SECTION1TOYOTAのF1参戦を機にテクニカルパートナーとして工具を供給
KTC(京都機械工具株式会社)は、TOYOTA GAZOO Racing World Rally TeamがWRC参戦を発表した2016年より、パートナー企業としてチームに工具の提供を開始しました。WRCのサービスやヨーロッパの各TGRファクトリーで、チームのメカニックたちは最高峰シリーズであるnepros(ネプロス)を中心とするKTC製のツールを使い、Yaris WRCの整備を行なっています。
実は、KTCとトヨタ自動車の関係は長く、1950年のKTC創立初年度に、市販車の搭載工具として採用して以来のおつき合いなのです。また、販売会社でも同社が製造した工具が多く使われています。つまりモータースポーツだけでなく、量産車の世界でもトヨタのメカニックにとってKTCの工具はなくてはならない存在なのです。しかしなぜ、KTCはTOYOTA GAZOO Racing WRTに工具を提供することを決めたのでしょうか。KTCの田中滋代表取締役社長にお話しを伺いました。
取材に応じてくださった田中滋代表取締役社長。
ご自身が運転する愛車はLEXUS UX とのこと
「始まりはF1時代です。私が執行役員の時、仕事でトヨタ自動車の東富士研究所に行ったのですが、そこで当時のモータースポーツ部長だった松井誠さんにお会いしました。そうしたら、偶然TMG(トヨタモータースポーツGmbH、現TGR-E)のオベ・アンダーソンさんも居られて、F1に参戦することを知りました。そこで我々も参加したいと思い、まず1番大きなセットをドイツのTMGに送り、メカニックの人たちに実際に使ってもらいました。それから半年くらいして採用が決まり、テクニカルパートナーとして工具をご提供することになりました。世界最高峰の舞台で使われることによって、工具が鍛えられると期待したのです」
KTCはそれ以前から様々なモータースポーツに工具を供給しており、4輪ではレーシングカート、スーパー耐久、SUPER GT、スーパーフォーミュラに参戦するチームをサポートしてきました。しかし、世界的なモータースポーツに全社をあげて関わったのは、トヨタF1が初めてだったということです。
「技術的な要求がとても厳しかったことを覚えています。当然のことですが、欧米には欧米の優れた工具メーカーがありますし、日本の工具が即座に受け入れられた訳ではありません。我々のneprosは日本人の手の大きさを考慮して設計していることもあり、最初は少し違和感を覚えたようです。また、若干のしなりについても指摘されましたが、それは掛けているトルクの感覚を伝えるためにあえてそのような設計としているので『心配せずにお使いください』とお願いしました。そうしたら、さすがプロ、すぐ慣れられたようで、我々の工具を認めてくれました。一方で、製品の品質や機能の向上について学ぶことは多く、チームからのフィードバックを受けて改善に努めました。例えばラチェットハンドルですが、当時は36枚ギアを採用していました。しかし、チームからより細く動かしたいので最低でも72枚にして欲しいという要望があり、ならばもっと上の90枚を目指そうと開発を始め、現在のラチェットとして具現化されることとなりました」
現在、neprosのラチェットハンドルは90枚ギアを採用していますが、狭小な作業スペースでも少ない振り幅で作業ができると、ユーザーに高く評価されています。トヨタの世界選手権活動をサポートしたことで、技術がさらに磨かれた例のひとつといえるでしょう。
SECTION2極寒から酷暑、泥や砂だらけのWRCでneprosはメカニックを支える
「トヨタがF1参戦を終了した後も、またいつか応援したいと思い続けていましたが、2017年からWRCに復帰することが決まり、再び工具をご提供することにしました。F1の時は特殊な工具も少しありましたが、WRCのYaris WRCは比較的市販車に近いので、弊社の総合カタログをお送りし、その中からneprosを中心にラリー車両の整備に必要なアイテムを選んでいただくことにしました」
雨風をほぼ完全に防ぐことができるピットがあるサーキットレースと違い、WRCの整備作業は基本的に屋外で行なわれます。もちろんサービスに屋根はありますが風雨を完全に防ぐことは難しく、ウインターラリーのスウェーデンでは気温がマイナス20度くらいに下がることもあります。また、グラベル(未舗装路)のステージを走り終えたクルマは泥や砂が付着し、それをすべて除去してから作業にとりかかる時間的な余裕はありません。つまり、WRCにおける工具の使用環境はレース以上に厳しいといえますが、KTCの工具はいかなる状況でもメカニック達の作業をしっかりと支えています。
「ここまでのところ、問題は何も報告されていません。極寒のスウェーデンや酷暑のメキシコでハードに使われても、不具合は1度も出ていません。私たちの製品はマイナス20度からプラス70度まで温度を変えられる環境試験室でテストを行なっていますし、北海道の旭川のような非常に寒いところでも使われてきました。工具とはそういうものです。世界選手権を戦うヨーロッパのメカニックの方々は、きっとneprosの存在をほとんど知らなかったはずです。しかし、F1やWRCで使ってもらい、認めてもらったことは我々にとって大きな自信になりました」
WRCのサービスでは観客の数メートル先で整備作業が行なわれ、その一部始終を見ることができます。限られた時間内で行われる、世界トップレベルのメカニックの整備作業は芸術的ですらあり、ファンの熱い視線はメカニックが握る工具にも注がれます。
「市販車ベースのクルマで公道を走るのはいいことだと思いますし、テレビでサービスの風景が映ることも多く、それを見ていただけるのは私たちにとっても嬉しいことです。今後も、TGRのWRC活動を支援し続けたいと思っています」
SECTION3"品質に正直である"という信念でメカニックの信頼と安全に応える
日本の京都が生んだ、世界に誇る工具メーカーであるKTC。WRCでの活躍と実績もあり、その知名度と評判は世界的に高まっていますが、田中社長は"ものづくり"において何を1番大切にしているのでしょうか?
「正直であること。それだけです。それは"品質に正直でありたい"ということで、工具という形で世の中に安全を提供したいという気持ちがあります。例えば、もし何かが起きた時でもお客様に絶対怪我をさせないように、1番安全なところから壊れるような設計をあえてしています。そのために、材質までも変えることがあり、製造工程や量産も難しくなる。でも、お客様の安全を守るために正直でありたいし、そうでなくなったらKTCではない。逆にいえば、その部分に自信があるからこそ、レースやラリーでも安全に使っていただけるのです。これまで怪我の報告は、1度もありません」
KTCが作る工具は、いずれもプロフェッショナルが末長く使える高い品質を備えています。WRCの現場でもneprosシリーズに対するメカニックの評価は非常に高く、使用後はピカピカに磨き上げられて工具箱に仕舞われます。
「いつまでも使える工具というのは、逆に言えば買い替える必要がないということ。これは経営という面では弱みにもなり得ます。正直であればあるほど、工具は長持ちするものです。困ったものですねえ......」と苦笑する田中社長には、KTCの"正直さ"が垣間見えました。