BMWからDTMに参戦します!?
世界一希少なマシンをオモチャにできるなんて・・!
やや旧聞に属するが、BMWのDTMマシンをドライブする機会を得た。シリーズチャンピオンに輝いたマシンそのものを、シーズン終了を待って、媒体力をもつレーシングドライバーに解放、イタリアのサーキットで走らせたのである。
そのチャンスを手にすることのできたドライバーは世界でも数名だった。
幸運だったのだ。
DTMドイツ・ツーリングカー選手権は、J SPORTSの番組で僕が解説しているから、あるいは詳しい読者もいることだろう。国際格式ではなく、あくまでドイツ国内選手権という立ち位置だ。つまり、スーパーGTと環境は酷似している。だがしかし、ナショナルレースとはいうものの、その激しさは世界選手権レベル。
一方はドイツ、一方は日本、我こそは世界一のツーリングカーレースであると公言する。お互いにツーリングカーの最高峰を自認するライバルといえるのかもしれないのだ。
そんなDTMとスーパーGTは、実はシャシーを共用化しているのだ。それはとりもなおさず、近い将来の合併を意味する。まさに世界ツーリングカー選手権の布石だと言えよう。
巷の興味は、はたしてどちらが速いのか、というあたりに集約されているようだ。味わった印象では、一発の速さはスーパーGTに軍配が上がるものの、バトルの激しさではDTMの興奮度が優る、とでもしておこうか。それに関しての詳細なインプレッションは、今後に譲ろう。
「こんなことやっちゃうのが凄いのだ」
ここで話題にしたいのは、そんな希少なレーシングマシンを、たとえ世界で数人とはいえ、部外のドライバーに開放してしまうことである。それはとりもなおさず、BMWのモータースポーツがマーケティング効果として直結していることを意味する。ただ単純に技術開発のためだけではなく、勝利という自己満足を得るためだけでもなく、モータースポーツという活動を通じて、BMWというブランドイメージを高めることにある。そのために、世界の中から、情報発信力とドライビングスキルの基準を満たしたドライバーに、ステアリングを託したのである。
もちろん、高度な技術の塊であり、ドライビングはそうそう容易いというわけもない。よって、BMWからの優しい誘いというより、オーディションのような厳格な書類審査があった。
過去のレースキャリアやこれまでの媒体露出などの書類の提出が求められ、厳正な審査によってドライバーが選別される。幸い僕は、特にニュルブルクリンク24時間レースの実績が評価されたようで(全日本選手権優勝などより高く評価されたらしい・・・)、無事合格。数日後に届いたインビテーションには、「晴れて合格いたしました。あなたがドライブする日を楽しみにお待ちしています」とあった。「サクラ、咲く」である。募集要項が一転して招待状に変わったのには思わず笑みがこぼれた。
「腰抜かし級の歓迎ぶりに唖然!」
インビテーションを携えてイタリアのサーキットに向かうと、その歓待ぶりに腰を抜かしかけた。普段は殺風景であろう古惚けたピットは、まるでなにかのプレミアムイベントの会場と見紛うばかりに派手にデコレートされていた。最新のDTMマシンが数台、入念にレストアされた歴代のチャンピオンマシンが数台、僕を待っていたのだ。
世界でも数人のために、ここまでやってくれるのか、と嬉しさが込み上げてきた。
更衣室には、「KINOSHITA」の刺繍が縫い込まれたレーシングスーツやフェイスマスクや、もちろんシューズやグローブが整然と並べられていた。BMW用無線が組み込まれたヘルメットも準備されているという周到ぶりだ。
ピットは、実戦さながらの設営がされており、メカニックもBMWワークス勢が数十人体制だった。オペ室であるかのようなBMW流ピットは、テレビで見たそのままだ。
なによりも感動したのは、マシンサイドに、日の丸とともに「KINOSHITA」の文字がプリントされていたことである。ここまでされればもう、気分はBMWワークスドライバーである。
だいたいこのあたりから、TOYOTA GAZOO Racingドライバーであるはずの僕のハートは、BMWに鷲掴みにされていく。これまでDTMのゲスト解説者という立場であることから中立を保っていたつもりだが、もうこうなると公平などはありえない。BMWに心を奪われ、エコヒイキしたくなる自分を自覚したのである。
「おれはBMWワークスドライバーかよっ!」
試乗前日には、入念にコクピットドリルを授かり、緊急脱出の訓練も繰り返されていた。とまぁ、そこまでは温かい雰囲気が漂っていたのだが、試乗当日になると雰囲気は一転。緊迫感に包まれており、まるでDTMの決勝に挑むエースドライバーのような心持ちになったのである。
だってマシンはチャンピオンマシンそのものであり、ボディには僕の名前が記されている。傍らには、チャンピオンドライバーであるマルコ・ヴィットマンやアントニオ・フェリックス・ダ・コスタが心配そうに僕を見守っている。
僕の両サイドには4名のタイヤマンがタイヤウォーマーをはずすタイミングをうかがっている。ヘルメットの中の無線が「READY?」と響いた。
親指を立てて「YES!」と応えると、その瞬間に一斉にタイヤウォーマーがはずされ、ジャッキダウン。のこのこと試乗に来たのではなく、まるでBMWのドライバーオーディションかと錯覚しそうになった。書類審査がインビテーションになり、それがまたオーディションに舞い戻ったのである。
とまあ、そんな雰囲気に圧倒され半日の試乗が終った。そう、日本を発つ前は、たかだか数周の体験だと短絡的に考えていたのだが、たっぷりと半日、それもピットンインを繰り返してはデータロガーでドライビングチェック。そしてまた走り、また確認。希望があれば、セッティングもさせてくれるという贅沢なプログラムなのだ。
ドライブを終える頃にはもう僕は、すっかりとBMWの虜になってしまっていた。緊張で神経はヘロヘロになり、激しいGにより体はボロボロだった。けれども、それはすべて心地良い疲労感だったのである。
「BMWの優れた直進性はこうして磨かれていた!」
こうしてBMWはモータースポーツとプランド戦略の整合性を整えていく。
帰省する日の晩にBMWのマーケティング担当者が口にした言葉が印象的だった。
「我々はBMWのブランド価値を高めるためにモータースポーツに参戦しています。マーケティングが右タイヤだとするのなら、モータースポーツは左のタイヤです。どちらも同じパワーで駆動させなければ真っすぐに走らないのです」
モータースポーツ先進国ドイツの中で、BMWが正しく成功してきた理由がわかったような気がした。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」