新型レクサスISのテレビCMをご覧になっただろうか?
TOYOTAやソフトバンクのように夥しい数が越流しているCMではないから、タイミングさえ合えば…ということになるのだろうが、ともかくそれ、新型ISの熱い走りが表現されている…(と思う!)。
(と思う!)と付け加えたのにはワケがある。実はそのCM、走りの映像全般のディレクションをキノシタが担当したのだ。手前味噌の照れ隠しとして、(と思う!)と添えてみたワケだ。
まずここで、コラムに目を通すのを中断して、レクサスHPの中で紹介されている新型レクサスISの映像をご覧いただこう…。
アドレスはこちら→http://lexus.jp/models/is/sp/index.html
…観た? どうだった?
昔からクルマのCMにはただならぬ興味があった。それはテレビCFに留まらず、雑誌広告やポスターやあるいは販促イベントの演出に及ぶ。過去にこのコラムで、「日産スカイラインCM集」なるDVDを繰り返し観ていると白状しているし、年に一度発行される「ランボルギーニ・カレンダー」がハートに突き刺さるのだよねと紹介している。熱狂的なクルマCM偏執狂ぶりを暴露しているのだ。ということで想像してもらえると思うけれど、商品を世間に紹介するコマーシャルに関してはただならぬ興味があるのだ。
いわばクルマオタク。特にドライビングオタクである。運転とクルマの挙動に関しては人後に落ちぬと自負している。だからこそ、クルマCMにもウルサイ!
日頃の移動は99%クルマに依存しているし、その道中の99%をクルマのことを考えている。そのうちの99%はいかにスマートにクルマを走らせるかに費やしている。睡眠は眠ることではなく「クルマの夢を見るチャンス」である。というほどのクルマ浸け人生だから、おそらく前世は脳みそがオイルパンの中のボルトかナットに違いない。
レース中もしかり。誰よりも速く走ることよりも、誰よりもスマートに速く走ることにこだわっている。見苦しいドライビングスタイルでの勝利は勝利ではない。コンペティションの世界にいるのにもかかわらず、勝つことは僕にとっては最優先ではないというのだから妙な話だ。スマートに戦いながら、それでいて勝てればいいと考えている不埒者なのだ。
クルマのCMの中で映し出される挙動にも一家言あるのはそんな性癖のせいだ。
すーっと発進し、すーっと止まる。ただそれだけのCMでさえ、活字にするとどちらにも違いのないすーっと、となる。だがその違いは大きい。すーっとが本来のすーっとでなく別のすーっとだったら、せっかくの美しいクルマがすーっと見えないのだ。
ドリフトひとつとっても、ドライバーが完璧にコントロールしているテールスライドではクルマが生き生きとするというのに、グリップの破綻がもたらすリバースステアではまるで苦しげな表情で身もだえているように映る。門外漢には違いに大差ないかもしれないが、見る人が見ればその差は歴然なのだ。
これは一般の視聴者の脳髄にも響いているに違いない。左脳が理解できていなくとも、右脳のどこかが反応しているはずなのだ。サブリミナル効果のごとく、潜在的に印象を左右していることは確かだろう。このCMなんだかいいよね…となったらそれは、微罪なこだわりを徹底した作品に違いない。
縁あって、そのあたりの長年心の奥底のひだにまとわりを評価してくれた目利きのある恩師の判断によって、今回のディレクション担当を仰せつかったワケだ。
ISのCMはこんなストーリーで展開されている。
映画なのかドラマなのか不明だが、巨大な倉庫の中に撮影セットが組み立てられている。
美術担当やカメラマン達が、セット設営の真っただ中である。
その倉庫にISが乱入してくる。
次々に、カメラ機材やクレーンや、あるいは散乱している美術セットの間隙を縫うように、軽快なリズムで駆け抜ける。
ウエット路面を模したステージでは、華麗にテールスライドを演じる。
フィナーレは、高速で突き進んできたISが、どこかの惑星とおぼしき赤土の上でスライド。ドライビングシートとは逆サイドの左後輪によって、赤く光る「AMAZING SWITCH」を踏みつけて停止。その瞬間にシャッターが“パシャリ”。
実はそのスイッチはシャッターと連動しており、自らの左後輪で自画取りをしたというストーリーなのだ。
巨大な倉庫にスライドアングルを保ちながら進入してくる。その路面は大きくうねっている。本来なら避けるべきその区間では、ISのコントロールの高さと躍動感が表現できたと自負している。倉庫のドアが閉じようとしている。間一髪、間に合った。
最後の最後でクルマが停止する。だが高速スライドから急停止したクルマが瞬間的にぴたりと制止するわけもなく、ロールが回復して乱れる。その乱れ方にもこだわった。
前後のロールが同時に回復するのではなく、前後の復元リズムを乱してほしいと…。それによって、まるでクルマがアスリートのような鍛え上げられた筋肉を持つ、ひとりの(あるいは一匹の)生命体であるかのような息吹を表現したかったのだ。
熱くヒートした筋肉はまだ冷めやらず、心臓はまた鼓動を打ち、だがクルマはなにかをやり遂げたような達成感に包まれている。
僕が表現したかったのは、クルマが美しく走る姿だけではなく性能の高さだけでなく、生命体としてのクルマが発する匂いや振動なのだ。筋肉よりもムキムキな思想を伝えたかったのだ。
ステアリングの持ち方にも徹底的にこだわった。
世界でもトップクラスのドライバーをリストし、その中から選抜した米国人ドライバーを起用しての撮影だったが、そんな彼をして、基本中の基本であるステアリング操作から指導したのだから、嫌な顔をされるのも道理だ。結局は「レクサス流のドライビングスタイルを共に構築しよう」と右手を差し出して事なきを得たものの、一触即発の雰囲気さえ芽生えた。たった0.5秒のカットなのだが、そのこだわりが細部にまで行き届いたのだと思う。
アクセルペダルの踏む瞬間にもこだわった。これも0.5秒。数人の役者に交互にトライさせたのだが納得できず、米国でのロケを終えてからも再撮影をしたほどである。甲の高さや幅、足首の細さやスネの隆起、あるいは足首の柔軟性まで華麗なアクセルワークに影響するというのは、今回新たに発見したことだ。勉強になった。
とまあ細部へのこだわりがこんなだから、スライドアングルや転舵スピードや量、そのタイミングなどに口を挟んだことは言うまでもない。
朝から晩まで4日間に及ぶロケ。米国と日本を何度も往復した。いやはやキノシタは、病的なドライビングオタクであり、恐怖のサディストなのだと思った次第だ。
「クルマは走って初めて生命体となる。その生命に宿る息吹を美しく表現したい」
常に正しく直球で、ISのデザイン的美しさと走りの躍動感。そしてコントロール性の高さと操る楽しさを表現したワケである。なになに秀逸の作品だと自画自賛している。
かくして完成したキノシタの処女作「新型ISのCM」。もう一度ご覧いただきたい。