僕がレクサスLFAを駆るようになってから5年目のニュルブルクリンク24時間挑戦は、ことさら「言葉の重み」に翻弄された「2012年」として、深く記憶に刻まれることになるのだろう。
あれから約1か月が過ぎたいま、すべてを振り返ってみて、たしかにそう思う…。
渡独に先立って招かれた壮行会の席で豊田章男社長はこう言って、僕らに課題を突きつけた。
「過去5年間のこれまでより、最多周回数を記録してください」その言葉は、ずっしりと鉛のような重量感を伴って僕らを押し潰しそうになった。
過去にはSP8という重量級クラスでの優勝を達成してもいる。決して恥ずかしくない記録だろう。ただ、これまでのどのレースも、必ずどこかでトラブルに見舞われ、満身創痍での完走だったことも事実だ。予期せぬマシンの不調。突然のクラッシュ。ニュルブルクリンクという世界一過激な“グリーンヘル”の見えない手によって足元をすくわれ、跳ね返され、叩き潰され、幾度となく握りつぶされてきた。レース後に配布されたリザルトは輝かしいものであったが、あのコースを制したかといわれれば、答えに窮する。ライバルには勝ったが、コースには負けた。それが実感。
無力感はぬぐい去れないのだ。
社長がグサリと突きつけた今年のミッションはつまり、「ニュルブルクリンクを理解してこい」と同意だと僕は解釈した。
ちなみに、今年、僕は、一方で、「評価ドライバー」という重責を担っていた。「ニュルブルクリンクを理解する」ためのマシンセッティング担当である。
思わぬ大役を仰せつかった僕は、これまで22年間のニュル詣でで得た経験をチームに反映させるため、いくつかの言葉をキーワードとして掲げることにした。
組織がひとつの目的に向かって邁進し、意識と意志の統一をするためには言葉の力を信じるしかない。それは僕がこれまで、こういった立場になった際に心掛けてきたひとつの手法である。
ただ、その言葉が、数々の誤解を生むことになった。
『攻めずに、守りに徹する』
『タイムを削り取るのではなく、タイムロスを削り取るのだ』
『鈍感なマシンにする』
『タイムには拘らない』
『極端に言えばダート走行が出来るようなストロークを取ったサスペンションに仕上げる』
『当たり負けないボディにする』
『24時間1分で壊れるマシンにする』
キーワードはきわめて明確でシンプルなほうがいい。人の印象に残る言葉である必要がある。そんな思いで選んだ言葉が、困惑の火種になった。
「鈍感なマシン? ハンドリングは鋭敏でなければ、安心して走れない」
路面が荒れ、高速ジャンプ区間が点在するノルドシュライフェを安定して走りきるには、路面からの入力に対して過剰反応を排除する必要がある。ドライバーの100%の集中力が24時間持続不可能なことを知っている。その意味で使った言葉が、シャープな反応を好むドライバーの不信感を招いた。
「タイムに拘らない? 先を急がずに最多周回数を更新できるという根拠は?」
安定したタイムを刻みつづけるためには、時には、瞬間的な目の醒めるようなタイムを犠牲にせざるを得ないことがある。だが、ここでも掲げたキーワードが誤解の元となった。
「まさか、ダート走行をするつもりではないでしょうねぇ?」
「することもある」
「しないように走ってください」
「いや、それは保証できない。だってここはニュルなんだよ」
自戒と反省には抵抗はない。だが、反省して足を後ろに引くことは、僕の主義に反する。
もっと素直な性格だったら、余計な摩擦は起らないのだろうと後悔する。だが後悔しても、引くことができない性分だから厄介なのだ。
「接触は避けてくださいよ」
「避けようもないこともある」
「それがニュルだっておっしゃるんですか?」
「それがニュルなんだ」
「壊れてもいいだなんて…」
「48時間レースじゃないんだ。24時間だけ持ってくれればいいよ…」
様々な役割の個性の集合体であるレーシングチームは同時に、きわめて立場と役割の異なる少数精鋭部隊である。それぞれが豊富な経験を持つ。有能な人材が凝縮された組織である。彼らとて、簡単には首を縦に振ることはない。
そもそもレクサスLFAをニュルに投入してから5年もの経験が上積みされているのだ。その頭を柔軟に…と迫っても、ハイソウデスカと簡単には腹落ちしてくれないのである。
