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『校長先生』2009年11月16日
皆さんこんにちは!TDP事務局のフクです。 さあ、今週はいよいよTDPドライバーの今年最後のレースとなるマカオGPが開催されます!ここに参戦する卓人君、雄資君には是非昨年の京佑君に続いてもらいたいと思います。対するメルセデスやオペル勢も、昨年まで2年間トヨタエンジンに優勝を奪われている雪辱を期してくることが予想されますので、昨年以上に勝つのは厳しい事が予想されますが、皆さん応援を宜しくお願いします! さて、TDPを語る上で外せない存在と言えば・・・それはもちろんフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(以下FTRS)創立から校長を務める関谷正徳です。もちろんこれを読んで頂いている方の中には、それが誰であるかはご存じだと思います。まさか、「いつもドライバーの近くにいるあのおじさんは誰?」なんて人はいないですよね? しかし、校長の現役最後のシーズンとなったのは2000年、今からもう9年も前になるため、最近FTRSを受講しにくる生徒の中には、校長先生の現役時代を「知らない」なんて人もいるのです。思えばフォーミュラトヨタで、一貴と一緒に走っていた可夢偉が、一貴の父親である悟氏がF1で走っていた頃を知りませんでした。私にはその当時、ついこの間のように思えていたのですが・・・ なので、簡単に関谷校長の紹介をさせて頂きます。1949年の11月27日生まれのゴルフが好きな59歳、来週の誕生日でいよいよ還暦を迎えます。1971年(私もまだ生まれていません)にレースデビューを果たし、その後様々なカテゴリーで実績を残し、1995年には "世界3大レース"の1つとして数えられる「ル・マン24時間レース」において、日本人として初めての総合優勝を果たす金字塔を打ち立てました。 そこから国内レースにおいてもJTCC(全日本ツーリングカー選手権)やJGTC(全日本GT選手権)でタイトルを獲得するなどの輝かしい実績を残し、2000年のシーズンを最後に、現役を退いた後はトムスチームのF3、GTの監督を務め、今季は3年ぶりにその両方でタイトルを獲得したのは、皆さんもご存じのことと思います。 そして現役を引退した翌年の2001年から、現在のTDPに繋がるスカラシップ制度による、若手ドライバーのレース参戦が開始されたのです。そして、その参戦スタート時からずっとスカラシップドライバー達に対して、時にはプライベートの時間も共有しながら公私に渡って指導をして来ました。 今年F1GPに参戦した一貴や可夢偉達も、みんな4輪(カートに対してこう呼びます)のスタートは、関谷校長の指導から始まっているのです。その指導は、時に厳しく、時に優しくそれも全てはドライバーに「育って欲しい」という"愛のムチ"なのです。 関谷校長は、上に書いてある通り今年で還暦を迎えます。ともすれば昔の現役時代のやり方があるので、なかなか考え方を変えないなんてこともありがちですが、関谷校長はドライバー達にプラスになると思えば、どんどん新しい考え方も取り入れ、またそれを探すことにも貪欲です。現在は(?)普段からの行動も品行方正で、TDPドライバー達の師として相応しい方なのです。 ごく稀に(本当にたま~にです!)、女性に対してのセクハラっぽい(ギリギリセーフ・・・ですかね?)発言が出たりしますが、このあたりはやんちゃしてた現役時代の名残でしょうか(笑)今回はその辺りには触れませんので、興味のある方はご自身で、昔からの関係者の方に聞き取り調査を行って下さい(笑)ちなみに私は何も知りませんので・・・ また、自他共に認める"おせっかい焼き"なので、『婚活』したい人は是非お願いしてみる事をお薦めします。きっと一生懸命力になってくれると思います。但し結果についての責任は負いかねますが・・・(笑) さて、そんな関谷校長に聞いてみました。ズバリ校長にとって『TDPとは?』 またそれぞれ現役TDPドライバー達にも聞いてみました。
ちなみに石浦君、昔あるドライバーが呼び出される時、よくファミレスの「グラッチェガーデンズ」に呼ばれ、何故かそこに石浦君も同席し、そのドライバーがお説教されている横に居る事が多かったらしく、しばらく「グラッチェ恐怖症」になっていたそうです(笑)
期せずして全員が同じような内容の回答となりました。 ここ数年は忙しく動き回り、「現役時代よりも忙しい」という関谷校長。 関谷校長の日々を綴ったブログはこちら どうでも良いのですが、岡山国際サーキットに行く時「閑谷学校」(江戸時代に岡山藩によって開かれた学校で、現在では国宝に指定されています)という看板を見ると何故か気になってしまいます・・・どうでも良いのですが・・・ 【TDP情報】 |
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