あの伝説が映画になった
その日の富士スピードウェイは、膝まで浸るような水溜りと化していた。とてもレースができるようなコンディションではない。
1976年、F1世界選手権が初めてアジアに遠征してきたというのに、これが富士スピードウェイなのだと声高に言わんばかりに、滝のような雨粒が空から落ちていたのだ。
シリーズポイントを大きくリードしていたニキ・ラウダがニュルブルクリンクで大火傷を負う。だが、わずか6週間後に執念の復活。入院中にポイントを荒稼ぎしたジェームス・ハント。雌雄が決す。危険を察知したラウダが自らの意志で、最終戦の富士ラウンドを棄権。それによってハントが奇跡の逆転劇を演じる。69ポイント対68ポイント。僅差で、ハントが初タイトルを奪うのだ。
『ラッシュ/プライドと友情』がそのタイトル。
つくりもののリアル
実は僕、この手のレースを題材にした映画で感動を覚えたことはなかった。ほとんどのスポーツを題材とした映画は娯楽作品であることを主題にしており、その世界で生きるひとりのドライバーの目線からはほとんど滑稽な、時としてコメディのような仕上がりでしかなかったからなのだ。
だがこの映画は違った。かなり詳細な部分まで、僕が知り得る70年代のF1に忠実である。それがゆえに、純粋にストーリーにのめり込むことができた。
ステージが、僕が通うニュルブルクリンクであり、そして富士スピードウェイだったことも共感を呼ぶ理由になった。CGの巧みな技により、リアル度は完璧に近かった。
アカデミー賞監督ロン・ハワードは、F1に関しては無知だったとはいうものの、リアルなドライバーの心理を巧みに表現してくれていた。
史実を忠実に再現する術で評価の高い脚本家ピーター・モーガンの手腕にも引き込まれる。ニキ・ラウダ役のダニエル・ブリュールは、そのままニキ・ラウダの陰を演じていたし、ジェームス・ハント役のクリス・ヘムズワースは、5000人の女性と付き合ったと言われるナンパ臭さを演じていたのだ。
日本での相似形
僕がとりわけこの映画に引き込まれたのは、実は、陰と陽を演じるふたりのトップレーサーの相似形にリアルに接していたからである。
キャラクターの異なるふたりのトップレーサーが、お互いを時には最大の強敵として認識し、そして最大の戦友として命を守ってきた。どの世界でも存在しうる関係には違いないが、そのふたりに僕は長い間寄り添ってきたのだから心がブルブルと震えた。
その相似形とは、長谷見昌弘さんと星野一義さんである。
冷静沈着の天才肌・長谷見昌弘さんと感情的な努力型の星野一義さんの対比が、この映画の主人公とかぶる。
お前がいたから、強くなれた
この映画のメッセージであるこの言葉は、そのまま長谷見・星野に当てはまる。
ともに日産のエースとして覇を競ってきた。日産のエースは常にふたりであり、一度としてひとりにならなかった。「長谷見と星野」という関係。
感情移入したのはそれが理由だ。
永遠のライバルとは…
星野一義さんの引退式。涙を抑えきれない星野さんに花束を手渡したのは長谷見さんだった。そこで長谷見さんはこう言って肩を抱いた。
「お互い、生きていて良かったな」
おそらく彼らのどちらかがいなければ、けして命を掛けた走りなどしなかっただろう。だが、お互いはその危うい領域に時には足を突っ込み、かろうじて生還してきた。
最後の言葉はいまでも僕の記憶に深く刻まれている。
そして、この言葉と重なるのである。
「お前がいたから、強くなれた」
深い説明は今後に譲ろう。まずは『ラッシュ/プライドと友情』を静かに鑑賞してほしい。そしてそれがまったくのリアルであることを実感してほしい。
『ラッシュ/プライドと友情』 全国上映中
公式HP:rush.gaga.ne.jp
配給:ギャガ 提供:ギャガ、ポニーキャニオン 映画の区分:PG12
予告編動画URL:http://www.youtube.com/watch?v=Rnd2bziJYmw
© 2013 RUSH FILMS LIMITED/EGOLITOSSELL FILM AND ACTION IMAGE. ALL RIGHTS RESERVED.
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
-
1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」