第8の提言

第3回「『日本』が誇れる国になるように」[STINGER] 編集長 山口正己 氏

は“プロのレースファン”を名乗っている。最近は、“通りがかりのオジサン”という自己紹介がそこそこウケるが、元々ジャーナリストとか、報道関係者という表現があまり好きではない。偉そうに名乗るとその瞬間に、なにかが台無しになりそうな気がするからだ。
サーキットでは一応、金網の内側に入れる取材パスを持っている。だが、それは持っているだけ。パスがある=レースをやっているサイド、ではない。つまり、レースを外から観ている、という意味で、確かに観ている場所は近いが、それだけのことだ。だからファンと一緒、という解釈である。
そうはいっても、結果的に原稿を書いたり、企画をひねったりすることで、Tシャツとかステッカーをもらうのではなくて、それなりの原稿料や企画のギャラ(みなさんが思っているより安いけれど、高校生の三男が正月に郵便局でやった年賀状配りのアルバイトよりはたくさん)をいただいて生活しているので、頭にプロをむりやりくっつけているのだ。

教育は、日本をダメにするためにある?! て、最終回は、まず『徒競走』がテーマだ。レースだから徒競走を持ち出したと思うかもしれないがそうではない。全然関係ないところから、日本でのモーターレーシングの立地条件が見えてくる。
小学校の運動会の徒競走は、息子たちが大きくなったので、最近の実体をこの目で確認しているわけではない。しかし、いろいろ伝え聞くところによれば、小学校の徒競走に日本をダメにしている現況が見え隠れてしていると指摘しても、そうは的外れではないはずだ。
遅い子にハンデをつけて前から走らせる、だと。一体、それを強いている大人たちは何を考えているのだろうか。そこで一緒にゴールさせてナニがあるというのだろうか。せいぜい、モンスターペアレントとか言われる輩から「うちの子に恥をかかせた!」と怒鳴り込まれなくなるくらいが関の山。そういう教育者に教えてあげたい。「あのね、駆け足が遅くても、彼や彼女は、折り紙が凄く上手かもしれない。かけっこがビリでも、とってもやさしい気持ちを持っているかもしれない。そういうところを見つけて伸ばしてやってくれ」と。伸ばすことこそ重要だ。
平均点主義は、世界が驚く日本の復興には大いに役立った。みんなで力を合せる、というシステムは、確かに日本の自動車メーカーを世界一にした。しかし、そこには“台数が一番”という以外に何が残ったか。つまり、自分たちの会社が儲かる以外に何を育てたかという問いに明確に答えられる自動車関係者が何人いるのだろうか。特に最近のトヨタ車に尊敬されるクルマがないのは、そうした側面から考えると、仕方ないこととあきらめなければならないのかもしれないが、それは日本人としてとても哀しいことだ。

レースの世界は、勝つか負けるかが有無を言わせず決められる。そういう力を小学校の時から一生懸命つぶしている日本の教育には明日はない。そして、そこで育った子供たちが、世界で通用するレーシング・エンジニアにもなれないし、優れたレーサーになれるわけがないのである。
同時に、世界に通用するビジネスマンも政治家も生まれない、ということだ。これは悲しい。政治まで広がらなくても、優秀なレーシングドライバーの資質はナニかを考えれば、教育を考え直すヒントになるかもしれない。
集団下校の話題も怖いものがある。次男が中学生だった10年ほど前、次男と家内が集団下校について口論していた。毎週土曜日、合図のチャイムと同時に全学年の生徒が一斉に下校するのだが、息子は、それがなじめないと譲らない。どうしてそんなにイヤなのかを聞いてたまげた。「だって、前の人を抜いちゃいけないんだもん。」ガツンでしょ? そこで私は息子に言った。「次の集団下校の日に、全員抜いて一番で帰って来い。文句を言う先生がいたら、“息子の競争心と自己管理能力を奪う権利はない”と言ってやる。」家内は慌てて、暴れるのはやめて、といったが、暴れるのではなくて意見を言うのだ。日本人は、意見と文句の区別ができないのは困るのである。
学校側が、徒競走にハンデをつけたり集団下校によって、管理が簡単になるというメリットを見いだしているのかもしれないが、それはあんたたちの都合であって、教育される生徒の側に立っていない。主客転倒の好例だ。日本のクルマ社会には、残念ながらこういう事例がたくさんある。

