Witness to history:"The Mother Road"
Report 2015.08.04 - 08.12 FROM AMARILLO TO PHOENIX
#04
歴史の証言者“The Mother Road”
旅の折り返し地点に差しかかり、 チームはかつては“Route 66”として存在していた“Historic Highway 66”を走った、 “The Mother Road”、アメリカのノーベル賞作家ジョン・スタインベックは『怒りの葡萄』において、Route66をこう呼んだ。1920年代よりアメリカ西部の発展を促進したこの国道は、以来数々の音楽、映画、小説の題材として取り上げられ、歴史的、文化的に重要な役割を果たしてきた。その役割を終えた今は、インターステート(州間高速道路)“I-40”として転用された箇所と、一部“Historic Highway 66”と名前を変え保存された道が残されている。世界中のドライバーと魅了して止まないこの道を、今日も多くのクルマが行き交う。
雲の上を走る
クルマを更に西へと走らせ、チームは平均標高2000mのコロラド州へ。地平線の先まで伸びる平らな一本道は、岩山の間を縫うようなワインディングロードへと姿を変える。砂埃の匂いは消え、緑の空気に包まれる。しかし、この道は周囲の風景ほど優しくはない。山のふもとでさえ2500m。そこから一気に標高4301メートルの山頂へ続くパイクス・ピークは「雲へと続く道」だ。
この場所で行われるレース「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」では、1900mの高低差が多くのドライバーを苦しめてきた。ガードレールのない山道。息を呑むような絶景は、危険と隣り合わせの環境でより一層美しく映る。
グランドキャニオンは霧の中
普段は乾いた空気の中を赤土の舞うモアブ。この日は雨によるぬかるみが見られたが、走行中のトラブルもなく悪路をクリアした。古くよりネイティブ・アメリカンが住むカイエンタを抜けると、辺り一帯は深い霧。かき分けながら山を進みチームはグランドキャニオンに出会う。太平洋の地層が4000mもの高地を形成し、東西を分かつ渓流が生んだ高低差1600mの巨大な谷。大陸の歴史とともに生まれたこの渓谷は、アメリカという国のスケールをそのまま形にしたかのようだ。
畏怖するほどの大自然を前に、メンバーはこれまでの旅路を振り返った。山を下ると、すぐさま黄土色の砂漠地帯が姿を表した。灼熱の地、アリゾナ州フェニックス。肌を刺す日差しが、むせ返るような暑い夏の到来を告げていた。