因果応報とはこのことか?
酬いはいずれ自らに降り掛かってくる。しかもこんなに早く不運がやってくるとは思いもしなかった!華々しく開催された2013年TGRF。ひとつのコンテンツとして開催された「86/BRZ ワンメイク・スペシャルレース」で、あろうことか橋本洋平と組まされることになるとは。これを不幸と言わずして、これ以上の不幸があろうと言うのか…!
橋本洋平に関する詳細は、このコラムの105LAPを振り返ってほしいのだが、まずは彼の簡単なキャラクターを紹介しておくと…。
自動車ジャーナリストである彼はいわゆるキノシタの後輩となる。クルマに関する洞察も深く、造詣も豊かだ。ドライビングスキルも高く、おそらく業界では一二を争う駿足ドライバーである。
だというのに、一見するところ、まったくそうは見えない。どこか貧相で、不幸を背負っているかのような負のオーラが彼にはまとわりついているのである。
だから、あれほどドライビングスキルに優れ、あれほどクルマを愛しているというのに、自ら大枚をはたいて挑むレースは波瀾万丈、珍道中に終始。世間をハッといわせるのはせいぜいが予選までで、決勝で輝かしいリザルトを残したことがない。先日のGAZOO Racing 86/BRZ Race第3戦鈴鹿だって、決勝快走中にガス欠ストップ!ガソリンの入れ忘れである(105LAP参照)。
TGRFで展開された「86/BRZ ワンメイク・スペシャルレース」は、GAZOO Racing 86/BRZ Raceを戦うオーナードライバーとプロドライバーがコンビを組んで戦う変則スプリントレース。レースはわずか6周。オーナーがスタートし2周後にピットイン。すぐさまプロドライバーにステアリングを譲るというルール。そのレースに橋本洋平と組まされたのだから、企画運営の総本山であるGAZOO推進室も相当にイジワルである。固有名詞は控えるけれど、S尾室長やH川GMを恨むのである。
コラムで橋本洋平の珍レースを紹介したのはたしかにこのキノシタであり、それが策略の発端だとしても、いまさら取り返しがつかない。レースはスケジュールどおりにスタートしてしまったのだから…。
レースは一見平穏無事にスタートした…、ように見えた。
橋本洋平は特に目立ちもせず、中段に埋もれたまま規定の2周を消化。ライバルも同様に規則どおりの3周目にピットインするワケだからピットは大混乱となる。そこは戦場のような慌ただしさと化し、ドライバー交代合戦となる。
まずはそこで我々は大きくつまずいた。
まずは橋本洋平がみずからのピットを探し当てられず、別のピットに一旦停止。僕が待つピットのはるか遠くでキョロキョロと人を捜しているのである。その人とはもちろん僕のことだ。レース中に自陣を間違えたのは後にも先にも彼だけだろう。
このロスが約10秒。
しばらくして間違いに気づき、あわてて所定のピットに帰還した。だが、そこからがまたモタモタの嵐。勢い良くコクピットから飛び出し、僕と入れ替わった。そしてシートベルト装着をサポートしたものの、シートベルトキャッチャーが見当たらない。4点式シートベルトと3点式シートベルトの二丁掛けがナンバー付き86レースマシンの標準仕様。なんと4点式を3点式のキャッチャーに突き刺そうとしているのだ。そして3点式を4点式のそれに…。そりゃ無理である。サイズが違うんだから…。
これでさらに5秒のロス。
さらには、適切な位置にシートがスライドしない。
彼のマシンに装着されているバケットシートは耐久仕様ではなかった。股の下あたりのバーをヒョイッと引き上げればたいがいシートはスライドするものなのだが、彼のものは、シートレールにささやかにはえている、まるで折れた割り箸のような短いレバーを左右同時に触れないと動かないタイプだったのだ。スプリントレースでは問題のないそれも、変則耐久レースでは大いに不利である。
プラスして3秒の遅れ。
それでもなんとかドライバー交代を終え、勢い良く発進しようとした僕に彼はこう叫んだ。
「デフ、壊れてます!」
「デフ?」
「デフです」
「デフ、壊れてるんですが、修理できずにそのまま来ました!」
ほとんど戦意喪失である。
デフがトラブルを抱えているのを承知でレースに挑もうというその肝の太さを褒め称えるよりもまず、彼の頭を小突きたくなった。だが手が届かない…。
これでさらに、1周につき1秒のロスは覚悟しなければならなかった。
実はスタート前に彼にこう告げられている。
「タイヤは中古ですよ。もてぎだったかなぁ、鈴鹿だったかなあ、昔使っていたものそのままです…」
「新品は?」
「お金が…」
「自称GAZOO Racingのエースであるこのオレ様を乗せるというのに中古?」
「買ってもらえませんか?」
「オレに言うな!S尾室長に頼め!」
ライバルが高性能な新品タイヤを装着して挑んでいる中で、中古タイヤは致命的である。
これで1周につきコンマ3秒のロスは避けられまい。
しかもこうも言っていた。
「実は前回のレースでフェンダーを接触しているんです。ガムテープで補修しています。もしクラッシュするなら、そこからお願いしますね」
「お願いしますね?」
彼の魂胆は、キノシタにマシン損傷をさせ、修理させる腹づもりだと予想した。彼の緊縮財政下において今回のプロドライバーとの参戦は、レース資金を稼ぐことが目的だったのかと疑いたくもなるのである。絶対に接触等するものかと心に誓ったのはこの時だ。
萎縮したままのバルトは、さらにコンマ1秒のロスを生む。
そんなスタート前の彼の魂胆を回想しながら自らに与えられたパートをこなした。前方を走る2台のマシンをなんとか攻略し、気を良くしてはいたのだが、後半になってどうも様子がおかしいことに気がついた。体調が優れないのである。
なぜだか額に汗がにじみ出はじめ、ついには背中まで汗だく。これまで世界の耐久レースを何度も経験してきている。世界一過酷とされるニュルブルクリンク24時間だって、一度たりとも弱音を吐いたことはない。灼熱のスーパーGTセパンでさえ表彰台に立っている。だというのに、たった数ラップの86/BRZ ワンメイク・スペシャルレースでこれほど疲労するのだろうかと自ら体調を疑った。
「熱い…」
「熱い…」
「熱い…」
朦朧とする頭を叩きながら、ダッシュボードの空調ダイヤルを確認した。するとそれは最高温度に設定されていた…。
スタート前の待機時間に橋本洋平は、自らのレースマシンである86の中で居眠りをしていた。寒空の元、ヒーター全開で暖をとっていたのだ。
とんだ災難をかぶってしまったものである。パドックでの待機場所もなく、ライバルのように休むためのテントも張れない彼のことを考えれば恨むことはできない。だがしかし、負のオーラが自らに振りかかってくることは避けたかった。だが避けられなかった。