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TDP初!頂点を知る男 中嶋 一貴2010年6月3日
皆さんこんにちは!TDP事務局のフクです。 先日の F1 トルコ GP 、皆さんもご覧になっていたと思いますが、遂に苦しい状況のなかで、 そして、小林可夢偉といえば、永遠の好敵手(ライバルと読んで下さい)として、フォーミュラトヨタ(以下FT)時代から、幾度となく同じ舞台で戦い、昨年は遂にF1と言う頂点の舞台でバトルを演じた中嶋一貴君を語らないわけにはいきません! というわけで、今回はプレイバック編として、中嶋一貴君の事を書かせて頂く事にしました。 2010 年の F1 のグリッドには残念ながら並ぶことが出来ず、今季は皆さんが目にする機会も ![]() いつも爽やかナイスガイな一貴君です 一貴君といえば、昨年日本人唯一の F1 フルタイムドライバーとして、日本の期待を一身に背負って世界を転戦して戦っていたのは皆さんご存じの通り。今ではすっかり"中嶋一貴"と言うブランドも世界的に浸透していますが、彼がフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(以下 FTRS )に初めて参加した 2001 年頃は、まだ"中嶋悟の息子"と言うのが彼の代名詞でした。 日本人初の F1 フルタイムドライバーのパイオニアとして、その父の名前はモータースポーツ界においてあまりにも大きく、彼にとっても時に重圧であった事は想像に難くありません。実際私もロータスやティレルで走る中嶋悟さんに憧れて、 F1 ドライバーを夢見ていた少年でした。 中嶋悟さん最後のレースとなった、雨のアデレード(オーストラリア GP )も、ついこないだの様に感じていましたが、可夢偉君が FT デビューした頃にそんな話をすると、現役時代を見たことがないという事で、時の流れの速さに驚いたものですが、中嶋悟さん(以下失礼ではございますが、「パパ」と書かせて頂きます)引退の 1991 年と言えば、可夢偉君はまだ 5 歳!それでは分からないのも無理はないですよね。 さて、パパの話はこれくらいで、一貴君本人の話に行きましょう! ![]() 2002年にFTRSに参加した当時の一貴君(右端) 1回目と2回目の間にどの様な心境の変化があったのか・・・などは、これまでいくつかのメディアでも本人が話しているので、ここでは特に触れずに行きたいと思います。 一貴君が落選した 2001 年の FTRS で、既にスカラシップを獲得しており、前年の FT の最終戦でデビューも果たしていた可夢偉君が、何と言っても 2003 年シリーズのタイトル本命。それに対する一貴君はどうだったかと言うと・・・開幕ラウンドの舞台となった TI サーキット(現・岡山国際サーキット)で、チームはレースウィークの月曜!から走行を開始しました。 走り始めの、週の前半は可夢偉君に対して水を開けられていた一貴君。「これは、今週は ![]() 2003 年 FT 参戦時、一緒にクルマを押す駆け出しの この後ステップアップして行く過程で、様々なレースカーのドライブを経験して行くことになる ポールを獲得したデビューレースはというと、可夢偉君との熾烈なトップ争いを演じ、惜しくも 特に第 9 戦の鈴鹿で見せた、最終コーナーからS字入口までのサイド・バイ・サイドの可夢偉君とのクリーンで激しいバトルは、今でも語り草になっています。そんな 2 人が、 6 年を経て F1 の舞台で戦った時は、関係者は一様に感無量でした。しかし、 2 台で絡んだ時には言葉を失いましたが・・・(苦笑) ちなみにこの年勝った 3 レースは全て雨。やはり「雨のナカジマ」(パパは雨の中でめっぽう速く、現役時代こう呼ばれていました)の DNA を受け継いでいるのでしょう。