2010年12月6日、千葉県・木更津市で、ダカール2011への参戦発表を行ったトヨタ車体。「トヨタ・ランドクルーザー」の開発・製作をトヨタ自動車と協力して行っている同社にとって、このラリーに参加することは、非常に意味のあることだ。ランドクルーザーの安全性、信頼性、走破性を世界で最も過酷といわれる環境の中で証明し、そこで得た情報を新たなモデル開発に生かすこともできるからだ。
しかし、それにも増して、このチームがユニークなのは、多くの社員や地域住民がこの活動に携わっていること。競技に使用されるバイオディーゼル燃料の原料となる廃てんぷら油も、社員を含む地域の方々が提供してくれたものを使用しているという。そしてチームのトップとなる代表者も役員ということで、非常に手作り感があり、家族的な雰囲気なのだ。とは言いつつ、市販車クラスで5連覇しているのだから、一方では非常にプロフェッショナルなチームでもある。
2010年10月、そのチームの代表に就任したのが、太田力トヨタ車体執行役員。細身でひょうひょうとしたイメージの太田氏の役割は、家族の中でいうと、お父さん。代表に決まった時のことを、"宝くじに当たったような感覚(笑)"とユーモアを交えて話すその姿勢は、まわりの人に安心感を抱かせる。
「私としては、ある日、突然指名され代表になりました。その時は、正直言いますと、"僕でいいのかな?"と、思いました。でも、段々と"いいんだろうな"となり、さらには"いいんだ!"と確信を持てるようになりましたね。ダカールのことは、社内でやっていることなので、代表になる前から応援していましたが、どちらかと言えば、1人のサポーターという感じでした。DVDやスポーツニュースなどで見ていた程度です。でも、就任してからは頭を切り替えまして、チームの一員として、社員の皆さんやこのメンバーと、"和の結束力"でチャレンジしようと。今は心が準備中で、ワクワクしているところです。」
代表就任が決まってからは、自ら情報収集すると同時に、森達人監督に、競技車両のクラス分けや競技規則などを詳しく教えてもらったという太田代表。その中で興味を引かれたのは、 ダカールが勝敗を決めるだけの競技ではない、という部分だったそうだ。「スタートしてフィニッシュするまでの中で色々なハプニングが起きるじゃないですか。その状況を打開するために敵・味方関係なく助け合って乗り越えるということを監督から聞き、ビックリしました。そういうスポーツなのか、と。1番、2番、3番とかいうだけじゃなくて、クルマを使っているんですけど、その裏側に人間味のあるスポーツなんだなという風に思いましたね。」
そんな太田氏が代表として最初にした仕事は、意外とも思えることだった。「一番最初の仕事は、必勝だるま祈願です。勝運をもたらしてくれることで知られる勝尾寺に初めて行って、そこでの必勝祈願。前人未到の6連覇を目指すわけですけど、それを必死に祈願してきたのが、最初のイベントでしたね。」
太田代表の人間味があふれ出ているが、実際には6連覇を目指すチームということで、プレッシャーもあるはずだ。
「正直言って、あります。ありますけど、私以上に選手のほうがプレッシャーを感じていますので、それは見せないように。"見せちゃいかん"というか……。ひょうひょうと、平常心でいくことが大事ではないかと思い、そのように心掛けています。」
"チームのお父さん"として、しっかり押さえなければいけないツボは押さえている太田代表。直接の口出しはしないが、チームが活動しやすい基盤を整えてサポートはするという一歩引いた立場での代表がいるからこそ、チームスタッフは伸び伸びと活動できるのだろう。
トヨタ車体のダカール参戦チームで"お父さん"役を務める太田代表にとって、頼りになる息子役となるのが、森達人監督だ。森監督は、ガッチリとした体格で、闘争心みなぎるタイプ。太田代表とは見た目も雰囲気も大きく違うので、家族の中でのイメージとしては、"娘婿"みたいな感じだろうか。
もともとはハンドボール選手としてトヨタ車体に入社。引退後は社業に専念をしていたというが、ある日、ダカールの監督に抜てきされたという変り種でもある。
