クルマと腕時計
そのメカニズムに魅せられて…
クルマと腕時計、切っても切りはなせない間柄のようだ。これはもはや宿命だといっていいだろう。特に男の目線でいえば、クルマと腕時計は同類なのである。
メカニズムが酷似している。歯車やバネが複雑に絡み合いながら動く。人を運ぶほど大きいクルマと、手首に巻かれささやかに時を刻む時計とでは、サイズ感は大きく異なる。だが、内包されたメカニズム感には違いがない。内包された小宇宙に思いをはせる御仁も少なくなかろう。対象がその内側の複雑なからくりに魅せられることならば、クルマも時計も大同小異なのである。ともに、自分のセンスや個性を表現するアイテムという共通した能力を秘めているわけで、これはもう「同じもの」と言っていいだろう。
もはや一心同体である
自動車メーカーは時計メーカーとコラボ展開している。特にラグジュアリーブランドは積極的だ。
ざっと例を挙げれば、以下のようになる。
IWC=メルセデスAMG
ブライトリング=ベントレー
ジャガー・ルクルト=アストン・マーチン
オーディマ・ピゲ=マセラティ
ジラールペルゴ=フェラーリ
ウブロ=モーガン
フォルテ=ブガッティ
それぞれのラグジュアリーブランドが、お互いのイメージを高めあいながらイメージ補完をしているのである。マーケティング戦略としての王道である。
だとするならば、もっとディープな世界であるレーシングチームが、腕時計ブランドと親しくなっても不思議ではない。
真紅のF1フェラーリのカウルにはウブロの文字が踊っているし、ウィリアムズはオリスである。チュードルはポルシェレーシングと密接な関係にある。
中でも最高の成功例はタグホイヤーとマクラーレンだろう。セナプロ時代のマルボロマクラーレンのフロントカウルには、長年タグホイヤーのロゴが記されていた。ホームベース型のロゴが、記憶に刻まれている。レーシングスーツの背後に縫い込まれたワッペンはトップドライバーの証に思えたほどだ。
たったひとつのストップウオッチから…
実は僕の初めてのパーソナルスポンサーがタグホイヤーだった。入門用フォーミュラであるFJ1600を戦っていた頃から十年ほど、僕の背中やヘルメットにそのロゴはしるされていた。セナやプロストとはステイタスに天と地との差があったが、実に誇らしかったことが思い出される。
そもそもタグホイヤーとの付き合いは、レースを始めて2年目からである。超がつくほどの貧乏レーサーだった僕は、中古の型落ちマシンを24年ローンで購入。メンテナンスガレージのお世話になる資金もなく、奇特な友人とふたりでささやかにシリーズを戦っていた。
そんなだから、ラップタイムを計測するストップウオッチすら持っていなかった。しかたなく、当時タグホイヤーの日本正規輸入元であったワールド通商株式会社の門を叩いて直談判。
「あの~、レースをやっているんですけどスポンサーになってください」
「どんなカテゴリーですか?」
「FJ1600です。マルボロマクラーレンとおなじフォーミュラマシンです」
「……? では、ストップウオッチをひとつ差し上げましょう。将来上級カテゴリーにステップアップしたら、金銭的な援助を考えましょう。頑張ってください」
当時社長をされていた斎藤社長と宣伝担当の田上さんの心温まる厚意によって、僕はストップウオッチひとつのスポンサーを獲得したのだ。
「あの~、ワッペンとステッカーをいただけませんでしょうか?マシンとレーシングスーツに貼って走ります」
「いや、それは結構ですよ。気持ちだけ受け取っておきます。我々はF1チームとパートナーシップを結んでいます。公式的な契約ではありません。あくまで個人的に応援する気持ちになっただけですので…」
晴れてタグホイヤーのステッカーが貼れるようになったのは、その翌年にF3にステップアップしてからである。
時代はセナプロ+ホイヤーから、ニコハミ+IWCへ
閑話休題。
先日F1日本グランプリの数日前、メルセデスAMGペトロナスF1チームで戦うニコ・ロズベルグが来日、自身とIWCのパーソナル契約発表記者会見が行われた。
正式名称IWCシャフハウゼン(スイス)はすでに、ニコとルイス・ハミルトンとブランドアドバイザー契約を結んでおり、彼らとそれぞれ250本限定の腕時計を開発。その名は「インヂュニア・クロノグラフ」と呼ばれる。同時に、チームとのパートナーシップも締結したのだ。
といったように、レーシングドライバーと腕時計ブランドは、きわめて密接な関係にある。ともに複雑なメカニズムに共通項があるだけでなく、コンマ1秒を競うレースと、コンマ1秒を刻む腕時計では、根底に流れる思想が一致しているのだ。
そもそも男のDNAにはクルマと腕時計に興味を示すようにプログラミングされているのだろうと思う。右脳が無条件に興奮するのである。
ニコの手首にはIWCクロノグラフが光っていた。これは男のロマンなのだ。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」