クルマ「味探し」の旅 第1回:トヨタのマイスター・成瀬弘の挑戦 料理と同じく、クルマも'味'が大切

同じ素材でも料理のし方で味は激変する。

同じ卵を使って卵焼きを作るにしても、先に塩を入れるのか、醤油を入れるのか?それぞれの分量だけでなく入れる順番、タイミングによって味は変わってきます。一流の料理人であれば、最後の塩加減ひとつでスープの味を魔法のように美味しく変えてしまいます。
私たちが手がける味付けも全く同じです。アブソーバーのシムをコンマ2ミリ変えるだけで劇的に乗り心地が変わってきます。また、人間が運転で感じる気持ちよさとは"縦G"と関係していますが(ちなみに、"横G"は恐怖と関係しています)、これを私たちは経験と訓練から1/1000Gの単位で認識し、調整しています。通常、エレベーターで感じる"縦G"が0.2Gですから、その繊細さがおわかりいただけると思います。
その差だけを切り出せば、普通のひとには違いはわかりません。その感じることの出来ない差が、トータルのクルマの味では大きな差になっているのです。

味の決め手は隠し味。また、美味すぎても飽きられる。

美味しい料理を食べた時、「塩加減が絶妙だから」とか「使っている醤油がいいから」とか、美味しさの秘密が食べた人にわかるようではまだまだ不十分です。高級ブランドの服にしても、安物とどこがどう違うのか素人にはわからないけど、着てみたら明らかに違う。いいもの、本当の味というものはそういうものです。クルマでもそれは同じです。
また、厄介なことに、美味しすぎる料理は飽きられてしまいます。完璧すぎると、食べている時はいいのですが、食べ終わってしまうと何も印象が残っていなかったりする。「美人は3日で飽きる」とは良くいったもので、クルマもわが家の古女房のように、長年連れ添ってじわじわと味が出てくるほうがいいわけで、ちょっと欠点があるくらいがちょうどよかったりします。
私自身がこの年齢にして「まだまだダメだな」と感じているのはこういう点にあります。「味探しの旅に終わりがない」といっているのもそんな理由からです。

”味(アジ)”は万国共通?

欧州のエンジニアたちと話していると彼らは「agility(アジリティ):機敏さ、軽快さ、敏捷さ」という言葉を良く使います。「このクルマはアジリティがある」とか「アジリティがない」とか言っています。私は英語が出来ない(欧米人との交渉もたいていは日本語でやっています。へたな英語を使ったり、通訳を介するより、同じエンジニア同士の場合、日本語の方が伝わるものです)ので、本来の意味は知りませんが、私なりにアジリティを「バランスがとれている/つながっている」と意訳して、「そうだよねクルマはアジ(味)が大事だね」と返答しています。それで十分会話が成立していますから、言わんとしていることは間違いなく共通しているのだと思います。

いい処どりはダメ。また、欠点を潰せば、良さが死ぬ。

ステアリングはベンツ。乗り心地はBMW。そんな高級車があったら乗ってみたいですか?残念ながら、乗ってみるときっとガッカリすると思います。ベンツにはベンツの、BMWにはBMWの味があり、それぞれのいい処どりをしても、もっと美味しいものにはなりません。モノマネではダメなのです。彼らにはない、日本独自の味を作り出していかなければいけない。たとえば、奈良や京都の五重の塔のような日本固有の味のあるクルマを作って、欧州車と勝負してみたい。
また、日本企業は"欠点"ばかりを気にしすぎる。料理でいえば、塩が足りないと思ったら、塩を足し、甘味も欲しいと砂糖を足していったら、だんだんおかしな味になっていきます。ようはバランスの問題なのです。欠点ばかりを気にして、それを徹底的に潰していったら、それまであった良さが死んでしまうことになりがちです。欠点を潰すのではなく、むしろ、良さ(長所)を伸ばすことが味作りには重要なのです。欠点がなく平均点の、万人ウケするクルマを作っても味わいは得られません。欧州のメーカーはそのことを良く知っています。
[2008年7月 取材]