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Rd.15 Grand Prix of Japan
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新居章年リポート
2007年10月1日(月)

いつもご声援ありがとうございます。ついに30年ぶりに富士スピードウェイにF1が帰ってきました。地元の自治体や周辺住民の多大なる協力を経て、ようやく開催が実現した富士スピードウェイでのF1日本グランプリ。我々も皆さんの期待に応えるべく、5月から富士プロジェクトを立ち上げて、この日に備えてきました。それでは、30年ぶりの開催となった富士スピードウェイでのF1日本グランプリの模様を報告しましょう。

●富士スペシャルはフロア、リアウイング、ターニングベイン一新
長いストレートとテクニカルなインフィールドセクションを持つ富士スピードウェイは、空力のセッティングが難しいコースです。そのため我々はこのサーキットで速いラップタイムを刻むためにはどのような空力パッケージにしたらいいのかをシミュレーションし、最適なパッケージを先週のヘレスの合同テストで走らせ、性能を確認したうえで、この富士スピードウェイに持ち込んできました。 具体的にはディフューザーを含めたフロアを一新し、リアウイングとターニングベインを新しいデザインにしました。フロントタイヤのホイールカバーも、無回転タイプのものに切り替わっています。

●ヤルノが4番手に食い込むものの、セットアップに悩んだ金曜日

富士F1日本グランプリ初日は快晴に恵まれた。フロア、リアウイング、ターニングベインを一新したホームグランプリ仕様で発進 。
いよいよ迎えた日本GP初日、最終的にヤルノ(トゥルーリ)がフリー走行2回目を4番手で終えたという結果だけを見れば、悪くないポジションでのスタートを切ることができました。しかし、そこに辿り着くためのセットアップに少し時間がかかってしまいました。通常はコーナーの入口がアンダーステアで、出口でオーバーステアとなるんですが、今回はコーナーの途中でオーバーステア症状が出るという問題が発生。そこで我々は、ダウンフォースレベルを午前中のフリー走行1回目の開始時から、午後のフリー走行2回目が終了するまでまったく変えずに、重量配分と前後スプリングのバランスをいろいろと調整してセッティングを煮詰めていきました。新しく投入した空力パーツに関しては、ドライバーふたりとも問題ないと言っていましたが、ヤルノのベストタイムも1分19秒711と、想定していた金曜日のシミュレーションタイムを下回りました。路面のグリップレベルを考えると、もう少しタイムを詰められたと思うだけに、必ずしも満足な滑り出しだったとは言えません。

●ウエットタイヤの性能をフルに発揮させることができず、残念
そして予選は、初日フリー走行の出来から期待していただけに残念な結果となりました。土曜日、雨で始まった午前中フリー走行の走り出しは決して悪くなかった。通常はクルマの各部をチェックしてピットインするんですが、インスタレーションラップでクルマに問題がないことが確認できたので、2台ともピットインせずに、そのまま走行を続けました。ただ、すぐに赤旗が出てしまい、ラルフ(シューマッハー)はコントロールラインを通過できず、ヤルノもわずか1周で練習走行を終えなければなりませんでした。

一転、雨となった公式予選。ラルフは第1ピリオドを通過するも、接触によりクルマが壊れて出走できず、16番グリッドが確定する
それでもクルマのフィーリングは決して悪くなかったので、午後の公式予選を楽しみにしていたのですが、予選ではウエットタイヤの性能うまく引き出すことができませんでした。特に第2ピリオドでのペースが想定していたよりも速くなったせいか、タイヤのグリップ力が出るオイシイ時間が限られてしまいました。通常ウエットコンディションでは燃料が軽くなるほどタイムが向上しますが、2~3周分の燃料を搭載して連続アタックを行っても1回目のアタックで記録したタイムを更新することができず、我々は最終ピリオドに進出することができませんでした。
本来であれば、第1ピリオドで14番手のタイムをマークしていたラルフも、第2ピリオドに進出するはずだったんですが、第1ピリオドの最後で他車に接触してクルマを壊してしまい。第2ピリオドに出走することができませんでした。アタックラップだったとはいえ、すでに14番手のタイムを記録していたわけですから、モニターで前のクルマに接近しているのがわかった時点で、無線でアタックを止めさせる指示を送るべきだったかもしれません。

●ミスとトラブルで2台ともポイント圏外へ。来年はもっと強いレースをしたい
あきらめずに臨んだ決勝レースは、雨の中、大勢のファンの皆様がスタンドに詰めかけてくださったにもかかわらず、本当に不甲斐ない結果に終わってしまいました。荒れた天候となり、持っている実力を十分発揮することができなかったのは確かですが、それは全チーム同じ条件、言い訳にはなりません。

かつてパナソニック・トヨタ・レーシングを率いた冨田務富士スピードウェイ代表取締役会長ほか、多くのゲストがドライバーを激励

まずセーフティカーランの途中でヤルノがスピンしたのは、フロントタイヤを温めようとステアリングを左右に切っていたときに、誤ってパドルシフトに触れてしまい、シフトダウンしてしまったために起きたミスでした。それでポジションを下げてしまったので、我々は急きょ戦略を変えました。というのも、セーフティカーが長く入っていたので、悪天候によるレース短縮を念頭に置いて、レース総走行距離の75%を走り切るだけの燃料を搭載してコースに送り出したのです。しかし、結局レースは最後まで行われ、途中セーフティカーも1回しか入らず、ガソリンが足りなくなり、終盤にもう一度ピットインせざるを得ませんでした。
18周目に満タンで出て行ったヤルノのペースが上がらず、28周目に1回目のピットインしてきたラルフに対して、燃料を満タンにすることはしませんでした。その戦略自体は間違っていなかったと思いますが、ラルフには電気系のトラブルが発生していて、無線の調子が悪く、2回目のセーフティカーが出動した際に迅速にピットインすることができず、ポジションを落とす結果となりました。

決勝日は1976年と同じ、ウエットレースに。上位進出を期したが、ヤルノはスピン、ラルフは電気系のトラブルでチャンスを逃した

その後、ラルフの電気系トラブルは深刻な状態になり、3度目のピットインを行った時点で勝負は決していましたが、「今日は最後まで戦う」という意思統一ができていたので、メカニックが懸命に修復し、最後にコースに送り出すことができました。しかし、レースは荒れた展開となりコース上にたくさんの破片が飛び散っていたこともあり、パンクしてピットでレースを終えることになりました。
我々が目標としてきた富士スピードウェイでのF1日本グランプリが、このような形で終わったことは残念でなりません。しかしシーズンはまだ終わったわけではありません。最後まで全力を尽くして戦います。そして、来年もっと強くなって富士スピードウェイに帰ってきたいと思っておりますので、ご声援よろしくお願いします。


富士スピードウェイでの新居章年。雨の中、実力発揮ならずもどかしさが残るレースとなった。次戦の中国GPでは巻き返しを狙う。