インタビューなどでもこのように言われるため、本人も当時、少しばかりこれを気にしていて、「ドライのレースも勝たないといけないですね」とインタビューに答えていたこともありました(笑) ![]() FT 初優勝の表彰台 ![]() (左)2位にうつむく石浦君(中央)インタビューを受ける勝者の一貴君 ![]() シリーズチャンピオンを決めた最終戦 ![]() フォーミュラルノーで参戦したマカオで、のちに同じ舞台で戦うニコ・ロズベルグ選手、ネルソン・ピケJr選手と「 F1 ドライバー 2 世」繋がりで取材を受ける一貴君 そして、FTのタイトルをひっさげ、ステップアップした全日本F3では、デビューから2戦連続で ![]() 2004 年マカオ GP にて珍しい坊主バージョンです ![]() 2005年スーパー耐久参戦時 ![]() 2005 年 F3 での優勝を飾った時の物 その後スーパー耐久、スーパーGTなどにも参戦し、その各カテゴリーで勝利を経験し、2年目の全日本F3ではシリーズ2位を獲得すると、2006年からはヨーロッパに活動の拠点を移すことになりました。そして、環境が大きく変わった中で迎えた、ユーロF3第2ラウンドでも見事に優勝を果たし、翌年ステップアップしたGP2でもルーキーイヤーながら素晴らしい活躍を見せてくれました。 また、全日本 F3 にステップアップする前の 2003 年のシーズン終了後に、 1 度ヨーロッパで なので、 2006 年にいざヨーロッパに渡った時も、言葉の問題は全くなかったのですが、一貴君の所属した MANOR Motorsports と言うチームは、ロンドンよりかなり北の方にあり、アクセントにかなりの癖があり、さすがの一貴君も少し苦労したようです。 ![]() 2006 年 F3 ユーロシリーズ参戦時 ![]() 2006 年 GP2 テスト参加時 と、ここまでは一貴君の良いところばかりを書いて来たのですが、良いことばかりではつまらないと言う方もいらっしゃると思いますので、優等生の一貴君のイメージと違う部分も幾つかご紹介したいと思います。ここに書けることも書けないこともありますが、一貴君のイメージを壊さない程度のものだけ、紹介したいと思います(笑) 実は一貴君、割と子供っぽい食べ物の好き嫌いがあります。まず日本に居た頃の一貴君は、『トマト』が食べられませんでした。トマトがあると必ず避けていましたが、ヨーロッパに行った時に見ると、パクパクと食べていました。何でも「こっちに来て食べられる様になりました」との事でした。 そして『ピーマン』。これも苦手な様です。しかしこれについては、ヨーロッパで何やら検査をした所、体質上ピーマンに含まれるある成分を分解する能力が低いとのことで、あまり食べない方が良いと言われたらしく、本人は喜んでいました。 あと苦手なのは『朝』。しっかり者に見える一貴君ですが、割と夜更かし好きで、実は「寝坊」したり、「忘れ物」が多いうっかり者な一面を持っているのです。もちろん今ではそんなことはないと思いますが(多分・・・) このあたりは、非常に得をしている部分ではあるのですが、それも周囲の人間を不快にさせることのない、一貴君の普段からの行動によるところが大きいのだと思います。と、やっぱり良い形で終わってしまう所に「中嶋一貴」と言う人間が集約されていると思います。 ![]() スポーツはやるのも見るのも好きな一貴君 ちなみに好きな物は『焼肉』。特に海外に居ると、日本の焼肉は恋しくなるようで、2007年のシーズンオフに帰国した一貴君を迎えに行ったその足で、空港からホテルにチェックインする前に 多忙なF1ドライバーとなっても、メールを送るとビックリするくらいすぐに返事が返ってきて、嫌みのないキャラクターで誰からも愛される一貴君ですが、再び皆さんにその雄姿を見せてくれるまで少々お待ち下さい。私も皆さんと同じく、F1の舞台で再び一貴君の雄姿を見られることを信じている1人です。 そしてパパの世間での認知が"一貴君のお父さん"と呼ばれる様になる日も、そう遠くはないことだと思います。 ![]() 【TDP情報】
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