第4ステージ(1月4日)のCP1(チェックポイント)を通過するまでは順調に走行していた2号車。CP1を過ぎて、真っ直ぐな山道を時速140kmで走行していたところ、不意に左カーブが現れた。田中ナビは、カーブがあることを認識できず寺田ドライバーに情報を伝えることができなかった。ダカールラリーのオフィシャルから田中ナビはもう少し先にカーブがあると判断してしまったのである。
その結果、急な左カーブを曲がりきれずコースアウト。そのまま崖から車両が回転しながら7メートル下に転落。奇跡的に車両は正立した状態で着地し、寺田ドライバー、田中ナビともに無傷であったが、フロントガラスが割れ、ボディは大きな損傷を負った。
2人は、まずはエンジンがかかるのを確認後、その場から車両を移動させた。なぜならば、後続車も同様に落下してくる可能性もあるからである。安全な場所で車両から降り、フロントガラスを完全に剥がし、エンジン周りと足回りを確認したところ、幸いにも走行は可能であった。
フロントガラスがないので、前方から直接、飛び石などを受ける危険があるため、ゴーグルをつけて、チームの待つビバーク※4を目指した。むろん以前までのペースでは走れないので、エンジンの水温をケアしながら6割くらいの力で約400kmを走行した。とにかくビバークに戻り、翌日競技を継続することが目的であった。
ようやく4日のビバークに到着した時は、既に時計は23時となっていた。それでも、田中ナビの心の中には、「これで、メカニックがクルマを直してくれれば、何とか明日からも競技を続けられる」と期待があった。
しかし、ビバークに到着した車両を見て、待ち構えていた森監督は、唖然とした。事故が発生したとき、田中ナビから、「クルマは走行可能です」と報告を受けていたが、一見して損傷の大きさが窺い知れたからだ。そしてメカニックが、車両を確認したところ、すぐに競技を続行することが無理だとわかった。ドライバーの安全をサポートするロールバーが折れていたためだ。ロールバーが折れてしまうと、競技ルールでは、ドライバー、ナビの安全が確保できない理由により走行が許可されない。また、ロールバーの修理は許されていないからである。
ビバーグに戻るまでは、田中ナビはロールバーが折れていることに気づいていなかった。一方、寺田ドライバーはそのことに気づいていたが、田中ナビがそれを知り、集中力が欠如してしまうことを気遣い、それを伝えずに走行したという。
メカニックから寺田ドライバー、田中ナビに、「これでは君たちを安全に走らせることができない」というリタイヤ宣告が発せられ、2号車のシートからGPSやトリップメーターが外された。
この時、田中ナビはブログでこう語っていた。
「2号車の担当メカニックにとっても、1号車のメカニックたちのサポートという仕事はあるものの、ある意味で彼らのダカールラリーも終わったことになってしまいます。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。一つだけはっきりしているのは、今回の転倒の原因は、私にあります。私のナビゲーションミスにより、車両を転倒させてしまいました。
あの時、ああすれば良かった、こうすれば良かったなど、たらればの話ですが、考えずにはいられません。リタイヤしてから、日にちが経つにつれ、後悔の念が強くなってきました。たった一つのミスにより、リタイヤへ繋がってしまったこと。自分のやってしまったことへの後悔は止みません。今まで生きてきた中で、これほどの後悔をしたことはなく、この後悔は一生残ると思います。」
寺田ドライバーは、後の取材で、こう語った。
「決して田中ナビだけの責任でない。私自身も、前方の視界が悪い中、もっと慎重に走行すれば良かったと思います。今回のレースではアクシデントが発生するまで、あまりにも順調に行き過ぎていたため、欲がでてしまったと思います。私たちはあくまでも市販車部門で上位を狙っているのであって、改造車を含めた総合順位を争っている訳でもなく、1分1秒を争う訳ではないので、走行スピードをより速く出すことより、ラリー特有の様々なトラブルをできるだけ回避し、また、トラブル発生時にいかに早く復旧できるかが重要なのです。視界が悪いのなら、少しでもスピードを落として慎重に走っていれば良かったと、悔しい思いです。」
こうして2号車のダカールラリー2012の戦いは終わった。
- ※4 ビバーク:参戦するチームスタッフのキャンプ地。1日の競技毎に拠点を移動。ステージ毎にレースを終えた車両の修理などもここで行う。