自動車雑誌業界に身を置く「橋本洋平」。
知る人ぞ知る「走り系ジャーナリスト」である。
年令は38歳。そろそろ落ち着いてもいい頃の年令だ。
だというのに、生き様は、昭和世代の若者のように泥臭く、一方で行動力は20代と見紛うばかりに若々しい。まさにクルマ命。貧乏をこじらせながらも、まっすぐに「クルマスキ道」を突き進んでいる。まるで将来に夢を抱く学生のようにピュアなのだ。
どこか貧相な雰囲気が漂う。はっきり言って、「真っ正直もいいけど、そろそろ世間がどういうものかわかったら?」と、業界に汚れたキノシタはついつい忠告したくなるほど。と言いながらも、そのまっすぐな心意気についつい共感してしまうのである。
彼がこの業界に身を置くことになったのは、体育会編集部とも影で囁かれる自動車専門誌「ジェイズ・ティーポ」で仕事をするようになってからだ。キノシタもかつてその雑誌の巻頭カラーを連載していたことがあり、彼と知り合った。
ともかく、自虐的であり、かといってドMを楽しんでいるわけでもなく、その意味では、たとえば四畳半のボロアパートで学ぶ苦学生のような嬉々とした青春ではない。貧乏を楽しむというより、貧乏に気づかずにいるといった印象。いつも笑顔でいる意味がわからないのである。
そう、橋本洋平とはそんな男なのだ。
皆は彼のことを「ハッシー」と呼び、可愛がる。
そんな橋本洋平も、フリーのジャーナリストになり、それなりに仕事も舞い込むようになった。走り系雑誌でインプレッション記事を見かけることも多くなった。執筆量調査でもしたら、それなりに上位に名を連ねるのかもしれない。
だけど僕らはいつもこう言ってチャカす。
「ハッシー、最近、売れはじめているような気配がするな」
「売れっ子ではなくて?」
「いや、売れはじめている」
「とりあえず、売れはじめているんですね?」
「いや、売れはじめている気配がするだけだ」
「先は遠いですね…(笑)」
それでも日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員に選出されるわけではなく、人気ジャーナリストと手厚くもてなされるわけでもない。なかなかいい仕事をしているとは思うけれど、いい仕事をしているように見えないのは、その穏やかな性格のせいだと思う。
そして彼は、速い。
ジャーナリスト対抗レースに参加しては、時にはトップタイムを記録することもあるし、上位でフィニッシュすることも少なくない。キノシタも一度、彼に負けている。それなりのチームが彼に白羽の矢をたててもいい走りっぷりなのだ。
それでも彼が速いという印象は薄く、知る人ぞ知る影の速さ。それもやはり、彼のその貧相な風貌と、穏やかな性格が原因なのだと思う。
そんな彼は今年「GAZOO Racing 86/BRZ Race」に参戦している。
84回ローンという気の遠くなるような借金を抱えて手にした86で参戦しているのだ。
先代の愛車はホンダCR-Z。最長72回ローンを払いきれずに手放した。
その前の愛車はなんと、日産GT-R(R35型)だ。それすらも最長ローンを抱えて挑んだものの、資金繰りが続くわけもなく手放している。
そう、根っからのスポーツカー青年。徹底的にスポーツカー人生にこだわる。
「今回は自己最長の84回ローンなんですよ。トヨタのローンは長いから助かります」
そんな意地の現在形が、まだほとんど金利すら払い終えていない86なのだ。
先日の鈴鹿1000kmと併催された86/BRZ Race第3戦にも、彼の姿はあった。
宿泊費節約のために、東京の自宅を早朝2時に発って、土曜日の走行直前にサーキットに到着した。東名高速道路の料金も気になるから、一般道で箱根の剣を超えてきたという。ほとんど徹夜でレース参戦なのだ。
7月の第2戦菅生にも彼はエントリーしていたのだが、予選終了後にホテルに移動するためのクルマがなく、ほとんどヒッチハイク状態で仙台市内にたどり着いたというから、全国転戦型のレーシングドライバーというより、全国縦断ドライブの途中である。
「車中泊だと楽なんですけれどね」
意味不明である。
そんな彼の鈴鹿には、メカニックはいなかった。たったひとりのレース。炎天下の中、リアシートに積み込んだレース用タイヤを黙々と降ろす。
陽射しを避けるテントを持っているはずもなく、熱中症と戦っていると、見かねたライバルBOMEXチームがターフを貸してくれたほどだ。
オイル交換をしようにも、ジャッキがあるわけではなく、クルマを平置きしたまま地べたに寝転び、スパナを握った片腕を伸ばす。車高の下げられた86の下に潜り込めるはずもなく、手探りでのオイル交換に挑んでいた。
見かねた彼に、他のチームがジャッキを貸してくれたという。
予選で電子制御のトラブルもあり、満足なアタックにならなかった。
見かねたTRDのスタッフが、面倒を見てくれることも頻繁である。
気がつくと、彼の回りには数人の仲間が集まっている。そしてなんらかの手を貸す。
なんだか彼には「見かねて」というキーワードがつきまとう。この穏やかな性格と、真摯に向き合う姿勢と、愚痴ることなく楽しげに挑むそのスタイルに人は引き寄せられるのかもしれない。いわば人徳というやつだ。
それでも彼には、冷えたジュースでお礼するお金もないのである。
そんな彼のレースがまた悲惨である。
すべてを自分ひとりで進めるから、慌ただしいことこのうえない。チェアでくつろいでいればすべてスタッフがこなしてくれるトップチームとは異なり、休む暇もなく決勝が迫ってきた。
根底では速いドライバーだから、予選はプロ達の鼻先を抑えて9番手。無傷のまま(借金があるから接触はできない…)、ひとつでも順位を上げて評価されたいところ。
コースインの時間になった。
「ちょっと待ってください」
「時間です。早くグリッドに並んでください」
「いや、ちょっと待てませんか?」
「時間です。並ばないと失格になりますよ」
ここまで徹夜でやってきて失格は避けたいところ。渋々、グリッドにマシンをつけた。
グリッドガールが「1分前ボード」を提示した。
全車エンジン始動。
彼もレースオペレーションに従ってイグニッションを捻った。
エンジンは静かにかかった。
だが…。
燃料計の針が上がらない…。
「もって6周だな…」
彼は悟った。
「だって、燃料を入れる時間がなかったんだもん!」
かくして彼のレースは、6周で終った。快調に何台かを抜いたのもつかの間、6周目の裏ストレートでマシンをグリーンに寄せた。燃料計は完全にエンプティーを指していたという。
レース後、レッカー車に引きづられてパドックに戻ってくる彼に我々が歩み寄った。
「どうだった?」
「ガス欠ッス!」
慰めの言葉を探していたのに、彼はむしろ楽しそうにこう言った。
「どうせ止まることがわかっているから、落ち着いて走れましたよ。目の前のクルマの挙動なんて、ちょっと冷めた目で分析できるんですね。勉強になりました」
勉強するのは、違うところなのだろう。ツッコミどころ満載だが、それは口に出さないでおいた。
86/BRZ Raceには群雄割拠、東西から猛者が集結している。その一方で、プライベーターの鏡のようなクルマスキが楽しんでもいる。
橋本洋平のような人もどこかにいるのだろうが、なんだか貧相で頼りない彼は、僕らが心のどこかに描きながらも踏み出せないでいる無鉄砲なクルマスキの姿なのだ。そんな彼を応援したくなる気持ちは、憧れの裏返しなのだろう。