ADVANカラーの伝統を、たったひとりで守りつづけてきた男がいる
絶滅危惧種?いやいやこれから増殖する気配濃厚!
殺伐としたコンクリートジャングルに、華やかな彩りのレーシングマシンは視覚的に僕らを刺激する。特に伝統的な色彩をモチーフに、特異なデザインに拘りつづけるチームカラーは、サーキットに集まる我々を、強く興奮させる。
マーケティングの手法として、色彩にイメージを重ね合わせるのは基本である。かつてのマルボロカラーの例を持ち出すまでもなく、文字や文言よりも、カラーリングが持つパワーは強烈だ。1990年代を駆け抜けたレイトンハウスの鮮やかなブルーも、記憶に深く刷り込まれている。カルソニックブルー。共石グリーン。ファルケンブルー。一目でそれと分かるカラーリングは、観戦する側を惹き込む力を持っている。深く印象に刻まれているのは、そのカラーが人間の右脳になにかを書き記すからなのだろう。
赤と黒の伝統
165LAPで綴った「ADVANカラー復活か?」の記事は、とても多くの方の反響をもらった。
僕がレース界に身を投じはじめた1980年代には、多くのトップカテゴリーにADVANカラーが駆け回っていた。ADVANが伝統的に使いつづけている「赤」と「黒」のコントラストは、数ある伝統カラーの中でも突出していた。いつか赤黒のマシンで戦いたい。そう念じたドライバーも多かったはずだ。かくいう僕もそのひとりで、ADVANカラーのスカイラインGTS-Rをドライブした時の興奮はいまでも忘れられない。
なぜADVANカラーがドライバーの憧れでいるのか?
その命題はシンプルである。職業ドライバーが目指す頂は、自動車メーカー、あるいはタイヤメーカーとの契約にこぎつくことだろう。いわゆるワークスドライバーがピラミッドの頂点だという思いに異論は少ない。選ばれたドライバーの象徴が、ワークスカラーのマシンなのだ。
ところが、トヨタもレクサスも、日産もホンダも、安定的にワークスカラーのマシンを走らせてはいない。スポンサーの要求が優先されるために、サポート体制が変更されるごとにカラーリングも変化する。それが理由で、メーカーカラーは箪笥にしまわれたまま、それがサーキットを駆け回ることが少ないのである。
だが、ADVANは常にその色合いを譲ることなく、存在しつづけている。ADVANカラーに乗ることは、トップドライバーとしての証であると同時に、ADVANの伝統を背負うことと等しいのである。
先日、大々的な組織強化が発表されたTOYOTA GAZOO Racingは、長くニュルブルクリンク24時間レース参戦部隊が拘ってきたGAZOO Racingカラーに統一された。だが、伝統の厚みという点ではまだADVANカラーが優っているといえるだろう。
現存する唯一のADVAN カラードライバー
そんなADVANカラーを、ひとりで支えつづけてくれているドライバーがいる。トップラリーストの奴田原文雄(ぬたはらふみお)選手がその人だ。
僕が三菱ドライバー時代だったころだったか、どうだったか、こうして親しくしているきっかけは忘れてしまったけれど、今でも頻繁に出合う。覚えているのは、やたら勝ちまくっていることと、その個性的な名前はなんて読むのだろうと首をひねったことだ。
最近では、僕がプロデュースするステアリングの契約ドライバーという関係でもある。というわけだから奴田原選手と紹介するのも他人行儀だから、ここではヌタさんと呼ばせてもらおう。
輝かしい戦績
そう、ヌタさんはいま、全日本ラリー選手権をはじめ、国内外のラリーに積極的に参加するトップラリーストである。このところパイクスピークでのタイムアタックにも積極的に参加している。もちろん、すべてのカテゴリーで横浜タイヤのサポートを受け、赤黒のアドバンカラーでなかったことがない。
ヌタさんの活躍は驚くばかりだ。全日本ラリー選手権での9回に及ぶ総合チャンピオンは最多記録であり今も更新中だ。1994年から昨年まで、ADVANランサーを駆って200戦以上も戦っており、その中で70勝近くもしているのである。
日本人初の快挙!
ともあれ、僕とってヌタさんの凄さは、なんといっても2006年の「FIAモンテカルロラリー優勝」である。F1ドライバーがどうしても優勝したいレースがモナコGPやベルギーGP(スパ・フランコルシャン)だとするのならば、ラリーストが是が非でも優勝したいのが雪のモンテカルロラリーであるに違いない。
そう、ヌタさんは、そんな雪のモンテで勝っちゃったのだ。その速報が日本に伝わってきた時に、にわかには信じられなかった。日本人がモンテで勝てるなどとは夢にも思わなかったからだ。
ヌタさんは北海道在住である。というのも関係しているのか?
FIA格式だからつまり、世界選手権である。
「モナコ王宮広場でのフィニッシュポディウムで、モナコ公国の楽団による「君が代」を聞いた時には感激しましたよ」
そう言ってかつてを回想してくれた。
アルベール2世モナコ大公から「おめでとう」と日本語で握手されたのだとも。
本当に凄いのである。その柔和な表情からはうかがいしれない闘争心を秘めているのである。
2006年から英国人のダニエル・バリットとチームメイトになり、ふたりで大活躍を続けた。かつては幼かったダン(ヌタさんはダニエルのことをそう呼ぶ)が、いまではTOYOTAGAZOORacingの若手育成プログラムのコドライバーであり、先生役を努めていることが感慨深いのだそうだ。
「若造だったのに、いまでは先生なのか。彼も頑張ってきたよね」って。
ヌタさんの武勇伝を紹介しているうちに話がそれたけれど、そう、ヌタさんは今でも世界で唯一ADVANカラーで戦い続けているのだ。ミスター・ADVANと呼んでもいいだろう。
ミスター・ADVAN!
サーキットレースでのミスター・ADVANは高橋国光さんや高橋健二さんかもしれないけれど、ラリー界でのミスター・ADVANはヌタさんである。
というより、実戦での出場回数も優勝回数も、チャンピオンの数も圧倒的なヌタさんが優っているだろうから、モータースポーツ界のミスター・ADVANは奴田原選手で間違いなさそうである。
今年もヌタさんは赤と黒の伝統的なADVANカラーでラリーを戦う。絶滅危惧種に指定されたADVANカラーの伝統を、ひとりで背負い、絶やさずにきてくれたわけだ。
ありがとうね。ヌタさん!
これからもずっと、ADVANの伝統を守ってくださいね。
写真:オフィス・ノーススター
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」