国内テストでは、コンマ何秒のタイムよりも運転して楽な仕様を選んだ。走りやすく速い仕様を選択するのがこの世界の常套手段だというのに、だ。ニュルブルクリンクとは決定的に異なる路面での評価には、コース環境を補正して判断するのが正解だ。
ただし、ニュルブルクリンクのあの過酷なコースを想定してくだしたことを、誰もが頭では理解してくれてはいたはずだが、はたしてこれでいいのか…?という疑心暗鬼を招いたのも事実である。
「車高を下げたい」
そう懇願するメカニックには、
「いや、車高を上げるべきだ」
と突き返した。
「減衰力を高めたい」
安定感を求めての提案にも、にわかに頷くことはなかった。
速く走りたい。速く走れる仕様にするべきだ。そんな彼らの思いはよくよくわかっていただけに、僕の心は低温やけどのようにヒリヒリと、静かに傷んでいた。
唯一のよりどころは、何かをやってしまったことを後悔することよりも、しなかったことを後悔することの方が堪えるという話は本当ではないかという、ささやかな思いである。
ところが、言葉は通じるものである。
実際に彼の地に遠征し、実践テスト参戦をこなしてからというもの、それまでの淀んだ空気が晴れ出した。チーム史上最低のセッティングドライバーを抱えたチームは、チーム史上最高のチームワークを築きはじめたのだ。
事前に参戦したVLN4時間耐久レースで2連勝を達成。予選では、上位40台に与えられる“ブルーライト”を奪い取った。“速いクルマである称号”を、意気揚々とフロントガラスに括りつけるメカニックの誇らしげな表情を見ても、チームの雰囲気はにわかに好転していった。
日々、セッティングに頭を悩ませてくれていたメカニックの顔に浮かぶ疲労の痕跡も、何かをやり遂げようとしている男の年輪のような美しさに見えた。
スタート直前の全体ミーティング。そこには応援に駆けつけてくれた歴々の役員がいた。そこでの金森総監督の言葉が素晴らしかった。
「応援してくださる方にふたつのお願いがございます。ドライバーにはそれぞれには計画に沿ったドライビングをするように指示しています。モニターに表示されるタイムで、遅いだ、速いだと思わないでくださいね。スタッフには、体を休ませながら戦うように指示しています。居眠りをしていても、それも業務遂行のためですから!」
その言葉は、僕らドライバーの心を優しく解きほぐした。我々は、自己のエゴも見栄も、そして他人の目を気にすることなく、耐久レースに不可欠な自己犠牲の心を得た。任務に向かって突き進む体制が整ったと思った。
GAZOO Racingという硬く凝り固まった太い綱が、実はそれは一本ずつのきらびやかに輝き強い絹の糸が縒り合わさったものなのだと、たしかに感じた瞬間である。
「9分から9分10秒の間で、淡々と走行してください。何もリスクを冒すことはありません。それでミッションが遂行できるように、これまで組み立ててきたんですから…」
総監督がドライバーにそう告げた時に、2012年のニュルブルクリンク24時間挑戦は、完成したのだと思った。
僕がそれまでやってきたことは、マシンセッティングなんかではまったくなかった。
スタッフのアイデアをただただ静かに聞き入れただけだった。ニュルブルクリンクがいかに過酷で、どれだけ危険で、決してニュルが簡単に僕らを受け入れる世界ではないことを伝えることでもなかった。そんなことは、誰もが百も承知だった。それほど有能なメカニックとエンジニアと、そして百戦錬磨のドライバーが支えてくれていたことを、もっと早めに気づくべきだったと後悔した。
スタート直前のグリッドで、コクピットの僕を送り出す“最後の一人”となった関谷チーフメカニックが、小窓から手を差し出してこう言った。
「24時間を“ノラリクラリと”いきましょうね! ここはニュルなんだから…。そうなんでしょ?」
意地をはった子供を呆れるように、そう言って笑った。
スタート1分前、グリッドにただひとり残された僕は静寂の中、あとは目頭に滲んだ涙をそっと拭うだけで、すべてのミッションが遂行できるのだと確信した。
僕が掲げた言葉をすべて集約してくれたような気がした。言葉の重みに混乱し翻弄され、そしてやはり最後は言葉の持つ力に助けられたのだ。
これまで何度もスタートドライバーをしてきたのに、「いってきます!」とはっきり言葉にしたのは、それが初めてだった。