気分はモナコ。夢が叶った
F1参戦よりも現実的…?
レーシングドライバーで喰っていこう、そう心に決めた若い頃のキノシタ青年は、ある壮大な夢を抱いていた。プロドライバーとして成功したあかつきには、必ずその夢を叶えるのだと心に誓い、筑波や仙台に足しげく通って腕を磨いてきた。20年以上も前のことだ。
「F1に乗る」なんていうのは夢見ることも恐れ多かったし、たいていのレーシングドライバーが胸にしまっておくものだから、あたりまえすぎて夢とするにはチープだ。もともと、こんな夢を売るような仕事をしていながら、実はドリームとスケールがミニマムな小心者である。一方で誰よりも己の実力と身の程を知っているから、とてもF1のような浮世離れした世界に思いをはせることなどしない。もっと現実的なレベル。そう、いつかはサーキットが見渡せる高級ホテルに宿泊し、走行するごとに自室に戻ってシャワーを浴びて、またぞろ、走行数分前にピットにやってきて「おまたせ~」なんて言いながらトップタイムを叩き出す、といった、ちょっと頑張れば叶いそうで、実はそれほど簡単ではない夢が僕の夢だったのである。
ドリントよりツインリンク?
それが叶ったのは、一度はニュルブルクリンクのメインストレートを眼下に見渡す「ホテル・ドリント」。もうひとつは我らが日本の茂木町に燦然と輝く「ホテルツインリンク」に宿泊した時に達成しているのである。
最終的にはモナコのどこぞの高級ホテルに宿泊するのは見果てぬ夢である。これからF1ドライバーになるのは、数字的な可能性としてはゼロではないけれど、いまからNASAの門を叩いて毛利衛さんになるよりも困難だろうから、モナコのホテルに泊まってレース参戦する夢は捨てた。となると、これから現役でいられるうちでもっとも宿帳に痕跡を残せる数でいえば、ドリントとツインリンクということになる。
仙台ハイランドにもサーキット敷地内に簡易宿泊施設があったけれど、あくまで保養所や合宿所的な、あくまで簡易施設だったから、僕の夢としては認めたくない。大分阿蘇オートポリスには、かつて1コーナーの延長線上にベランダ付きのホテルがそびえ立っていたけれど、バブル経済の崩壊とともに取り壊されてしまって今はない。
エキゾーストノートを聞きながら…
「ホテルツインリンク」が僕のハートをびんびんに刺激するのは、ホスピタリティの充実度もさることながら、やはりコースの全景がほぼ見渡せることである。
朝、目覚めてカーテンを開け放し、朝陽の眩しさに瞼を擦り擦り見下ろしたそこに、パドックを含めて全景が広がるのだ。メカさん達の動きもよ~くわかるから、マシンの暖気の音を確認してからおもむろにクルマでピットに向かえばいい。そこで「おまたせ~」とか言いながらメンバー達の肩を叩いて、徹夜整備の労をねぎらえば、ちょっとは気に入られるのである。
もし、メカさんに徹夜を強いたのが、自分が招いた単独クラッシュだったり、ろくなタイムを出さないものだから徹夜でマシンを組み直してくれたことが理由の場合は少々控えめに、こくりと小首をさげればいい。
ホテルツインリンクはけして安いホテルではない。けれども、富士では須走、菅生なら村田町、岡山なら津山で我慢したとしても、モテギの場合にはなかば強行に、ツインリンクに泊まらせろと、怖いマネージャーに主張することにしている。
アゴアシマクラ…
実は、いいホテルというのは、景色でもアクセスでも、ましてやフロントのお姉ちゃんが美人かどうかでは決まらない。アゴとマクラ。ぐっすりと夢の世界に落とし込んでくれるベッドと食事が重要なのである。そのあたりを陸の孤島でもあるツインリンクは重々ご理解してくださっているようで、質のいいレストランを取り揃えている。
裏に回れば、古民家風の和食処「登谷」がある。だが、レースウィークともなれば関係者の予約で満席だ。そんな場合、ぜひこだわりたいのは本格的四川中華を食することのできるレストラン「グリーンベイ」なのである。
四川が三重県から栃木県へ…
実はこれにはレース関係者なら誰もが知る逸話がある。
噂話だから信憑性はわからないけれど、かつてツインリンクがオープンになったとき、当時のモビリティランドの社長だったか本田技研工業の社長だったかが大の激辛中華好きだったそうで、鈴鹿サーキットホテル内の名物四川中華「桜蘭」の激辛麻婆豆腐のレシピを知るシェフをわざわざ栃木県まで派遣させたという。それほどのこだわり中華なのである。
ひと口頬張れば、喉から火を吹くのは確実のそれ。額から汗をダラダラ流しながら完食すれば、体が勝手に、その後の1ヶ月ほどにわたって新陳代謝を繰り返す。
さらに付け加えるならば、大浴場もオープンした。ここからもサーキットが眺められるのである。
カプサイシンで体内温度を高めて、風呂で大汗をかく。さらに、目の前に広がるサーキットを眺めながら、走りのシミュレーションをする。ちょっといい気分である。
なんだか今号のコラムは、ホテルツインリンクの宣伝になってしまったような気がするけれど、実は確信犯である。このコラムで感心を持ってもらった誰かがホテルツインリンクを利用する。するとホテルはもっと繁盛する。それに触発されて、他のサーキットでもコースが見渡せるホテル建設に着手するのではないかという思惑なのだ。すると喜ぶのは僕。
そう、読者に素敵な施設を紹介する素振りをして、実は自分のことしか考えていないのである。
僕はそう言う男なのである。
というわけで、ホテルツインリンクをもっと利用してくださいな!(笑)。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」