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フリー走行の先導を担当、いたわるようにシフトを操作
「90年代中盤、98年の発売へ向けての本格的な走行テストが始まって、先ずはニュルブルクリンクへ持ち込みました。最初はわずか一周で、ボディ、具体的にはサスペンションのストラット(取り付け位置)がずれてしまって、これはだめだと剛性強化の対策を施して、2日間で2,000キロを走破するテストを行いました。路面状況が悪くアップダウンが激しいニュルをたった一人で。4キロ痩せましたね(笑)。ボディ剛性、足回りの問題点、足りない点をたくさん見つけることができました。次に、剛性アップやバネアブ(バネ=スプリング、ショックアブソーバー)の改良、セッティングを行いながら、2週間で20,000キロのテストにトライ。この時はBMWも同時に走らせて色々と比較を行いました。当時は、ニュルでは今のようにメーカーのテストは多くなくて、ポルシェくらいでしたね。そんな中、約2年間、走っては直し、直しては走りを繰り返しました。
憧れの成瀬を先頭に、80台のアルテッツァが意気揚々とコースイン
ようやくバランスが整ってきた頃、アウトバーン(ドイツの高速道路、速度無制限エリアも多い)へ。もちろん、アクセル全開ですよ。そうしたら、サーキットとは違う路面のギャップで飛び跳ねるような症状が出て、再びバネアブの開発へ・・・。その後も、フランスの山道を時速200キロオーバーで全開テスト、真冬の北海道では180キロでドリフト走行を行いました」。
特徴的なテールランプは今でも斬新
型式名で呼ばれるのも名車の証し
「久しぶりのFRスポーツということで、我々メーカーはもちろん、メディアやファンも期待しているのが分かっていましたから、開発に関わるもの全員が高い目標へ向かって一つになって進んでいました。特に、開発責任者の片山チーフエンジニアは、ル・マン24時間レースの経験もある熱い人でね、しょっちゅう怒鳴り合いました(笑)。でも、それはお互いの本音のぶつかり合いであって、ただ相手の意見を否定するとか、言いくるめようというものではなかったんです。本当に真剣勝負でした。もうひとつ、“計算より、感性”で開発を行った最後の世代でした。60年代に担当したトヨタ2000GTの開発と同じように、テストドライバーの感性をエンジニアの感性でカタチにする・・・コンピューターの進化による新しい時代への転換期、思い出深いクルマです」。
「FF(前輪駆動)、MR(ミッドシップ)、FR(後輪駆動)、それぞれにドライビングの楽しさがありますから、一概にどれがいいとは言えませんが、FRにはやはり特有の魅力があると思います。それは、クルマをコントロールする楽しさ、あるいは難しさを学ぶのに最適である点。アルテッツァはパワーが程良く、スポーツドライブやサーキット初心者にとって非常にいいクルマです。もちろん、物足りなくなったら、もっとパワーがある速いクルマに行けばいいんです。でも、そこに達するまでには、きっと十分に楽しめますよ(笑)」。
2007年ニュルブルクリンク24時間に挑戦した、成瀬率いるGAZOO Racingのアルテッツァ
1998年に誕生、2005年に惜しまれながらも生産を終了、6年10か月の現役生活に幕を閉じた名スポーツセダンは、今再び人気を高めている。その理由をあるアルテッツァオーナーが教えてくれた。「それは、日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車であったことより重要なことです。モータースポーツシーンでの活躍と、何より、今の時代、とても貴重な操って楽しいFRスポーツセダンであることです」。アルテッツァが宿したスポーツドライビングの魂は今なお現役である。
[2009年2月 取材]
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