「私の場合、当時の部署の上司にあるとき突然、"お前に、白羽の矢が刺さったぞ"って言われたんです。」
「"えっ?"と思いましたよ、最初は。私、ハンドボール部だったんですけど……みたいな。さすがに、ダカールに参戦していたのは知っていましたけど、競技についてルールも知りませんでしたし、どこを走っているかもあまり知りませんでした。監督をやることになって、色々勉強しました。前監督から教えてもらったり、現地に連れて行ってもらったりして学んだことがほとんどですね。それらの積み重ねで、"ああ、こういうスポーツなんだ"と段々わかってきました。」
競技を学ぶ過程では、驚くことも多かったという。
「こんなところをクルマが走るんだっていうことが、最初の衝撃でした。また、走る距離の長さにも驚きました。それから、私もスポーツをやっていたので、最初は勝つことばかり考えていたんですけど、やはりダカールってすごいなって思うのは、助け合うことなんです。普通、ライバルが転がっていると、今がチャンスとばかりに追い上げると思うのですが、ダカールだとホントに一番のライバルが、我々が止まっている時に、スタックから出してくれたりだとか、そういうことを自然にやるんですよね。もともと助け合って、全員でゴールを目指そうという姿勢があるので。競技に勝つということも大切なんですけど、みんなでアフリカの大自然とか、南米の大自然を走り切って、クルマの素晴らしさだとか、自然と調和してやることの楽しさ、冒険を楽しもうっていうスピリットがある。それが、ただ勝つためだけ、極めるためだけのスポーツとは違い、素晴らしいなと思いました。」
とは言いつつ、実際に監督をやるとなると、"負けず嫌い"の部分も顔を出してきたと森監督。そのあたりはスポーツをやってきた人間ならではのことかもしれない。「私が入った時には、もう3回勝っていたんですよね。それまで前監督は負けていない。で、僕が監督になって"負けた"とは言われたくなかったので、絶対に負けたくないと言う気持ちで、監督デビューとなる2009年のダカールの前に、セントラル・ヨーロッパ・ラリーに参戦し、初めて『ランドクルーザー200』で参戦した時にリタイヤしてしまいました。その秋に、今度はUAEデザート・チャレンジで最終仕上げのために参戦したのですが、そこでもリタイヤしました。2回出て、2回ともリタイヤしてしまい、"ミスター・リタイヤ"とか言われて。だから、"絶対にダカールは負けない!"っていう気持ちで臨みました。」
「世の中には、監督が選手を決めて、戦術を決めて、指揮を執るスポーツが多いですけど、ダカールは全く異なります。前日に、"はい、明日のコースはこれです"って渡されて、次の日のスタートを迎えます。加えて、私などの選手じゃない人間は、コースにすら入れないんですよ。だから、何が起こっているかもわからない。あとから聞くしかないのです。監督の仕事としては、選手が最大限の力を発揮することができるチームの環境を作り出すこと。そこが一番だと思っているので、徹底的にやります。1人1人の性格や持っている技術などを頭に入れて、"この人には、こういうタイプの人間とコンビを組んだら良い"とかを考えてコンビを決めたり、持ち上げると勢いに乗るメンバーもいるし、ガツンッとやらなければダメなメンバーもいるし、そういう全員のパーソナリティを見ながら、自分の態度を変えたり、組ませる人間を考えたり、試行錯誤しながら、チーム全体がひとつになるような形を考えています。」
チームプロデュース能力は、ハンドボールや会社の業務から身につけたものだという森監督。太田代表が全体を照らすお日様のようにチームを見守っているのに対し、森監督は現場の隅々にまで心を配り、時には憎まれ役を演じながら、チームをまとめあげる。会社でいえば、まさに中間管理職のような役割。クルマでいえば、ハブのような感じだろうか。チームの力を1点にまとめあげてドラナビに伝える一方、ドラナビやマシンが受ける疲労、衝撃をしっかり受けとめる。チームの足腰の部分がしっかりしているからこそ、各パートが円滑に機能し、連覇を更新できているのだろう。