木下隆之連載コラム クルマ・スキ・トモニ 164LAP

2016.01.26 コラム

F1もビックリ!史上最高のハイテクマシン!

「技術競争の最高峰はF1ということになっている…」

 前号のこのコラムでこんな含みのある言い方をした。すると何人かの関係者から、「その真意を伝えよ」とのメールをいただいた。炎上するのもイヤなのでここで回答しよう。

 実は僕、これまで観戦した中でもっとも自由な技術競争ヤリタイ放題は、パッと咲いてパッと散っていったITCインターナショナル・ツーリングカー選手権だと確信しているのだ。
 現代F1もそりゃ、高度な技術レベルだと感心してはいる。ハイブリッドでレースをするというのだから、並大抵の予算と技術力では太刀打ちできないだろう。だってあのホンダだって戦闘力を得るのに時間がかかっているほどなんだから。
 WECも同様に、メーカーの技術戦争に違いない。2014年に大活躍したトヨタが、2015年はまったく歯が立たなかったくらいだから、技術革新の進歩は目にも留まらない速さなのだ。
 だけど、ITCも負けていない。F1ほど開発資金は必要ないとはいえ、あまりの開発予算の高騰を招いたことからすぐさま崩壊したほどだったのだ。

 当時僕はITCのドライバーになることを夢見ていたし、実際にオペルのオーディションでホッケンハイムに遠征もしている。WOWOWのITC番組でゲスト解説という顔もあったから、そんな過激な時代を自ら体験していたし、取材にも立ち合っていた。
 端から見れば、その常軌を逸したレースには興奮させられたものだ。

「ちょっとITCのおさらいをしよう」

 ITCはFIAのクラス1規定で開催されていたDTMドイツ・ツーリング選手権がベースにある。その隆盛に目を付けたFIAが1995年、世界選手権格式に引き上げるべく画策。翌1996年からインターナショナル・ツーリングカー選手権として開催されていたのである。参戦メーカーとして、DTMの流れをくむメルセデスはCクラスを、アルファロメオは155を、そしてオペルはクーペボディのカリブラを送り込んだ。DTMの流れをくむ3メーカーでスタートした。
 終焉もその3メーカーだ。それ以外のメーカーが手を挙げることもなく、むしろ予算ジャブジャブに業を煮やして撤退をほのめかすメーカーが表れ出す状態。寂しい結末を迎えたのも、とりもなおさず、やりたい放題を黙認するユル?い規則と、それに端を発した技術競争にあったことは周知の事実だ。

  • ハイテクの塊が一斉に1コーナーになだれ込む。総額数百億円が…
    ハイテクの塊が一斉に1コーナーになだれ込む。総額数百億円が…
  • メルセデスが主導権を握ってのレースだった。
    メルセデスが主導権を握ってのレースだった。

「エンジンパワーよりも、シャシー関係にアイデア満載」

 搭載するエンジンは、およそ400馬力を発揮する2.5リッターNA。当時の技術では、高回転まで回すことはけして簡単ではなく、それはそれで激しいエンジン開発競争が繰り広げられていた。
 だが、予算高騰の根源は、エンジンではなかった。問題はハイテク技術を野放しにしたことだ。ABS装備、駆動方式は4WD。トラクションコントロールも自由だった。それによって、マシンはハイテクマシンと化したことにある。

「ほとんど思いつくかぎりの発想が…」

 そのいくつかを紹介しよう。

【メルセデス・ムービングウエイト】(公式名称は不明)

 メルセデスのアンダーフロアには、平たく引き延ばされた最大100kgの鉄の固まりが組み込まれていた。それは3本の油圧ダンバーで結合され、最大100mmの幅で前後左右に移動するような仕掛けだった。
 ブレーキングでは一旦フロントに移動し前輪の応答性を確保、ノーズが反応するや否や、すぐさま巨大なウエイトがリアに移動してトラクションを確保する。右コーナーでは右側、左コーナーでは左側に移動。過度なロールを規制して、車体をフラットに保とうとするのである。いうならば「電子制御、可変、前後左右、重量配分調整システム」である!こんなマシン、ITC以外で見たことも聞いたこともない。

【セミオートマチックトランスミッション】

 今でこそ珍しくはないが、当時のメルセデスはセミオートマを採用していた。しかも、シフトレバーをコキコキすることも、パドルをパタパタすることも必要なかったといわれていた。スタートしたら、ただひたすらバトルに集中すれば良かった。変速など、マシンが勝手にやってくれたのである。

