあって、クルマやタイヤを評価して開発する楽しさがあります。当時のGTは、年々どころかレース毎に進化して動きがシャープになってどんどん仕上がっていきました。外観は同じスープラであまり変わっていないかもしれないけど、その年によって性能も性格も全然違う。
そういう意味では、僕はちょうどいい時代に関わったんだと思います。GTを開発する過程でいろいろ経験できたので、開発ドライバーとして働く今に役に立っていると思います。今の若い人たちはなかなかそういう経験を積む環境が少ないので、そこはかわいそうですね」

 立川はスープラ、SC430、RC F、LC500とトヨタ/レクサスのGT500車両を乗り継いで、3回のドライバーチャンピオンにも輝いた。そして2020年シーズンに、GRスープラがSUPER GTに帰ってくることを問うと。

「GRスープラは、とても楽しみなんですよ。スープラと共に戦って、僕はGTで今の立場に来た。それだけに思い入れもあります。スープラでは最後の年(2005年)はじめ、2度のチャンピオンになった。だがら、スープラが帰ってくるという話を聞いた時には『意地でも(自分の)速さを維持して、現役として再びスープラでGTを戦ってやる』と思いました。
先代スープラでレースをしていた選手は、今や僕しかGT500クラスには残っていません。それだけに、本当にGRスープラでレースするのが楽しみです。とか言いながら、来年GT500クラスに居なかったらマズイですよね」と、立川は笑ってみせた。

GRスープラ スーパーGTコンセプト
普段の私生活について笑顔で答える立川祐路

「寝てばかりで、
レースをやっていなかったら
ダメ人間ですね(笑)」

普段は常にリラックスし、短時間に集中して力を一気に出すのが立川スタイル。

 サーキットではプロフェッショナルな存在感を放つ立川だが、意外なことに私生活では対照的な時間を過ごしているという。

「家でもよく寝てるんです。起きていてもやることないので10時消灯ですし、昼寝もします。トレーニングはあまり好きではないし、外出もできるだけ避けちゃう。もしレースをやっていなかったら、僕、ダメ人間ですね(笑)。
趣味も特別なものはありません。敢えて言うなら、家族でキャンプしたりバーベキューしたりですか。ただ、家は男手が僕だけでテントの担当だから大変(笑)。最近は別荘を手に入れたので、そこでバーベキューをするようになりました。とにかくのんびりするのが好きなんです。特にレースが近づいてくると、何もしたくなくなります。短時間に集中して力を一気に出すことができなくなりそうで、忙しいまま週末を迎えたくないんですよ」
 TOYOTA GAZOO RacingのGT500ドライバーでは、最もキャリアあるベテランとなった立川。今シーズンもプロフェッショナルの真骨頂を見せてくれるであろう。

トヨタカスタマイジング&ディベロップメントの前に立つ立川祐路