どうしても“走ってほしくない” 号は、青の後に黄色が燈って赤になる。誰でもそう思っている。しかし、イギリスやドイツの信号は、赤で止まっていると、黄色になってから青になる。黄色が別の意味も持っているのだ。青の後に赤になる日本との違いはなにか。それは、日本の信号が“クルマを止めるため”に存在し、英独の信号が“クルマを走らせるため”に存在するということだ。日本の交通環境を見る限り、日本人の多くが、クルマにはできる限り走ってもらいたくないと思っているに違いないと考えたくなる。
高速道路の入り口のインターチェンジも、日本のそれはとても不思議な形になっている。これから速度の速い流れに乗らなければならないのに、本線に近づくほどカーブがきつくなる。どうしてもクルマに走ってほしくないのだ。
『クルマは危ない』と人は言う。待ってくれ。クルマ自体、一人じゃ動かない。つまり、危ないのはクルマじゃなくて運転している人間だぜ。そこを間違えないでほしい。だが日本では、『クルマは危ない』という意見の方が正しいと思われている。
友人のO君から、なるほど、と思わず叫ぶ話を聞いた。さも自分で発見したようにことあるごとに触れ回っているその名言とは。O君は、「クルマを乗り回すという表現がなくならないうちは日本のモータリゼーションは育たない」と論破した。「山口んちの息子はよぉ、クルマを乗り回してよぉ。」絶対にいい子には見えない。実際に、クルマを乗り回していた私はいい子ではないが。しかし、クルマを散々、乗り回しまくっていたシューマッハが7回もワールドチャンピオンになって津波の被災地に10億円の寄付をしたことを忘れてほしくない。そのM. シューマッハが帰ってくる。そういう視点を加えると、今年のF1はますます面白そうだ。
さて、日本のクルマ事情である。見通しの悪い路地の出口の角から10mくらい手前に停止線がある。隠れているお巡りさんが、そこで止まらなかったとキップを切る。なんのための停止線だ。まさか、見えない位置に停止線を作るのは罰金を稼ぐため? いや、そんなバカな。しかし、そういうバカな話が他にもある。踏み切りで、警報機が鳴っていないのに一時停止しなければならない。そんな国は世界中で日本だけかもしれない。鳴っていなくても電車が来る可能性がある? ならば自己責任で確認すればいいだけの話だ。

一億総無責任時代を回避するために 近電車がやたら遅れる。過密ダイヤがその現況と思うが、それより気になるのは、車掌さんや駅員さんが謝りまくることだ。「電車が遅れましてご迷惑をおかけしました。」ここでオシマイでどうしていけないのか不思議だ。その後に「大変申し訳ありませんでした。心からお詫びします。」と付け加える。一体、しゃべっている車掌さんや駅員さんは、それだけ責任を取れる能力があるのかと言いたくなる。そう言ってしまっては可哀相だが、口から出まかせのその場凌ぎを、一体誰が言わせているのだろうか。
車掌さんと駅員さんだけ悪者にしてしまったが、単に分かりやすい例だったので例として挙げさせていただいたが、あちこちでそういう場面が増殖中。日本は国民全体が無責任になっているのだ。
自動車レースと全然関係ない話になっている? いや、実は大あり。“責任”がレースの基本だからだ。ハンドルを切った分だけきちんと曲がるクルマをデザイナーは作り、タイヤが外れたりしないようにメカニックがボルトを締め、ドライバーはコースからはみ出さないように走る。万一はみ出しても、リスクが最小限になるようにサーキット運営会社はコースを作る。そうして安全のバランスをとっているから、思い切った高速バトルが実現し、それを見た我々が感動するのだ。レースの基本は、“自戒の精神”であり、“自立”そのもの。だから日本で自動車レースが盛んになれば、日本の将来に光が見えるのだ。

ということで、観客席のとなりに座っているおっさんがなにか言ってるな、と思っていたかどうかはしらないけれど、ともあれ4回をおつきあいいただきありがとうございました。
最後に、「みんなで高まるように」、というお願いというか呼びかけをしておきたい。人は、頭がひとつしかない。そんなの当たり前だ。だが、面白いことに、頭数が増えるとその総数以上のポテンシャルが出る。誰かの頭の中を別の人が見ると、お互いの頭の中になかったなにかが生まれる。たぶんこの連載を考えて私にチャンスを分けてくれた方は、そういうことをお考えだったと思う。
ただし、数が集まっても、同じ方向を向いていないのでは意味がない。そして、実はこここそが、日本のモーターレーシングの最大の課題であり欠点であることが、凝り固まった方々の頭に何らかの形で伝わるように祈っておきたい。
ところで、一人じゃできないことも、集まれば力になる。実は、[STINGER]はそういう世界を目指している。マスコミが一方的に情報を送る時代は終わった。これからは、情報を共有して、一緒に高まっていく場を提供するのが、パスをいただいて至近距離から眺めることを許されている我々の役目だと思う。皆さん、グローバルに広がっていく社会の中で『日本』が誇れる国になるように、自動車レースを一緒に楽しみましょう! 楽しいことをすれば、やがて平和がやってくる。

【編集部より】
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Profile:山口正己 氏
1951年神奈川県相模湖町のキャンプ場を経営する自動車好きの父親の長男として生まれる。
1977年に自動車レース専門誌編集部員に。1987年に日本GPが鈴鹿に移り、中嶋悟氏が日本人初のF1ドライバーとしてデビューしたのをキッカケに、世界初のF1速報誌『GPX』を発明・創刊し、編集長に。1996年に独立して有限会社MY'S代表となる。
現在、マガジン/WEB/MOBILEを融合した立体メディア[STINGER]の編集長として、F1を皮切りに、モーターレーシング全体をファンと一緒に楽しむ媒体を構築すべく奮闘中。
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