第9の提言

第2回「自動車レースにはなぜシニア選手権がないのだろうか」株式会社トムス 代表取締役会長 舘 信秀 氏

回、レース界を引退した人がサーキットに来て感じる「居場所の無さ」に関して記させてもらった。
 小生の場合はワークスのドライバーではあったが、現役時代からも自分自身では何となく「ドライバーには向いていないんじゃないか」という思いがあった。将来はチームを立ち上げて、チームオーナーとして采配を振るってみたいという考え方を持っていたから、これまでレース界に関わりを持ってこられたような気がする。
 引退していく理由は人それぞれに事情はあるだろう。しかし、うちのチームのドライバーである脇阪寿一は口癖のように「一人ではレースはできない。みんなと競争するからレースなんであって、だから勝ったときがうれしいんだよね」という。その通りであり、競争相手が居るからこそレースが成立するということを忘れてはいけないと思う。
 その競争相手であった仲間がレース界から去っていくという状況は止むを得ないことかもしれないが、それは大変寂しいことでもある。

のような仲間とまたレースを楽しめれば、といつも考えてきた。そして行き着いたのが「シニア選手権」である。
 フォーミュラ・ニッポンのピットウォーク時、座興的にではあるが、現在監督を務めているドライバー出身の監督によるレースが鈴鹿サーキットとツインリンクもてぎにて開催されている。小生も何回か出場させていただいている。中嶋悟がいて、星野一義がいる。数年前までは鈴木亜久里がいて、近藤真彦もいた。近年の日本のレース界を大いに盛り上げてきた仲間でのレースである。ファンサービスの一環ながら、お客様に喜んでもらえるイベントとしては楽しい催しではあったが、残念なことに座興の域を超えるものではないような気がする。

週刊オートスポーツ提供  “往年の名ドライバー”によって、熾烈なバトルが展開され、勝利にこだわった緊張感の伴うレースを展開できないものだろうか。その発想が「シニア選手権」である。
 年間を通じて数戦のシリーズを組み、マシンとエンジンはワンメイクのイコールコンディションにすることで参戦コストの削減を図る。フォーミュラ・チャレンジ・ジャパン(FCJ)のシニア版であれば膨大なコストはかからないような気もする。
 例えば、プレス対抗レースで使用しているマツダのユーノス・ロードスターがレーシングカーとして20台ほど現存している。パイプフレームが張り巡らされ、安全性に関してはレースで使用するには十分のポテンシャルを持っている。このマシンは年に数回しか使用されていないという。勿体無い話である。

週刊オートスポーツ提供
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 このようなユニークなマシンを使用して、「シニア選手権」を開催できないものだろうか。
 これらの話をいろんな方に話させていただくと、最初に問題になるのは、「トヨタ系の舘さんがマツダのクルマを使ってレースができるの?」という質問が返ってくる。確かに小生の場合は創業以来、トヨタのマシンを使ってレースに参戦し続けてきた。トヨタ以外のマシンは使ったことがない。恐らくドライバーには何らかの自動車メーカーやタイヤメーカーの“色”がついて回るのは確かである。自動車という道具を使っての、レースというスポーツには自動車メーカーのバックアップ無しには存在し得ないことも十分承知している。そしてその道具は決して安いとは言えないお金のかかるスポーツであることはいまさら言うまでも無い。
 然し、今のモータースポーツ、いや、自動車を取り巻く状況を考えた場合、“色”に拘っているべきだろうか。今こそ自動車業界が一丸となって、クルマの持つ楽しさや素晴らしさを世間にアピールしていかなければならない時ではないかと思う。

「シニア選手権」への参戦資格をどのようにするのかという議論も必要ではあるが、小生のイメージとしては、カテゴリーを問わず、かつて全日本選手権に出場経験があるか、国際B級以上のライセンスを2年以上保持した経験のある、『50歳以上』のドライバー、とでもなるだろうか。
 この年代の人々は、クルマなくして青春も、大げさに言えば人生さえも語れない人々であった、といっても過言ではないだろう。今日の日本のモータリゼーションを確実に牽引し、自動車産業を日本の基幹産業まで押し上げてきた人たちであることに異を唱える人は誰もいないはずである。
 これらの人々はクルマの持つ楽しさも、そしてクルマを使った“競争”の素晴らしさも知り尽くし、非日常的な“競争”の中で、いくつもの“名勝負”を展開してきた人々である。
 その中には「よる年波には勝てずレースなんてできないよ」という先輩もいらっしゃるだろう。その方々にはオーガナイザーとして、大会組織委員や大会審査委員として、あるいはメカニック出身の先輩であれば技術委員として「シニア選手権」に参加いただき、経験を大いに役立てていただきたいものである。

のように夢想する「シニア選手権」の意義は、“楽しさの継続と継承”である。自分自身で言うのも憚れるが、レースに参戦して走っている時や、走っていない時でもレースの現場にいることが楽しくて仕方がない。
 “勝つ”という同じ目的に向かって突き進む仲間の顔がある。同じ思いを持つライバルの陣営の緊張した顔がある。エンジン音の響きが贅肉を揺るがす。ガソリンやオイルの匂いが鼻を刺激し、目を瞬かせる。コーナーを曲がる時にかかる横や縦のGが首を揺さぶり後輪からスキル音が聞こえる。どれ一つをとっても自分を奮い立たせ、自分の気持ちを高揚させてくれる。こんな楽しいことはない。スタート前の緊張感はその場から逃げたい気持ちにもなるが、それもまた楽しい。このような楽しい中にいつまでも身を置きたいと思うのは小生の我侭だろうか。いや、我侭といわれようが、この楽しさを生業として今までの人生を送ってきたのである。そこにはライバルも含めて多くの仲間がいた。その多くの仲間とこれからも楽しいレースを続けて生きたいのである。この楽しさを、多くの同年代の仲間や観客が共有し、一つの塊となれば、必ずや若い世代の人々の心を揺るがし、レースの楽しさ、クルマの持つ楽しさを醸成していく一つとして役立てることになると信じている。

 日本の風土の中に“楽しむ”ということが罪悪視される傾向がある。然し、スポーツの本来の持ち合わせている姿の中には“楽しさ”がなければならないと考える。この“楽しさ”を味わうためにこそ、苦しいトレーニングがあり、血の滲むような練習が繰り返されてこそ、達成した時の喜びが倍増し、“楽しさ”がより大きくなると思うのは小生だけの思い上がりだろうか。

【編集部より】
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Profile:舘 信秀 氏
1965年、大学在学中にトヨタ・パブリカ700を駆ってレースデビュー。
1971年にトヨタ・ファクトリードライバーとしてトヨタと専属契約。
その後、1974年に株式会社トムスを設立し代表取締役社長に就任。
1982年、レーサーとしての現役を引退した後はチーム・オーナーに専念。
全日本F3選手権や全日本GT選手権など数々のタイトルを獲得し、1998年に㈱トムスの代表取締役会長に就任する。
現在はチームオーナーとして各参戦カテゴリー(スーパーGT、フォーミュラ・ニッポン、全日本F3選手権)の陣頭指揮を執る傍ら、(社)日本自動車連盟モータースポーツ評議会評議委員等、日本のモータースポーツの発展・振興に努めている。
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