【CDロムセッティング】

 電子制御セッティングはドライバーの好みによってアジャストされている。それは特に驚くほどではない。驚かされたのは、どのメルセデスドライバーがどれに乗っても、コクピットに備え付けられたロムリーダーにそれを差し込みさえすれば、瞬時に自らの好みのマシンになることだった。
 ムービングウエイトの仕様も、セミオートマのセッティングも、瞬時にアジャストされる。スパナとトンカチでネジを締めたり何かを交換したりするのではなく、ハード側は基本セットのみ。変更可能なのは電子制御だけ。よって、マシンにはパソコンのCDロムリーダーのような差し込み口があって、それさえセットすれば良かったのである。
 たとえば予選中にクラッシュしたY・マグヌッセンが、マシンから飛び降りる際に自らのデータが書き込まれたロムを引き抜き、ピットに待機していたスペアカーに乗り込み、ロムを差し込んだ。そのままコースに復帰して上位グリッドを確保した、なんてこともあった。

【オペルのラジエターシャッター】

 フロントラジエターの前に可動式のルーバーを装備していた。高速域になると、ルーバーが閉じて空気抵抗を減らす。ボディが丸まるラッピングされたような形状になるのだ。一方、ブレーキングが開始されると、そのルーバーが開いてダウンフォースを確保する。
 当然シャッターが閉じているあいだはフレッシュエアーが得られない。オーバーヒートの危険性がある。それを承知で特異なシステムを採用していたのだ。
 そもそも空力的な可変システムは禁止されていた。だがオペルは、あくまでラジエターへの空気量を調整するための冷却システムとして申請していたのだ。そう、それを黙認するような自由度がITCの特徴だった。
 驚くのは、そのシステムを使ったのは、超高速サーキットと名高いホッケンハイムだけのことだ。しかもそのシステムが作動するのは、1コーナーを抜けてからの1.5kmのストレートのみだった。それ以外は効果が薄く、1箇所のみの作動だったのだ。
 つまり、多額の資金を投入し、技術を余すことなく注ぎ込んだそのシステムは、年に1度のホッケンハイム戦の、たった1本のストレートだけのものだったのだ。しかも、それを作動させたからといって、劇的にタイムが変わるわけでもなく、コンマ1秒前後のメリットでしかないのだ。その贅沢さ極まれり、である。

 そんな最先端のオペル・カリブラITC仕様をドライブしたのだが、そのあたりのインプレッションは今後に譲ろう。

  • ハイテクの写真が少ないのは、極めて厳格に極秘が保たれていたからだ。
    ハイテクの写真が少ないのは、極めて厳格に極秘が保たれていたからだ。
  • 超ハイテクなのに、ジェットヘルメット。ハンスシステムもこの頃はなかった。
    超ハイテクなのに、ジェットヘルメット。ハンスシステムもこの頃はなかった。
  • メルセデスのエースはB・シュナイダーだった。黄色いサイドミラーが彼の伝統的カラーだった。
    メルセデスのエースはB・シュナイダーだった。黄色いサイドミラーが彼の伝統的カラーだった。
  • 若手発掘の場でもあった。D・フランキッティはこれをステップにインディカーに駒を進めた。
    若手発掘の場でもあった。D・フランキッティはこれをステップにインディカーに駒を進めた。
  • オペル・カリブラは4WDシステムを採用。もちろん電子制御で駆動配分をコントロールする。
    オペル・カリブラは4WDシステムを採用。もちろん電子制御で駆動配分をコントロールする。
  • 最新のスーパーGTマシンとの比較では驚くほどではないが、当時としては革新的だった。撮影が許されない部分に、ハイテクが隠されている。
    最新のスーパーGTマシンとの比較では驚くほどではないが、当時としては革新的だった。撮影が許されない部分に、ハイテクが隠されている。
  • アルファロメオも4WDを採用していた。ラリーニやナニーニといったF1イタリアンを要して戦った。
    アルファロメオも4WDを採用していた。ラリーニやナニーニといったF1イタリアンを要して戦った。
    ※写真 メルセデス・ジャパン WIN PHOTOGRAPHIC

キノシタの近況

キノシタの近況写真

明けましておめでとうございます。遅いか?(笑) 年末年始は今年も、好例のショートキャンプでした。今年もシーズンを乗り切れるように、走って、泳いで、バイク漕いで、本を読みまくって…。肉体的には厳しいはずなのに、この充実感がパワーに置き換えるのだろうと…。今年もよろしく。

木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー

木下 隆之 / レーシングドライバー

1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」

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